2
その夜、唯一リファールの不在に気が付いたのは、クロエ・カイルだった。
クロエは、ぽっかりとリファールの寝床が空いているところを見て、不吉な予感がした。
リファールが、助けを求めているような、そんな予感がしたのだ。
クロエは皆を起こさないように、そっと甲板へ向かった。
導かれているようだった。
甲板は真っ暗で、周りが良く見えなかった。
月明かりだけが頼りだ。
複数の人の気配がする。
一人はリファールだろう。
もう一人は、あどけない、十二、三歳ぐらいの……少女?
いや、少女どころではない。
索敵能力に優れたクロエの目には、その者の放つ禍々しい漆黒の呪力がはっきりと判別できた。
リファールが、闇の魔物に襲われている……!?
「“魂の捕縛”」
クロエは素早く呪文を詠唱した。
「あら、飛んで火に入る夏の虫ね……」
少女はくすくすと嗤いながら言った。
マストの大きな柱にもたれ掛かるように座り込んだリファールのすぐ傍らに寄り添うようにしなだれかかっていた少女がゆっくりと立ち上がり、クロエに向き直りながら言った。
少女は流暢に喋っていた。
会話の出来る魔物が存在するなんて……!
「“魂の捕縛”……?そんなものが私に通用するとでも……?私は『人間』ではないの。高等な、闇の眷族――ヴァンパイアですわよ」
少女は勝ち誇ったように言う。
“魂の捕縛”とは、術士の扱う全ての術を封じる妨害術だった。相手に水術の使い手がいれば簡単に打ち消されてしまう術だったが、相手が漆黒の使い手で、その姿が魔物というよりも少女に近いものだったので、もしかしたらと思ったのだが。
「リファール……!」
リファールは、暗闇の中、甲板の柱に身を預け、息も絶え絶えという様子だった。
助けを呼びにいかなければ……!
「一緒に逃げましょう!
毎晩毎晩、漆黒の魔物の襲撃を受けるなんて、なんと呪われた船なんだ。
「その必要はない」
リファールは、きっぱりと言った。
今にも死にそうな顔をして、何を言うのか……?
「メリーウェザー、いいぞ。その女なら食ってもいい。極上の『紺碧』だろう?お前の大好物だ」
クロエは絶句した。
リファールは薄ら笑いを浮かべながら立ち上がり、ふらふらとクロエに迫る。
「呼んでもないのに自ら
メリーウェザー?
リファールはクロエの左手を乱暴に掴むと言った。
「この華奢な腕。艶やかな黒髪。いつも何かに怯えているようなその顔付き……」
クロエを見据える朱色の瞳が、薄暗い光を放っていた。
「お前を見ていると、自制が
――この人、狂っている。
クロエはようやく、この得体の知れないアルバートの王太子の、正体を見た思いだった。
どうする……?
クロエはあまりの異様な光景に、逆に自分の頭が冴えたように冷静になっていくのを感じた。
水術には攻撃呪文が存在しない。
焔への最強の盾には成り得るし、付与呪文、妨害や打ち消し、『戦略の要』となる術は枚挙にいとまがないが、攻撃だけは出来ないのだ。
左手をリファールに掴まれたままのクロエは、目を
右手に呪力を集中させる。
学院は、中途半端な多色遣いを推奨はしていないので、クロエは授業で風術を学んだことはない。
でも、いつもいつもすぐ傍で、サラがやっていることを、イメージすることならば可能だ。
自分に出来ないことではない。
クロエが目を閉じてイメージを集中させていたのはほんの一瞬のことだった。
クロエの左腕を掴んだままのリファールの手を軽く引き寄せて、クロエは右手を思い切り水平に振るった。
反射的に手を離し、仰け反ったリファールの胸元を白銀の刃が掠めた。じわりと鮮血が滲む。
「風術だと……?」
「まあ、野蛮……っ!私の王子様に、なんてことをするの……っ?」
激高した闇属性の化け物が、クロエに迫る。
クロエは刃を構えたまま、体重を込めておぞましい少女の心臓目掛けてその胸元に飛び込んだ。
手応えが……ない。
クロエはつんのめる。
少女は一瞬にして霧散していた。
「なに、これ……?」
少女は細かい粒子になって辺りを漂っていた。
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