第二十一章:分かったから少し黙れ

 翌日から、五人はリファールとシルヴィア姫に案内されて、アルバートの宮殿内の庭園を見ながらお茶をしたり、アルバートの観光名所を案内してもらったり、この上ない青春を満喫したのだが、事件は滞在最終日の夜に起こった。


 シルヴィアは、両手で大きな藤(とう)の籠(かご)を抱えていた。籠の中にはたくさんの薔薇の花が詰め込まれている。

 いい薫り……。

 シルヴィアはウキウキしながら、リファールの部屋に向かっていた。リファールと一緒に薔薇風呂に入るのだ。

 城の召し使い達に手伝ってもらって、庭園で薔薇の花をありっ丈摘んできた。リファ、喜んでくれるかな。

 シルヴィアにとって、幼い頃から何度も訪れているアルバートの王城の中は、自分の家のように勝手知ったる場所だった。

 いつもはシルヴィアが行くところ、従者達が付いてくるのだが、リファールの部屋を訪(おとな)うことが分かっているので、今は誰もそんな野暮なことはせず、遠くで控えている。

 シルヴィアはノックもせずにリファールの部屋の白い扉に付いた金の取っ手を引っ張った。


「リファー!お風呂入ろっ!」

 シルヴィアは大好きな許嫁の部屋に入り、びくりと足を止めた。


 シルヴィアの腕からかごが滑り落ち、華やかな薫りを放ちながら薔薇の花が床の絨毯の上にぶちまけられる。


「リファ……?」

 

 シルヴィアの許嫁はベッドの上に居た。

 力なく横たわるリファールの上に、煌(きら)びやかなドレスに身を包んだ令嬢がのし掛かっている。


 シルヴィアは頭の中が真っ白になった。

 誰……?

 サラ・オレインでも、クロエ・カイルでもない。

 緩やかなウェーブの黄金色(こがねいろ)の髪の少女。


「あら、見られてしまいましたね……」

 少女はくるりと振り返り、手の甲で口元を拭いながらペロリと舌舐りした。

 くすくすくす……。

 少女の妖艶な笑い声が響く。

 幼い少女だった。

 十二、三歳ぐらいではないだろうか。


「シシー!来るな……っ!」

 リファールの叫ぶような鋭い声も、全く頭に入ってこない。


「リファール王太子様の許嫁さんね?初めましてですわね。綺麗なお姫様」


「あ、貴女は……いったい……?」

 シルヴィアの声が震える。

 おぞましさに震えが走る。

 リファールは、こんなに小さな女の子と……?


 戸惑うシルヴィアを見て、少女はますます妖艶に嗤(わら)うのだった。


「くす……可哀想そう。リファール殿下の許嫁さんなのに、なーんにも知らないのね?あなたのリファ様は、あなたが思っているような爽やかな王子様なんかではないわ。心の中に化け物を抱えた狂気の王子様よ」


「う、嘘よ……。そんな訳ないわ……」


「シシーっ!逃げろ……っ!!!いますぐクロエ達を呼んでくるんだ……!!!」


 リファールの言葉が、ようやくシルヴィアの頭に届く。

 逃げろ……?

 なぜ……?

 クロエ達を呼んでくる……?


「あら、逃げる必要なんてございませんわ。貴女、呪力ゼロですもの。いかに私好みの美しいお姫様でも、貴女を食べることはできませんわ」

 幼い少女はくすくすと嗤いながら訳の分からない会話を続ける。


「リファール殿下は、とーっても美味しいのよ!わたくし元来、深紅は苦手でしたけど、リファール様は別格。極上の深紅ですわ……っ!」


 一瞬で理解した。

 この少女は、人間ではない。


 シルヴィアは、叫び声を上げた。

 シルヴィアの十七年間の人生の中で、これほど恐怖を感じたことはないと言うぐらい、有りっ丈の恐怖を込めた叫び声が、夜のアルバート王城をつんざく。




「来たか……」


「来たな……」


 寝支度をしていたエドガーとユーシスが目配せをし合った。

 部屋から飛び出すと、向かいの部屋からと寝ぼけた顔をしたサラと、クロエが飛び出してくる。


「ユーシス、急ぎましょう」

 我らがパーティーのリーダーは、先頭をきって走り出した。

 リファールの部屋は把握済みだった。

 赤い絨毯の敷かれている豪奢な階段を一気に駆け上がる。

 最上階の門部屋だ。


 一気に扉を開け放つ。


「飛んで火に入る夏の虫だな……っ!」

 ユーシスが相変わらずの余裕綽々の表情で言う。


「お前ら……」

 リファールが安堵の表情で呟いた。

 傍らでは彼の許嫁であるシルヴィア姫がしゃがみこみ

、ガタガタと震えて恐慌をきたしていた。


「お姫様、我々が来たからにはもう大丈夫ですよ」

 エドガーがシルヴィアに優しく声を掛ける。


「エドガー、どさくさに紛れてリファールの許嫁さんに近づこうったって、そうは行かないわよ……!」

 サラが思わず突っ込む。


「あらあらまあまあ、みなさんお揃いで。みなさま勢揃いで、わたくしの供物になりにきて下さったと言うわけね。極上の紺碧に、翠緑に、純白……!これ以上ない晩餐ですわ……!」


