第8球 ルールと采配
変速的な投球フォームで、リリースポイントがすごく低い。身体の柔らかい女子だからできる投球かもしれない。男子が同じように投げると怪我しやすい投げ方にみえる。
地面ギリギリからリリースされる投球は、マウンドの高さを考慮してもストライクゾーンの低い位置で10センチ以上は浮き上がってくるように見える。特に三振ゾーンと呼ばれる内角高めのギリギリ外れたところに行くと、80センチ以上は高低差があるように感じる。まるでボールが浮き上がってくるような錯覚を引き起こし、三振を量産してしまう。
「
──まずいかも。
6番の西主将はブツブツと何かを呟いていて、まわりが見えていない。自分がキャッチャーだった場合の配球が頭にこびりついて、ついバットを振ってしまう癖がある。
それに対しておかっぱ頭のキャッチャーは西主将を観察しながら配球を考えている。
キャッチャーには大きく分けて2種類のタイプがいる。データを元に組み立てるタイプと、相手の様子を見て配球を変えるタイプ。データを元に考えるタイプは、キャッチャーとしては問題ないけど、バッターとして打席に立つと、一度ハマってしまうとなかなか抜け出せなくなる選手がいる。
西主将が前傾姿勢を取る。もう外角低めを打つ気満々なのがバレバレ。案の定、相手は外角低めの縦に変化するボールを投げてきたので、危うくゴロになるところだったが、思ったより掠めてくれたお陰で後ろに逸れてファールになった。
「タイム」
九家学院高校側のタイム。中条先生が伝令を送った。
控えの審判がいないので、球審である僕がタイムを宣言して時間を計り始めた。
「監督からの伝令です。『考えるな、イメージしろ』だそうです」
時東さんがダッシュで西主将の元に駆け寄って伝えるが、この場合、相手捕手に聞こえないよう耳打ちした方が良かった。
へぇ……。
美術教師らしいアドバイスだが、今の状況であれば適切だと思う。
西主将は、いまいち理解できていない顔をしている。明確な指示でなければ動けないタイプだろうな、きっと。
「早くバッターボックスに入って、無心になるよう
僕に言えるのはそれだけだった。球審として、プレーの遅延行為と見られそうな西主将のつぶやいてバッターボックスになかなか入らないことに対して警告を行う。警告を利用したアドバイスのつもりだが、うまく伝わったかな?
球審である僕の指導に対して、バッターボックスに入ると明らかに構えが変わった。
西主将は自分の考えに閉じこもる癖がある。それが行動に出ると相手キャッチャーの思うつぼ。読み合いでは、どうしても負けてしまうのは仕方ない。なら、この際、余計なことを考えなければいい。
飛んできたボールを打つ。実にシンプルな考え方だ。でも、そのおかげで西主将は本来の構えに戻り、相手キャッチャーは西主将の思考を読めなくなった。
ボールに集中して、よく見ている。
聖武高校の正捕手は、もう一度外角低めにサインを出したが、1個分、下に外れてボールになった。
このキャッチャーはかなり気が強そうだ。バッターボックスに入った直後に西主将の心を乱そうと、去年卒業した四天王の女子の悪口を言い始めたので注意した。相手キャッチャーの話で僕はその先輩がキャッチャーだったことを初めて知った。
九家学院のOGとの因縁がどこで生まれたのか知らないが、次のボールは予想できる。
外角いっぱいの低めのボール。同じコースに3回連続で投げさせる強気なリードでストライクが決まった場合、相手のメンタルを崩せると思ったんだろう。
だけど、無心になってボールだけを見ている西主将は何のためらいもなくそのボールに手を出した。コースはほぼ同じだが、先ほどよりボールが沈まないので、きれいに当たった。
ボールはショートの頭を超えて、ランナーが1、2塁にいる状況になった。しかし、2アウトで次のバッターは不良グループのひとり、
「ひぇっ、いったっぁぁ!」
でも、キャッチャーは冷静さを失っていた。先ほどヒットを打たれた腹いせにバッターの胸元ギリギリに投げさせたが、コントロールがすこし狂ってしまい。デッドボールで出塁した。
続く8番も野球初心者で桜木さんの子分のような存在、
んなっ!?
