白球を天高くかざせ乙女たち! ~九家学院高校女子野球部~
あ・まん@田中子樹
プロローグ
「おねがい! 志良堂くん」
「あ……えーと、その」
どどどどどうしよう?
中学校からずっと憧れていた女の子が僕をじっと見つめている。
僕、志良堂太陽(しらどう てだ)の序列は「雑草」。
草食系男子にもなれないカースト最下層なため、女子と話すのは小学校の遠足以来だ。
そんな僕が、九家学院四天王のひとり、天花寺 月(てんげいじ つき)さんに話しかけられている。もしこれが夢なら心臓に悪いから早く目を覚ましたい。
「志良堂くんって、八景シニアだったよね?」
「う、うん」
たしかに中学時代までは野球をしていた。
しかし、高校ではまだどの部活にも所属していない。
「どうしてもダメ? 野球部のコーチ」
「嫌なわけではないんです……」
同級生の子に敬語で返事してしまった!
でも、憧れの天花寺月さんに会話をしたのを思い出しながら、夕飯はご飯を3杯はおかわりできそうな気がする。
嫌なわけじゃない。
入学してすぐに野球部に入る予定だった。
それというもの、この九家学院高校は昨年まで、九家
シニア時代はまずまずの成績を残したものの、本気で甲子園を目指すつもりはなく、強豪校の勧誘を断ってこの学院を選んだ。
その理由はきわめて単純明快で、目の前の憧れの女子がこの学校を受けると聞いたからに他ならない。
入学して1週間、自分の存在を完全に消し去ることに成功した僕はクラスの女子たちから空気のように扱われていた。3年間、穏やかに過ごそうと努力していたのに嵐が向こうからやってきた。
「
天花寺月さんは隣のクラスに在籍している。休み時間に僕がいるクラスに入ってきた際、ざわめきが広がったが、すぐに落ち着いた。しかし、僕との会話があまりうまくいっていないことに気づいた天花寺さんを慕う女子が声をかけてきた。
「ううん、大丈夫、彼とは同じ中学出身なの」
まずい、他の女子たちの視線が徐々にこちらへ集まり始めている。彼女はこの学院の序列最高位であり、不興を買ってしまったら
「わかり……ました」
「やったぁ! それなら決まりね、放課後迎えに行くから」
承諾してしまった。
とはいえ、まさか野球部のコーチをやることになるなんて……。もともと野球部があったのは知っていた。だが、中学校の進路室でパンフで確認した際に「野球部」と書いていたが、まさか女子野球部だったなんて思いもしなかった。
うれしい。非常にうれしいが、心配でもある……。
天花寺 月さんは僕にとって、唯一無二のアイドル的な存在である。遠くから静かに温かく見守るのが、ファンの美学だと考えていたのにまさかの急接近で、心臓がまだバクバクしている。今日か明日、自分が交通事故にでも遭わないかと不安になってきた。
トイレに行って気持ちを落ち着かせようと席を立った。だが、やはり気持ちが高ぶっていたのか、教室の出口で他の生徒と激しくぶつかってしまった。
相手は女子生徒。僕は今でもそれなりに身体を鍛えており、身長175センチ、体重は65キロはある。
──そんな
相手が彼女で助かった。
びくともしなかったどころか、はたしてぶつかったことに気が付いたかどうか……。眠そうにしながら虚ろな目のまま、自分の席へ座って豪快に寝始めた。
とにかく他の女子じゃなくてよかった。女子に怪我でもさせようものなら、その後が怖くて想像することすらためらってしまう。
気を取り直して、トイレに向かって歩いていると、先の角からこの学院の天敵に遭遇してしまった。
「お、お前は隣のクラスの男っ!」
隣のクラスなのは知っているが名前は知らない。僕が何かしたという記憶もないが、彼女に見つかると必ず因縁をつけられる。
赤毛色のロングでくせっ毛。前髪は作らずに左右に自然に分けている。瞳も赤いので、ハーフかクォーターかもしれない。
