「なぜ……?メリーウェザーは可哀想な女の子なんだよ。僕と同じだよ。いつも深淵に閉じ込められて、僕に喚び出してもらえるのをひたすら待っているんだ。少しぐらい美味しいものを食べさせてあげたって、いいじゃないか」


 弟は、なぜリファールがそれをいとうのか、心底理解出来ないと言う様子で、不思議そうな顔をしていた。やっぱり、根本的なところが、コイツは狂っているんだ。

 産まれた時から、ずっとこの狭い箱庭の中だけで育てられて、何でも好きなものを与えられて、苦痛も困難もない、何不自由ない生活をしてきて、人としての『モラル』を教えてくれる存在も、ここには無かったのだろう。


「もう、限界だ。やっぱり、とうさまと、かあさまの考えは、間違っている。お前は、化物だ。俺は、いまここで、お前を殺す。そうすれば召喚獣のメリーウェザーも、消えていなくなるだろう?」

 リファールは、妙に冷静に、そんなことを口にしていた。

 そして、弟に向かって右手を突き出し、焔の呪文を詠唱しようとする。


「おやめなさい。その前に、わたくし、この子の呪力を残さず食し尽くすことも出来てよ」


 メリーウェザーは躊躇わずチネの首筋に牙を立てた。


「う……ああ……!」

 チネが、傷みに耐え兼ねてその場に突っ伏す。


「美味……」

 ヴァンパイアはくすりと笑う。


「やめろ……っ!止めてくれーーーーーっ!」

 リファールは有りっ丈の声で叫ぶ。

 リファールは、このヴァンパイアに食い物にされることが、どれだけおぞましい傷みを伴うことか、身に染みて知っている。


「そのぐらいにしておいてあげなさい。下賎なヴァンパイアの女」


 その時、その場に、もう一人、登場人物が加わった。

 いつの間に現れたのか分からない。

 この甘美で狂想的な空間を、更に混乱させるような、新たな登場人物は、魔女だった。


 しっとりとした長い黒髪。白い肌。メリーウェザーと同じく、朱色に、引き裂くような漆黒の瞳孔は、悪魔の瞳そのもの。凄みのある美女だった。


「く、黒の王……」

 メリーウェザーは、怯えきっていた。


 そして、けして逆らえぬ王に平伏すように、地べたに這いつくばった。


「ど、どうかお赦しを……!」

 

 魔女はくすりと笑う。


「赦し……?何のことだ。お前はこの上なく素晴らしい仕事をしてくれたと言うのに……?褒美を取らせたいぐらいだわ」


 あっははははは――魔女は嬉しそうに高らかに笑った。


「なかなかどうして……素敵な『化け物』を二人も育ててくれたこと!いい……実にい……!」

 魔女はアデルを指差す。


 イグレットの魔女は大喜びだった。魔女は『漆黒のアバター』とすべく漆黒の呪力の持ち主を人間界で探し回っていたが、見付け出すのは至難の技だったからだ。

 人間は狡賢く、災厄の種になる可能性のある悪魔の力――漆黒の呪力を持つ人間を、徹底的に間引いているからだ。


「さあて、アルバートの王太子様。貴方に大切なお話がある。貴方の賢きお父様とお母様にお願いしてはくださらないか?……私はね、ランサー帝国の学院で子どもたちに術の扱い方を教えている。えらーい先生なのだよ。どうだいロムルスよ。いにしえの焔の龍の名を与えられて生まれた子よ。二人して、ランサー帝国の学院へ入ってみると言うのは……?」

 魔女は縦長の瞳孔をリファールを向けて言った。


「お前も、薄々弟のことが恐ろしくなってきたのだろう?このままいつまでもこんな陰気な場所に閉じ込めておいたら、本当に、本物の化け物になってしまうよ。レムスがまだ人間らしい心を保っているうちに、きちんと闇術を扱うコントロールする方法を学ぶべきだと思うがね。広い西大陸全体見渡しても、闇術を教えられる教師はどこにもいないよ。残念なことにね。お前の大切な弟に、闇術を教えてあげられるのは、私だけさ」

 魔女は傍らに、事切れたように意識を失って倒れている小さな地術士チネ・リリアナの褐色の髪を撫でながら言った。

「もしも今、私がここに来ていなければ、このお前の可愛い用心棒も、今頃弟に殺されていただろうねえ……感謝してもらわなくては」




 翌朝、リファールは美しい魔女を引き連れて、父と母に直談判しに行った。

 自分とアデルを、ランサー帝国へ留学させてくれないか、と。

 リファールは必死だった。藁をも縋る気持ちだった。いつまでも、恐ろしいメリーウェザーと一緒に居たら、自分まで頭がおかしくなってしまう……常々、そう思っていた。そう思ってはいたが、大好きな弟と美しいメリーウェザー、二人の享楽的な魅力にはとても抗いがたく、何か決定的なことがない限り、この泥沼のような生活から抜け出すことは不可能だと思ったのだ。

「十八歳で卒業するまで――たった四年間のことでございますよ。四年間、真面目に術を学んだら、もちろんお二人とも、アルバート王国へ還して差し上げるわ。その頃にはお二人とも、貴国を守る強力な盾へと成長していることを、お約束いたしましょう」

 王と王妃は戸惑った。

 そもそも、深い地下室に閉じ込めて、誰の目にも触れないように慎重に隠していたアデルの存在をいったいどこから嗅ぎ付けたのか?

 なぜ、ランサー帝国が、将来帝国を脅かす存在になるかもしれない闇術士の卵を、わざわざ預かるなどと言い出すのか。

 ランサー帝国が何を考えているのかはさっぱり分からなかった。それでも、アデルの存在を持て余していたアルバートの国王にとっては、まったく悪い話ではなかった。二人ともを、西大陸で一二を争う大国の優秀な講師達に指導してもらえるのならば、渡りに船ではないか。

 こうして、アルバートの王太子アルバート・ロムルス・リファールとその弟アデルは、揃って帝国学院に留学生として編入することとなったのだった。

 二人が、十五歳になる年のことだった。

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