第1球 不良少女
「上等だ! 勝負でアタイが勝ったら、舎弟になってもらう」
「ええ、こちらが勝ったら、二度と野球部にかかわらないでください」
2年の桜木茉地へバットを突き出す天花寺さん。
あわわわっ。すごい展開になってきた。
勝負は、3対3の野球のルールで行う。ピッチャーとファースト、ショートのみで、キャッチャーは置かない。バッターは壁を背にし、壁にストライクゾーンを描く。ストライクゾーンの際どいコースの場合はロージンの粉の跡で判定するそうだ。内野の頭を超えたらツーベースヒットとなり、試合は3回まで行われる。
しかし、本当にそれで良いのだろうか?
野球部ふたりに天花寺さんが相手だ。野球部のふたりは当然、ある程度の野球を知っているし、練習もそれなりにしてきているだろう。天花寺さんは中学時代に軟式テニスで県大会優勝を果たしている。彼女の運動神経の良さは僕がいちばんよく理解している。
しかし、桜木茉地の不敵な笑みは不気味で気になる。ああ見えて3人とも野球経験者かもしれない。
「それで、この生き物は何だい?」
今まで僕のことを見えていないかも、と思う程、鮮やかにスルーされていたのに桜木茉地が突然、横に立っていた学院唯一の男子を見た。
ヤンキーだけど、すごく美人だ。
切れ長の目が見下すように顎をあげて僕を見下ろしている。
顔の各パーツはまるで芸術品のようで、四天王のひとりに数えられるのも納得できる。って、そんなことを考えている場合じゃなかった。
「
「コーチ? こんな小動物みたいな生き物が?」
これほど遠慮のない視線もめずらしい。つま先から頭のてっぺんまでじっくり観察されて、眉を歪めたまま鼻で「ふっ」と笑われた。いや、普通に傷つくから僕のことはそっとしておいてほしい。
「まあ、
もう興味を失ったのか、桜木茉地は天花寺さんの方に向き直り、ジャンケンで先攻後攻を決めた。
「素人の動き……でも」
先攻は野球部チーム。守備はヤンキーチームとなった。
投球練習をしている桜木茉地の球は、男子高校球児が投げているのかと見間違うほど球速が出ている。
しかし、投げ方がピッチャーのそれではなく野手投げに近い。
残りのふたりは完全に素人だった。互いにキャッチボールを試みるも満足にできていないし、投げ方も不格好である。
今回は人数が3対3ということで、
攻撃側の1番は野球部のひとり林野さんである。髪型は運動部に所属する女子に多いショートボブで、がっしりとした体型は相当なトレーニングを積んでいることが窺える。素振りを見ても非常に鋭さがあり、期待が持てる。
しかし、片方のチームを応援することはできない。なぜなら、天花寺さんに審判を頼まれたからである。あくまでも公正な視点で両チームをジャッジしなければならない。
とはいえ、主審や塁審を包括した簡易的な審判をおこなう。一塁側の外側に立って審判するため。多少の緩さは避けられない。
「桜木さんを甘く見ない方がいいです」
「え?」
気がつくと、隣にはもうひとりの野球部員である西さんが立っていた。
「あのひと、怪物ですから……」
ゴッ──ボールが壁に当たる音がやけに重く響いた。林野さんのバットが完全に振り遅れたのが見えた。
かなり速い……。
野手投げからの速球はタイミングが取りづらい。投球動作が迅速でありながら、球まで速い。これは簡単に打ち返せる類の球ではないと感じた。
ヤンキー女子の桜木茉地は、校内の球技イベントにおいて常にトップの座を獲得してきた。バレーボールや、バスケットボールなど、彼女の運動神経は並外れており、対抗できる者がこれまで現れなかったそうだ。
「なんでも簡単にやってのける怪物。嫌になっちゃいますよね?」
林野さんは2球目も振り遅れてしまった。
顔が蒼ざめている西さんは、桜木茉地に挑む気力すら失っているようにみえる。
西さんの気持ちは理解できる。
しかし、野球は単に運動神経だけで勝負が決まる競技ではない……。
「大丈夫、勝てますよ」
「え?」
僕を見上げる西さんに笑顔で答えた。
「野球は
3球目。
ボゴッ、と鈍い音を立ててボールが3塁側へ転がる。ヤンキー女子のひとりがバウンドしてきたボールをキャッチできず、グラブの縁に当たって弾いてしまった。ピッチャーの桜木茉地がバックアップに入り、すばやくボールを拾い上げて1塁へ送球したが、球が速すぎて1塁のヤンキー女子は捕球できず、ボールは大きく後方へ逸れてしまった。
林野さんは3塁まで進み、ようやく動きを止めた。
「彼女ひとりが怪物であっても野球は9人でやるもの、桜木茉地さんは怪物の一部に過ぎません」
西さんにバットを手渡しながら、僕なりの考えを伝えた。
「真の怪物とは、投球や守備を含むフィールド全体のことです」
ピッチャーがどれほど凄かろうと、キャッチャーが素人なら速い球は投げられない。ルールもよく理解していない素人の守備は果たして桜木茉地は背中を守られているという安心感を持てているだろうか?
