第2球 俊足の麗人


「約束が違うじゃないか!」

「では、もう1回勝負しましょう」


 それ本当に言ってるの天花寺さん? っと心の中でツッコんでおく。もう野球部にかかわらないって相手は条件を飲んだのに野球部に入部しろだなんて……。でも、気持ちはわからないでもない。あの投球は磨けばおそらくとんでもなく凄いことになる。


「……じゃあ、そこの小動物とアタイが勝負するのはどうだい?」

「ええ、構いません!」


 ちょっ、天花寺さん?

 僕の意思はいずこへ?


 すこし考えた末、桜木茉地が出した答えは、先ほどからずっとビクついている僕を狙い撃ちすること。


 コーチを任せるなら、当然、部員以上に野球はできるんだよな? というプレッシャーをかけてきた。


 勝負は桜木茉地が10球投げて僕が3球以上、外野へ運ぶべばこちらが勝ち。守備には野球部の3人を借りることになっており、もし野球部が守備で手を抜いた場合、ヤンキーチームは無条件で勝利となる。

 

 ボールはカウントされず、もしデッドボールが出た場合は、野球部チームの勝利とすることに合意した。


 打席に立って、第1球、顔の近くをボールが横切った。

 今のは腰を引かせるためにワザとやったに違いない。


 僕は普段、とてもおとなしすぎて中学時代までずっと日陰者だった。女子なんて僕を認識すらしていないだろう。中学時代は同級生の自己アピールばかりの陽キャ男子にいいように弄られていた。だからと言って、人と争ったり、マウントを取ったり取られたりするのも疲れるので、人の輪の中から遠ざかっていた。


 しかし、野球だけは別だ。


 幼い頃に父親とキャッチボールをした時に初めてボールがグラブに吸い込まれた時の音と感触に身体の芯から痺れた。


 あれから無我夢中に野球をやってきた。

 別にプロになりたいとかそういう願望わけじゃない。

 大人になって、普通の会社に就職した後でも好きな野球が続けられたらそれでいい。


 他のことならいくらでも自分を騙せるが野球にだけは、ただただ誠実でありたい・・・・・・・

 野球の勝負である以上、僕はいっさいの手加減はしない。


 素人なりによく練られた配球。

 誰かに教わったわけではなく、本能で攻める投球をしてくる。


 だけど、先ほどの試合中、彼女の癖を僕は見抜いていた。

 外角低めへの速球を1塁側のファールラインのギリギリへ打球を運んだ。ある程度ミートすれば、ボールは内野の頭を簡単に超えることができる。


 桜木茉地は投球動作中、軸足ではない方の足の高さによってボールの高さが変わる傾向があることに気が付いた。足を高く上げたらボールは高めに、逆に足をそこまで上げなかったら、低めにボールが集まる。投球フォームから内角か外角かは判断できないが、高さがある程度わかれば、狙いを定めやすい。


 10球中、ヒット性の当たりは9球であった。ライナーの打球が天花寺さんのファインプレーにより捕らえられ、3塁のベースに直撃してフェアになった打球を除き、内野を抜けたのは7球だった。


「アタイの負けだよ。煮るなり焼くなり好きにしてくれ」

「やったー、これで甲子園への道が近づいた」


 天花寺さんが僕の元へ駆け寄ってきた。

 こここっ、これはもしや熱い抱擁が待っているのでは……と淡い期待をした僕がバカだった。両手で握手を交わして喜びを分かち合う。でも僕は今日は手を洗わず、いかにお風呂へ入ろうかと思案し始めた。


 先ほど教室から野球部の部室へ向かう途中、天花寺さんから聞いた硬式女子全国大会についての話。高校野球は男子だけだと思っていた僕は自分の無知を恥じた。準決勝までは他球場で行われるが、決勝は甲子園球場で行われるそうだ。





 いいな……。


 えっ……なにが?



 今、「いいな」って思った?

 甲子園を目指せる彼女たちのことが……。


 いや、そんなことはない。

 僕は強豪校の推薦を蹴って、今、ここにいる。

 天花寺さんが、きらきらと輝いているからそう感じたのかもしれない。


 部室に戻り、置いていた鞄を取って、すぐに帰宅するべく学校の校門を出た。

 

「おい、待ちな!」

「ひぃぃ!」


 振り返ると桜木茉地と他ふたりのヤンキーが立っていた。下だけ着替えるだけだから、すぐに終わったのだろう。息を切らして追いかけてきたようだ。眉間を曇らせたまま、僕をじっとにらんでいる。


 もしかして、先ほど完膚なきまでに打ち返された腹いせに僕を暴力に頼ってボコボコに痛めつけるつもりじゃ……。僕はこれでも逃げ足には自信がある。こうなったら、どこまでも逃げ切ってみせる。


「アンタの名前をもう1回教えておくれ」

「ふぇ?」


 名前?

 そんなのを聞いてどうするつもりだろう?


 はっ!