「ふふ……最後の晩餐にならないといいわね」

 クロエが珍しくそんな洒落の効いたことを口にする。なんだか今宵の彼女は楽しそうだ。


「で、出遅れました……!」

 慌てて走ってきたチネが部屋に駆け込み、扉を閉める。


「“挑発”……!」

 チネが迷わず進み出て、最強のヴァンパイアを挑発する。


「まあっ、勇気のある方ね。わたくしに挑発ですって……?後悔しても知らないわよ」

 ヴァンパイアは刃を片手にチネに襲い掛かる。


「“空五倍色(うつぶしいろ)の壁”……!」

 チネはすかさず壁を展開。


 ちっ……。ヴァンパイアは舌打ちして塵(ちり)に変化し、壁の裏側からチネを攻撃しようとする。


「“焼撃”……!」

 エドガーはメリーウェザーが形を成す瞬間を狙って火焔を放射する。

 メリーウェザーは再び塵(ちり)に戻らざるを得なかった。


――なるほど、しっかり傾向と対策をして来ていると言うわけね。わたくしとしたことが、うかつでしたわ。


 霧の中から妖艶な少女の声が響き渡った。


「その通りだよ、メリーちゃん。人間を甘く見るもんじゃないよ。僕達は君を倒すためにひたすら考えたわけさ」

 ユーシスが六人を代表して言う。


「『変幻自在なヴァンパイア』について、僕達はいくつかの仮説を立てた。一つ目は、君のその無敵の変化の能力も、のではないかという仮説。もう一つは、君の生命力(ライフ)の根源が、体力(タフネス)ではなく、呪力なのではないか……?という仮説。だからこそ君は、ヴァンパイアと言いながら、血液や生命力ではなく、『呪力』をドレインするのでは……?」

 ユーシスは余裕の笑みを浮かべながら話し続ける。


「そして、それらの仮説から生み出した、君への最適な攻撃は……これさ」


「“発令――感染症拡大の兆し”」

 クロエが透き通るような冷たい声で呪文(スペル)を口にする。

 今や、クロエの代名詞の一つとなった術だ。

 かざした右手から暗い紺色の呪力が放たれ、粒子となったメリーウェザーに纏(まと)わりつく。


ーー『毒』ですって……!?

 メリーウェザーの声が不安を帯びていた。


「さようなら、メリーウェザー」

 クロエは静かに別れを告げる。


「私が術を発動させている間、貴女は刻一刻と呪力を失う。感染症は、時が経つにつれ症状が重くなるものだから、気を付けることね……」

 六人の術士たちと一人の姫君は、次々と部屋を出ていった。

 

「お、お前達いったい何を……」

 サラとエドガーの後に、怯えるシルヴィア姫を支えながらリファールが部屋を出る。

 チネの挑発効果が発動しているので、メリーウェザーは術士達を追い掛けて部屋から出ることは出来なかった。

 

「ま、待て……お前達……!」

 必死の形相のメリーウェザーが、本性を現して叫ぶように言う。


「そして、極め付けはこれかな」


 純白の術士ユーシスは、憐れみの籠った声で言う。

「“邪(よこしま)なる者の捕獲”」

 

 粒子となって漂っているメリーウェザーを、ユーシスの聖術が捉えた。

「僕はね、この部屋に、予め捕獲の術式を仕掛けておいたんだ。君がアルバートの王太子様に執着していることは分かっていたからね。必ずこの部屋に、もう一度現れるだろうと。……とても残念だよ。もう少し、自分の慾望を抑えて置くことが出来れば、もう少し生き永らえることが出来ただろうに……」

 

「発令――感染症の蔓延(まんえん)」

 クロエが無慈悲に駄目押しのスペルを呟いた。


 最後に残っていたチネを伴って、クロエとユーシスは部屋の扉を開けて外に出た。


 仮説が正しければ、感染症がヴァンパイアの身体を蝕み、呪力がゼロになった瞬間メリーウェザーは消滅するだろう。

 メリーウェザーの焦った顔が、彼らの立てた仮説の正しさを証明しているようだった。 


 部屋の外では、扉に背中を預けるようにしてリファールが座り込んでいた。


「あ、アデルさま……っ!」

 部屋の中から感染症に苦しみ悶え、必死で主人の名を呼ぶ召喚獣の声が聞こえる。


「アデルさま……!」


「アデルさまーーーーっ!」


 リファールはうつむき、両手で耳を塞いだ。

 耳を塞いでも、断末魔のようなメリーウェザーの声は響き続けている。


 たぶん、リファールは、一生忘れないだろう。

 大切な弟が初めて恋した少女の、最期の叫びを。


 リファールは、思い知った。

 哀れな弟は、メリーウェザーに利用されているだけだと思っていた。

 メリーウェザーは、人間を捕食するためにアデルを利用しているだけだと。

 だが、メリーウェザーのアデルへの愛もまた、本物だったのだ。

 メリーウェザーは本当に、アデルのことを心から愛していたのだ。

 

 

 

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彼女が帝国最強の水術士になった理由 滝川朗(旧:イグレットの魔女) @k-gosyo

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