「そうですね……私も怪物に挑んでみます」
先ほどまで蒼ざめていた表情が少しはよくなった。しかし、依然として恐怖を感じているようだ。過去に何かひどい目に遭わされたのだろうか?
あれ? 西さんが左側のバッターボックスに立った。てっきり右側に入ると思っていたのに……。
彼女はブツブツと何かをつぶやきながら、ゆっくりとバットを振った。ピッチャーが投球モーションに入る前から重心の移動を始めていたので、タイミングはドンピシャだった。だが、鈍い音がして1塁側へ転がり、桜木茉地がボールを拾い、自ら1塁のベースを踏んでアウトにした。その間に林野さんがホームにかえって1アウト、スコアは1対0となった。
「くそっ」
かなり苛立ちを見せている。
野球は個人の力だけでは勝てないスポーツである。どう足掻こうが、仲間と協力しなければ、ヤンキーチームはこの先、大量失点を喫する可能性がある。
「──っ!?」
危険球。
球が速いため、危うく天花寺さんの頭に当たる寸前だった。天花寺さんが頭を振ってかわしたが、もし当たっていたら軟球であってもかなり痛みは伴っていただろう。ピッチャーの表情からはワザと投げたわけではないとわかるが、謝罪がなかった。
それにしても、素人であそこまで投げられるなら、確かに怪物と呼ぶにふさわしいと思う。
でも、僕も知っていることがある。
天花寺 月さんもまた
カッ、と芯に当たった音を響かせ、桜木茉地の頭上を軽やかにボールが超えていった。天花寺 月さんは類まれなる動体視力を持つ天才であり、中学時代にやっていたソフトテニスでは、打球を常にラケットの真芯で捉えていたそうだ。
「もういい、やめだ、アタイの負けでいい」
1回の表で4点リードしていた野球部チームは1回の裏に桜木茉地が内野の頭を超えるツーベースを放ったが、他のふたりがあっさりと凡退し、2回目の打順では、西さんのあまり曲がらないカーブに引っかかりゴロになった。素人だとカーブを打った経験すらないので、カーブが来るとわかっていなければヒットを出すのは、むずかしいだろう。
2回表が始まり、野球部チームが5点目を挙げた時点で、ヤンキーチームが試合を放棄した。
「それでは約束どおり……」
「ああ、二度と野球部の部室には顔を出さない」
天花寺さんに問われて、桜木茉地がすぐに返事をした。
意外と潔い。
あっさりと負けを認め、条件を受け入れた。
ヤンキーチームは、ジャージの下を履いているが、上は制服のままである。よほど暑かったのか、試合中にいつの間にかブラウスの第2ボタンまで外していた。そのため、中学時代では見たことのない見事な胸の谷間が露わになっており、必死に視線を逸らす努力をした。
「あー、汗がベタベタする。今日は早めに帰るとするか」
「いいえ、ダメです」
「あ?」
瞬時に空気が重たくなった。
天花寺さんの一言によって、桜木茉地の視線が再び鋭くなった。
「3人とも野球部に入部してください」
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~~~~~ッ!?」
桜木茉地の今日いちばんの大きな叫び声が、運動場近くに響き渡った。
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