第7球 聖武高校戦
「えっと……」
「質問は受け付けない。とにかく呼びやがれ!」
「はい、すみません」
僕、なんか怒られている?
月を下の名前で呼ぶのはイヤ? だから、自分の下の名前も呼ばせるってどういうこと? ダメだ、僕には数学の難しい問題よりも解けない自信がある。
男子の試合が終わって、いよいよ女子の練習試合が始まる。
ベンチに荷物を置いた僕たちは、まずは簡単なストレッチから始め、キャッチボールをして、シートバッティングに移った。
その間に中条先生が相手校の監督へ挨拶に行ったけど、先生の様子がどうも怪しい。これは一波乱起こりそうな予感がする。相手校の監督は男子と女子の両方の野球部の監督を兼任しているらしく、男子の試合の後も監督だけは向こう側のベンチに座っている。
「いいか、お前ら、絶対に負けは許さん!」
やっぱり、思った通りだ。中条先生がかなり荒れている。いったい相手校の監督と何を話していたんだろう……。
「君、ちょっと来なさい」
「あっ、はい」
中条先生がチームのみんなに吠えまくっている中、僕は相手校の監督に呼ばれた。
「君はもしかして、八景シニアの志良堂太陽くんじゃないのかね?」
「はい、そうです」
去年、夏の甲子園で男子野球が1勝した時にインタビューを受けていたのをTVで見たので顔だけは覚えている。まさか僕の名前を知っているなんて……。
「やはりか、先ほど
「はぁ……」
白髪が混じっていて、歳の割には目が鋭い。まだまだ
「君が高校野球界で知られていない高校にいることは正直どうでもいい」
腕を組んでいる聖武高校の監督は、九家学院高校女子野球部の皆を退屈そうに眺めている。
「どうだね?
つまり、わざと負けてやると話している。監督であれば、練習試合で補欠ばかり選んでも誰も文句を言わないだろう。ましてや昨年の夏に聖武高校を甲子園に連れて行った名将ならなおさらだ。
「今日は聖武高校に胸を借りにきました」
「つまらん練習試合だと思っていたが、君がいてくれて、良かったよ」
「ですが、気が変わりました」
「なに?」
いやぁ、まさか僕みたいな雑草が、甲子園出場経験のある強豪校の監督に対して啖呵を切ることになるとは思わなかった。
「僕たちは絶対に負けません」
中条先生もきっとこの監督に嫌なことを言われたんだろうな。心の底から軽蔑できる人間なんて、そうそう出会えるもんじゃない。
彼は僕たち九家学院の選手だけじゃなく、自校の女子選手まで侮辱した。男子野球だけがいまだに脚光を浴びている時代。女子野球なんてぜんぜん世間から見向きもされないのは紛れもない事実。男子野球を強化ができれば女子なんてどうでもいいと間接的に言ったようなもの。でも、選手を育てるべき監督がそんなことを言っていいはずがない。
「ははっ、これは怒らせてしまったようだ。冗談だよ」
いや、冗談じゃない。さっきの目は本気だった。
「男子部員から審判を出すが、君もやるかね?」
「はい、やります」
中条先生は監督だけど、野球は素人。ベンチとのサインも決めていないので、結局僕がベンチでできることはない。
「そっちのピッチャーの名前は?」
「えっと、桜木茉地さんです」
「へぇ、不良にピッチャーを任せるなんて、三流もいいところだね」
「さあ、それはどうでしょうね?」
この人が桜木さんと揉めた人か。ガムを噛みながら、時々風船を膨らませて遊んでいる。九家学院高校のベンチに戻ろうとしていたら、ピッチング練習をしていた聖武高校のピッチャーに声をかけられた。
グラブで握り方をずっと隠している。変化球を多用してくるピッチャーかも。少なくとも3種類は球種を持っているみたい。
他の女子部員もそうだけど、練習用のユニフォームにナンバービブスを着けており、正式な番号じゃないないことがわかる。
相手は背番号1、エースのようだが、おそらく桜木さんの敵ではない。
「ハァハァ……くそっ」
試合が始まって、約1時間が経過。
3点差で九家学院がリードしている。
相手校のピッチャーは、桜木さんの速球に完全に呑まれていて、スコアは3対0のまま。現在、6回表の攻撃で桜木さんはこの回にくるまで秘密兵器であるカットボールを出すまでもなく、ストレートだけで相手を圧倒してきた。
序盤の1回裏の攻撃で、1番の時東さんがバットに掠ることなく倒れたが、2番の火華と3番の月が連続でヒットを打って出塁。続く亜土は豪快に空振りしていたが、食べ物の名前が違っていたので気になった。5番の林野さんがタイムリーツーベースを決めて2点リードすると、6番の西主将もツーベースヒットを打って一気に3点を奪うことができた。
しかし、2回から聖武高校のピッチャーの変化球のキレが急に増した。天花寺さんだけ2回目のヒットを打った以外は、みんなゴロやフライでアウトを取られてしまった。