「どこへ行く? 変態野郎」
「なっ、なんてことを……僕はトイレに行こうとしているだけです」
「女子トイレで盗撮するつもりだな?」
「そんなことしませんよ、男子トイレに行くだけですから!」
彼女の言い分はこうだ。
今年から共学になったとはいえ、この学校をわざわざ選んで入ってきた男子は、絶対まともではないはずだ、と。
ちなみに僕は彼女を「女子」としてカウントしていない。どちらかというと、どこにでもいる陽キャ属性、イキり系男子のニオイがぷんぷんするから。
「ちっ、今日のところは見逃してやる!」
「いや、そもそも何もしてないですから!」
見逃してやった感を出したまま、赤毛の女子がすれ違いながら、もう一度舌打ちした。
放課後、チャイムが鳴り終わると同時に天花寺さんが迎えにきた。ジロジロとまわりの視線が痛いが、ここはあえて鈍感になることにした。
体育館裏にある部室棟。
その中のひとつに「野球部」としっかりと印字された木でできたプレートが貼られているが、その前に「女子」とマジックペンで書き足されていた。
「失礼しまーす。入部希望の天花寺 月です」
「志良堂 太陽です」
「……」
あれ、返事がない。
天花寺さんはノックして返事も待たずに勝手に入ってしまったので、恐るおそる部室の中に入った。
不思議な光景が広がっていた。
野球部の練習用のユニフォームを着た女子がふたりバットの手入れをしている。しかし、あとの3人は制服のままで四脚のテーブルを囲み、人生ゲームをして遊んでいた。3人はすぐにヤンキーだとわかった。元女子高だが、こんな一目でわかるヤンキーがいるとは。
「野球部って、5人だけですか?」
すごい。
さすが、入学して早くも学院四天王のひとりになった天花寺さん。並のメンタルじゃない。
「いえ、去年の3年が卒業して今年は
おどおどしている黒縁眼鏡のお下げの女子が答えた。
ん? それだと人数が合わないんじゃ……。
「ドンッ」──急に人生ゲームで遊んでいた女子が、ゲーム用のお札をテーブルへ叩きつけて立ち上がった。その大きな音を聞いて、黒縁眼鏡の女子がびくりと肩を震わせた。
「よお、新四天王の天花寺ちゃん」
「あなたは?」
金髪の高身長の女子。
スカートの丈が長めで、立ち上がると僕よりすこし目線が上なので少なくとも175センチ以上はある。
「つれないね。アタイは四天王のひとり、2年の桜木茉地(さくらぎ まち)さ」
うーん、喋り方にレトロ感が……やっぱりヤンキーだからなのか? あと、「アタイ」って、言っているのを生で初めて聞いたかも。
ちなみに四天王というのは、この学院で生徒に人気のある4人の女子のことを指す。入学式で3年の生徒会長は見たので知っているが、他のふたりは知らなかった。
「野球部でないなら、桜木先輩はここでなにをしているんですか?」
「西ちゃんに相談して部室を共同で使っているだけさ、なぁ西ちゃん?」
「は……はい」
桜木茉地が、先ほど返事した黒縁眼鏡の女子の肩に腕を回すと、西さんと呼ばれた女子はうつむきながら返事をした。
「どうせ、脅しているんでしょう?」
「はぁ? どこに証拠があるのよ、天花寺ちゃん」
「私
「人の話を聞かないねーこの子。痛い目に遭わせてやろうか……」
「怖いんですか?」
「ああん? もういっぺん言ってみろやコラ?」
めっちゃ怖い。
こんな修羅場に出くわしたのは初めて……。このままだと僕、お漏らししちゃうかもしれない。
バチバチに視線を激突させるふたり。
「で? 喧嘩でもしようってかい?」
「いえ、違います」
天花寺さんは、桜木茉地から一度視線を切って部室の端へと歩いていき、ある物を握りしめ振り返った。
「もちろん、野球で勝負です!」
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