2アウト満塁の場面で、セーフティーバントをしてきた。これには僕も含めて相手の守備陣も全員、完全に驚かされた。
たぶん、練習でバントだけは異常にうまいと桜木さんに褒められたから、バントをしようと思ったんだろう。素人だからこそ2アウト満塁でのバントの成功率の低さを知らないから大胆な行動に出たんだと思う。
しかし、完全に虚を衝かれた聖武高校の内野陣は初動が遅れたのに対し、3塁走者の月はバントの姿勢を確認した瞬間、ホームへ突進を始めた。
ボールは、サードのファールラインの近くを転がっており、サードが詰めてきたが、判断を誤った。ファーストに送っていれば、喜屋武 美海の足はそう速くないので、アウトにできたかもしれない。でも、月の塁走があまりにも勢いがあったので判断を狂わせたんだと思う。ホームで月を刺そうとしたが、失敗した。
4点目が入った。1塁もセーフだったため、2アウトランナー満塁のまま。
バッターは9番の桜木茉地。彼女も素人のはずだが、運動神経が良いってホント怖い。素人とは思えないバッティングセンスと足の速さ。四天王ってみんな化け物の集まりなのかもしれない。
──でも、様子がおかしい。
桜木さんの息が上がっている。すこしふらついているように見えるので、スタミナが切れてしまったのかも。
内側に切れ込んでくるスライダー系のボールに詰まって簡単にアウトになってしまった。
7回表の聖武高校の攻撃は、苛烈なものになった。
「我、軽打、成功也!」
スタミナが尽きた桜木さんのボールは球速を失い、制球も乱れ始めた。
1番バッターをフォアボールで歩かせてしまうと、2番の糸目にお返しとばかりにバントを決められてしまった。ピッチャー側へわざと転がしたのも計算済みだったんだと思う。西主将が飛び出したが、彼女も足がそこまで速くないためやられてしまった。それにしても糸目の女子はなんで漢字を並べてしゃべってるんだろう……。
7回に入って、バッターは全員、ベンチを何度も確認している。
どうやらようやく聖武高校の監督が指示を出し始めたようだ。要所に野球経験者や並外れた運動神経の者を置いているものの素人が紛れているのを見抜かれてしまったらしい。
「この試合もらったぜ!」
3番のおかっぱ頭の女子が、キャッチャーをしている西主将に宣言する。まずい流れだ。どこかで断ち切らないと……。
セカンドの頭を超えるヒット。
ここでもセンターの時東さんの動きが遅くて、2塁ランナーがホームに帰ってしまった。
ノーアウト1、2塁で、3番のバッターは先ほどまで4番を打っていた女子。後から入った3人以外では、唯一、桜木さんの球威が落ちる前のストレートを前に飛ばした相手。幸い、セカンドの火華のファインプレーで出塁を許さなかったが、打球が数センチずれていたら内野を抜けていたかもしれない。
やっぱりここで切り札を切ってきたか。
たぶん僕でも同じことをしたと思う。
聖武高校の上位打線に対抗すべく急ピッチで仕上げたカットボール。前回の打席で伸びるストレートに目を慣らしたおかげで、詰まらせることに成功した。だが、結局は3塁側方向に切れてファールになってしまった。
もう一度、内角の高さいっぱいに投げた。球威を失ったストレートだが、3番バッターはカットボールを意識しすぎて、ボールの下を叩いて高く打ち上げた。
大丈夫かな……。
ピッチャーの守備範囲のフライだから、球審である僕が胸に手を当てながらインフィールドフライをコールする。
桜木さんがよろけてボールを落としてしまった。すぐにボールを拾うと、バッターが1塁の寸前で派手に転んで、這いながら必死に1塁を目指しているのを桜木さんは見て送球動作に移った。その間に僕はすかさず他の塁の状況を確認した。
完全に裏をかかれている。
桜木さんは1塁へ送球して、かろうじてアウトを取った。亜土から返球を受けた桜木さんはホームに返った走者を見て「えっ」とひと言つぶやいた。
1塁にいた走者は帰塁していたが、2塁にいた走者は気配を消して、何食わぬ顔でそのままホームまで帰ってきてしまった。
「そうか、ボールインプレー(※)」
西主将が呻く。
そう、インフィールドフライが宣告されても、キャッチできなかった場合、各走者は帰塁する必要はなく、プレーも続行される。1塁走者とバッターは囮で狙いは2塁走者のホームへの帰還だった。
わざと転んで守備陣の注意を引いたバッターと、1塁に留まることでインフィールドフライがまだ有効だと相手チームに思わせた1塁走者。
これが強豪校を率いる監督の采配か……。
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【解説】
※ボールインプレー
試合が動いている状態。走者は次の塁を目指す権利があり、守備側は走者をアウトにすることができる。タイムなどで試合が停止している状態はボールデッドという。
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