6回表の攻撃が終わり、九家学院高校の攻撃が始まる。これまで2打数2安打と完璧な天花寺 月。彼女の場合、どんなに変化量の大きい変化球でも縦だろうが横だろうが、簡単に芯に当ててしまう。ここまでくると、ちょっと怖くなってくる。
縦のカーブだと思うが、落差が大きすぎて、ワンバウンドした。そのため、キャッチャーが捕球しきれず弾いてしまった。そのボールが僕の顔面に飛んできたので、マスクをしていたが、反射的に手を出してキャッチした。
って、このボールは……。
「ボールが汚れているので、交換します」
相手校のボール係が来て、僕が持っていたボールを無理やり奪った。
「た、タイム!」
球審をしていた僕はあわててタイムを取って、相手校のピッチャーのところへ駆け寄る。するとキャッチャーや内野の選手まで走って集まってきた。
「なんだよ?」
「それは君たちが一番よくわかっているはずだ」
先ほど触れたボールに粘っこいものが付いていた。不正投球であるため、本来、警告を行うべきケースではあるが……。
「証拠でもあるの?」
「これから何度でもボールをチェックする。それで不正投球を確認した場合は没収試合とし、君たちの監督にもちゃんと報告させてもらう」
没収試合になっても、彼女らにとっては所詮は練習試合なので痛くもかゆくもないはず。だけど監督にバレるのは彼女たちも避けたいのだろう。しかめた顔のまま「わかった」と返事があった。
「私はどんな球でも打っちゃうけどね」
マウンドからホームベースに戻る。その途中、バッターボックスの手前で軽く素振りをしていた月がひとり言をつぶやいているのが聞こえた。
わざと僕に聞こえるように言った。
月は知っていたのか、それとも今のタイムの最中に気づいたのかも。
でも、今は審判の立場だから、自チームとはいえ、余計なおしゃべりはできない。
ボールパーソンの女子が新しいボールをファーストに渡し、それがピッチャーへと渡った。今日は1回から球審をしている僕に替えのボールを渡さないカラクリが解けたところで試合を再開した。
月が本日、3打数3安打を記録した。次は亜土の番だが、2打席ともタイミングがまったく合っていない。そろそろ誰か食べ物の名前が違うことを教えてあげないと……。でも、正しい食べ物の組み合わせと順番ってなんだっけ? とんかつ、焼き鳥、肉まん、たこ焼き、牛丼、焼き肉、うどん、お好み焼き……いやもんじゃ焼きだったか?
「亜土~、いなり寿司とから揚げ、フライドポテトじゃなかった~?」
おお、月、ナイス!
1塁から大きな声で亜土へアドバイスをしてくれた。
でも、ちょっとだけ違っていたかも?
「いなり寿司、から揚げ、フライドポテっト!?」
2ストライクまで追い込まれていた亜土はタイミングは完璧ではなかったが、ようやくバットに当てることができた。ライト方向にライナー性の低い弾道のまま、グラウンドの外へと消えていった。
「ファール」
今のは惜しかった。
打たれたピッチャーも口をポカンと開けて、打球が消えていった方向を見つめている。
「あの方向の場外へ飛ばしたの初めて見たよ」
「腹減った」
「……」
聖武高校のキャッチャーが亜土に小声で話しかけるが、亜土は話を聞いていない。それにしても突然、バッテリーが切れたように身体がふらつき、ボールがきてもバットを振らずにストライクソーンに入り、三振を取られてしまった。
「おいおい、3対0って、マジかよ?」
「相手、強者」
「監督、戻りました……」
なんだ?
先ほどまでいなかった女子が3人、聖武高校のベンチの中に入っていった。
選手交代。
ナンバービブスを脱いで、相手校の本当の背番号が明らかになった。
3人のうちの一番背が高い女子の背番号は1。桜木さんと同じくらいの背丈で、長い黒髪が腰まで伸びている。ニヤニヤしながら好戦的な目つきで、西主将を睨んでいるおかっぱ頭の女子は背番号2、そして目が開いているのかどうかよくわからない細い目をした女子が6番を背負っている。
「本気を出せてもらうぜ」
「ふん、どうでもいい、とっとと投げてきな」
おかっぱ頭のキャッチャーが、打席に立っている林野さんに声をかけるが、林野さんは無関心で、相手にしなかった。
なっ……。
長身のピッチャーが信じられないくらい屈んでいる。この投球フォームは……。
「くっ!」
林野さんが、あっさり三振を取られてしまった。これは攻略が難しそうだ。
変則的なフォームから繰り出されたのは地面すれすれからボールを放つアンダースローだった……。
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