第二十一章:分かったから少し黙れ
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滞在最終日の夜、晩餐が終わった後に、サラはエドガーを夜の散歩に誘った。
サラにとっては身体が震えて心臓が飛び出しそうなぐらい緊張することだったんだけど、エドガーは、何も言わずにサラに付いてきてくれた。
二人で歩いている間中、サラの心臓はずっと耳元で爆音を鳴らしていた。隣で歩くエドガーに聞こえるんじゃないかと言うほどに。
いい加減そろそろ、ずっと先延ばしにしていたユーシスとの約束を果たさねばならない。
ここのところのエドガーの思わせ振りな態度を見て、サラも少しだけ、勇気を出すことが出来たのだ。
二人とも無言だった。
お互いそれぞれ、考えているのだ。
今夜、二人が星空の下、二人きりでアルバートの王城の庭園を歩いている意味を。
日が暮れて真っ暗だったけど、所々に置かれたランプと星明かりが、幻想的な雰囲気を造り出していた。
ロマンチックな宵だ。この上なくロマンチックだ。
すぐ隣を歩くエドガーの手が、さりげなくサラの手を取った。
え……っ?
サラは思わずエドガーの顔をみたが、いつも通り完璧に整ったイケメンは、顔色一つ変えずに前を向いている。
サラはエドガーの意外に滑らかな指の感触を楽しむように、しっかりとその手を握り返した。
嬉しすぎる。頬が熱くなる。
ただでさえ爆音を鳴らしていた心臓が、甘く沸き立つようだった。
助けて。もう無理。一言も喋れない。
二人は手を繋いだまま、黙々と歩き続けた。
サラは、ずっと憧れだった王子様と、生まれてはじめて、今手を繋いでいる。
周りには綺麗な星空、
密着した手と手の感触と、自分の鼓動にしか頭がいかなくなってしまった。
ほどなく、
二人はどちらともなく、白い木材で組み立てられた瀟洒な東屋に立ち入り、細かな草木柄の装飾のされた長椅子に、並んで腰掛けた。
昼間の暑さが嘘のようだ。金属製の長椅子が、夜気を帯びてヒヤリと冷たかった。
ランサーよりも高地にあるこの国は、夜になると暑さも和らぐようだった。
サラはどきまぎした。
今夜、このまま、私たち、どうなってしまうのだろう。
そっとエドガーの顔を盗み見ようとしたら、サラを真っ直ぐに見つめる瞳と目が合った。
サラは、息遣いも聞こえてきそうなほどすぐ間近で、彼の緋色の三白眼を見て、一瞬で悟った。
違う――この人は、サラと同じようには相手のことを見ていない。
冷静な観察者の目だった。
熱く燃えるような感情は不在だった。
「サラ。一度しか言わないからよく聞いてくれ」
エドガーはいつになく真剣な口調で言う。
サラは、とてつもなく嫌な予感がした。
「サラ、俺はお前に謝ろうと思う。面白半分に、思わせ振りなことをして、悪かった」
エドガーの口調はとても真剣で、真摯だった。
「サラ……悪いこと言わないから、お前はユーシスと付き合え」
エドガーの容赦ない言葉がサラに降り注ぐ。
「俺はお前のことが嫌いじゃないが、俺には、
エドガーの言葉は淀みなく、迷いが無かった。
「ユーシスは、長いことお前のこと、想ってくれているんだろう……?そういうやつと一緒になった方が、おまえ絶対幸せだぞ」
この人は、何を言っているのだろう。
意外だった。とてもとても意外だった。
ケルベロスみたいにやんちゃな見た目のくせに。
物凄くマトモな人間なんだ……。
「優しいんだね」
サラは、意外すぎる彼の優しさに触れて、不覚にも涙が出てきた。
サラは両手で顔を覆った。
絶対に泣いたりするもんかと、思っていたのに。
女子力高くてあざとくて、可愛い女の子たちみたいに、泣き落としなんか絶対にしないと、心に決めていたというのに。
この人は女の子を
ユーシスみたいに、据え膳は取りあえずもらっとこうなんて考えはないらしい。
別に全然、もらってくれたっていいのに……。
後腐れが面倒臭いとか思っているだけなのかもしれないけど、とにかく『マトモ』なんだ。
もしかしたら、この人が六人の中で一番マトモな人間なのかもしれない。
エレンブルグ家のご長男様として、正しい教育を受けて、何不自由なく、大切に大切に育てられて来たのだろう。
「貴方はいつも、自分とも、他人とも、ぜんぜん向き合ってない。誰かを本気で好きになったことなんて、無いんだろうね、きっと」
優しいエドガーをなじるような言葉がつい口をついて出てくる。
「誰かを本気で好きになったことなんか、ないんでしょう……?だから、私の気持ちなんか分からないのよ……!ユーシスのことなんか、関係ないよ!ユーシスが何年私のことを想ってようが、そんなの関係ない。私だって、ずっと、ずっと、好きだったのに……!どうしようもないぐらいに大好きなのに……!」
サラは激しくしゃくりあげていた。涙が止まらない。
最悪だ……完全にやってしまった……。
こんなこと、好きでもない女に言われて、喜ぶ人なんていないよね。どう考えても逆効果でしかない。
案の定、エドガーは開いた口が塞がらないと言う顔をしていた。
「なんでだよ。バカだな。お前にそこまで言ってもらうほどの価値はないぞ俺には」
泣きじゃくるサラを前にして、エドガーは明らかに戸惑っている。
本当に、今夜のエドガー・エレンブルグは、彼らしからぬ優しさに溢れていた。
そして、残念ながらサラは、その真摯さに、益々彼のことが好きになってしまうだけだった。
「エドガー、やっぱり、分かってないね……。そんなの、理屈じゃないんだよ」
「ただ好きなんだよ」
好きなんだよ。
ただただ好きなんだよ。
出会った時からずっとだよ。
それがなんでかなんて、そんなの自分でも分からないよ。
「分かったよ……」
息遣いも聴こえそうなほどすぐ近くに座るエドガーは、途方に暮れた子どもみたいな顔をしていた。
「お前がそこまで言ってくれるなら、俺も『他人と向き合う』努力はしてみる。
俺は月並みで、平凡な人間だからな。俺だって、お前やユーシスやリファールみたいに、本気で心の底から好きになれる相手に出会ってみたいと、思わないこともない」
エドガーは、緋色の三白眼でサラを見据えながら、涙に濡れるサラの頬に手を当てて、王子様と言うよりは、深紅の魔獣に近い見掛けにもよらず、本当に優しくて甘いキスをした。
思わずサラの、吐息が漏れる。
サラはずっと憧れていたその人の、相変わらず冷静な緋色の瞳を見つめ返した。
「サラ、お前、ほんとに、俺がはじめてなのか?誰とも付き合ったことないのか?」
「うん。だって、ずっとあなたのことだけ好きだったんだもん」
サラはこくこくと何回も頷いた。
「うけるな」
エドガーはくすくす笑っていた。
「救いようのないバカだな、ほんとに」
「……バカだよね」
でも、良かったよ。
あなたのことだけ一途に好きで。
後悔なんて全然しないよ。
別にいいよ、私のこと、好きじゃなくても。
エドガーは、ユーシスみたいなクズとは違う。
今、他に好きな人がいないんだったら、別にいいじゃない?
そのうちにいつかほんとに本気で私のことを、好きになってくれる日が来るかもしれないし。
サラは幸せだった。
大好きな人の腕に包まれて、最高潮に、幸せだった。
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