 わかった。


 仕返しに僕のことをネット上であることないこと書き込んで、社会的に抹殺するつもりに違いない。


「えーーーーーーとっ、そのーーーーっ」

「早く言え!」

「はっはひっ!? 1年、志良堂太陽ですっ!」


 言ってしまった。

 さよなら僕の学院生活、まさかこんな形で終わりを迎えることになるとは。


「しらどう、てだ……そうか、いい名前だな……」


 あれ? 僕の名前を褒めてくれた?


 走ってきたせいか、頬にほんのりと紅がさしている。視線を逸らし、親指の爪を噛みながらなにか考え事をしている。すこし照れている?


 ──いや、きっとこれは罠だ。

 僕を油断させておいて地獄の底へ叩き落すつもりかもしれない。


「これから急ぎの用があるので失礼します!」

「あっ……」


 桜木茉地がなにか言いかけていたが先手必、逃げるが勝ちだ。


 普段、通学には使わない道へ曲がったりしたので、かなり迂回する形になった。大きな川に架かっている長い橋に差しかかったところで、小学低学年の子が橋の欄干によじ登って綱渡りをして遊んでいるのを目にした。


 あぶないなー。


 早歩きで近づき、驚かせないよう小声で注意しようとした瞬間、男の子がぐらりと体勢を崩したのが見えた。


「くそっまずい!」


 残り約25メートルの距離がある。鞄を投げ捨て全力で駆け寄るが、間に合うかどうかはわからない……。


 走っている途中、斜め後方から足音が聞こえた。あっという間に追い抜かれ、どんどん距離が開いていく。


 九家学院の制服を着たお団子ヘアの女子高生は、走っているその姿は躍動感に満ち溢れ、これほど足の速い女性を今まで見たことがなかった。


 小学生の男の子が落ちそうになった瞬間、手を伸ばしてぎりぎり手首を掴むことができたが、欄干に腰まで乗り上げているため、女の子まで落ちてしまいそうになる。


「んっ!」


 女子校生の反対の手を掴み、なんとか二人とも川下へ落ちるのを防ぐことができた。


 男の子を引き上げ、怪我がないかを確認した女子高生は、男の子をしっかりと叱った。命に関わることなのでとても大事なことだ。すこし注意しただけで、子どもの親に逆ギレされる時代。きちんと叱れる人間が今の世の中にどれほどいるだろうか?


「ところでキミは今年ウチの学校に入った男子生徒かな?」

「はい、志良堂太陽です」


 うわっ。とても綺麗なひと。

 すこし垂れた艶やかな瞳に見つめられているだけで、ドキドキしてくる。細身でしなやかな肢体に視線が行きそうになる。


「キミの走り方は非常に合理的だね。なにか運動を?」

「はい、中学まで野球をやっていました」


 野球はボールを打った後の塁走において、ヒットかアウトかを試合中、何度も試されるスポーツ。そのため、スタートダッシュの重要性を理解しているつもりだ。


「それにしては、少しおかしい。ちょっと失礼するよ……ふむ」

「え、ちょっ、なにを!?」

「発達しすぎた大臀筋の影響か……キャッチャーをしていたのかな?」


 すごい。なぜそれを……。

 っていうか、いきなり膝から太ももまで触られて身動きが取れなくなってしまった。


 たしかにキャッチャーって、膝を畳むため下半身が他のポジションより鍛えられる。ただ、そのせいで柔軟性が失われ、足の速さがいまいちなんだろうと言い当てられた。はっきり言って図星すぎていて、なんだか怖い。


「……さまぁ~~っ!」


 橋の向こうから数人の女子生徒が駆け寄ってくる。同じ九家学院高校の制服だが顔に見覚えがないため、上級生なのかもしれない。


「水那さま、急にどうしたんですか?」

「すまない、ちょっと人助けをしていてな」


 水那さま?

 もしかして、僕のクラスの女子が噂していた九家学院高校四天王のひとり、2年の源 水那みなもとみずな。たしか陸上部のエースで県代表にも選ばれると聞いた。イケメン・・・・ぶりが凄くて、毎日、学校内外の女子から告白されまくっていると話していた。


「 まさか恐れ多くも水那さまに告白をしたのでは?」

「なんて図々しい!  身の程を知りなさい。この虫けら●●●ッチがっ!」


 いやぁぁぁぁぁっ!?

 何もしていないのに、ひどい言われよう。メンタルがどんどん削られて、これ以上は僕の生命活動に影響を及ぼしてしまうかも。


「ふふっ、違うよ、一緒に人助けをしたウチの高校の後輩だ」

「この子が例の1年男子……」


 助かった。

 水那さまに助け船を出してもらわなかったら、廃人になっていたかもしれない。

 はて? なぜ僕まで「さま」をつけているんだろう……。


「それよりさ」

「はい?」


 水那さまが、親衛隊の女子たちへ手を挙げ、すれ違いざまに一瞬、僕の耳元へ顔を近づけ囁いた。





「キミ、可愛いね」



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