「リファール様、どこへ行かれるのですか……?」

 チネ・リリアナが仁王立ちしてリファールを遮った。


「チネ、部屋で寝てたんじやないのか?夜まで俺に付き添う必要はないんだよ」


 チネはリファールが出掛けるところ、どこへでも影のように付き従っていた。

 婚約者のシルヴィアとお茶をしたり、出掛けたりする時も、常に一緒だった。

 夜も、リファールのすぐ傍の部屋で眠り、何かあれば得意の地術で、王太子の盾となるよう言い付けられていた。


 そのリファールが、夜な夜なふらふらと部屋を出て、いずこかへ向かっているのに、気が付かないチネではなかった。

 リファールはいつも絶対に付いてくるなと厳しく言い付けていたので、チネも敢えて気にしないようにはしていたのだが、リファール様には、シルヴィア姫という大切な許嫁がいるのだ。

 王様と王妃様すら気が付いていない『秘密』がリファール様にあるのなら、なんとしてでも、それを暴かなければならない。


「チネ、いつも言っているだろう。絶対についてくるんじゃないぞ。いかにお前でも、言い付けを守らなければ、罰を与えるぞ。最悪、他の者にボディガードを変えてもらうことになるかもしれない」


 いつもチネのことを労ってくれる、優しい王子が、そんな風に冷たい声をするのは珍しいことだった。

 それだけに、チネは余計に心配だった。


 リファール様は、夜な夜な、何をしているのだろう?

 まさか、この品行方正なアルバートの王太子様が、シルヴィアと言う大切な恋人が居ながら、彼女を裏切るようなことをしているとは、とても思えないのだが。

 チネは居てもたっても居られなくなってしまった。


 リファールにきつく言い付けられたにも関わらず、チネはうっかり、彼の後を付けたのだ。

 それが、どれほど恐ろしい結末を呼ぶかも知らずに。


 真夜中の城内は明かりも付いておらず、リファールが手に持つ蝋燭の光だけが、ちらちらと妖しく辺りを照らしていた。

 でもその暗さのおかげで、チネはリファールに気付かれず彼の後を追うことが出来たのだった。

 彼に悟られぬよう、距離を取って歩くが、蝋燭の明かりのお陰で、その姿を見失うこともない。


 蝋燭に照らされたリファールは、死人のような顔をしていた。

 叱られた子どもが、懲罰を受けると分かっているのに教師の元に向かわざるを得ないというような、暗澹とした顔だ。


 チネは胸騒ぎがした。リファール様にあんな顔をさせる相手とは、いったい何者なのだろう。

 リファールは、長い長い地下への階段を下っていった。チネは足音を立てないように必死にご主人様を追い掛けたが、そのうちに、ふっと蝋燭の灯りが消えた。

 辺りは完全に闇に落ち、一寸先も見えない。


 チネは手探りで壁に手を当て、その感触を辿りながら進んだ。

 そして、一つの扉を探り当てた。

 中から微かな灯りと、さざめくような笑い声が聞こえてくる。楽しそうな笑い声だ。

 チネは少しだけほっとして、そっと、その扉を開けた。

 そこには、チネがこれまで見たこともない、お伽噺の挿し絵のような、頭がくらくらしてくるほど甘美で絢爛な世界が広がっていた。


 中央に座った、緩いウェーブの黄金色の長髪をしどけなく肩に流した少女は、黒いヴェルベットの高級そうなドレスを着ている。

 手には薔薇の装飾のされたティーカップ。

 だが、どこか享楽的な雰囲気が否めないのは、彼女の肌が余りに白すぎることと、両の眼窩に嵌まった虹彩が、血のように鮮やかな朱色であり、艶やかな唇も、同じく血の色をしていることだろう。

 見た目はは十二、三歳の少女にしか見えないのに、背徳的な甘美を感じさせるような、何とも言えない妖艶さを持っている。


 そして、何よりも奇妙なことは、少女の隣に座った少年が、鏡に映したようにリファール様に瓜二つだったことだ。

 瓜二つだが、リファール様が燃えるような赤毛なのに対し、その少年の髪色は、漆黒だった。

 そして、日の光を一切浴びたことのないような、透き通るような白い肌をしていて、どこか、幸の薄そうな、寂しげな表情をしている。

 爽やかで朗らかなリファール様とは、対照的だ。


「チネ……!?なぜここに?付いてくるなとあれだけ言ったのに……っ!」

 リファール様の緊迫した声が薄暗い部屋に響く。


「あら、いらっしゃい。新しいお客さまね。なんて可愛らしいお嬢さんでしょう」


 少女は蠱惑こわく的な笑みを浮かべながら優雅に立ち上がると、まるで幽鬼のように、滑らかに、チネのすぐ目の前へと迫った。

 そして、チネの顎を掴むと、舌舐りして言うのだった。


「それに、なんて、……美味しそう……」

 チネは全身が粟立つのを感じた。


 例えようもないほどの恐怖。真っ赤な虹彩の中に、引き裂くような縦長の瞳孔が、チネを貫いた。


 身体がガタガタと震え出す。


「う、“空五倍子(うつぶし)色の壁”……っ!」


 チネはほぼ叫ぶような声で呪文を詠唱した。

 本能だった。

 本能が、全力で身を守れと警告している。


「くす……おばかちゃんね。そんなもので身を守れる訳もないのに」

 少女はにこりと笑って、……霧散した。

 散りぢりの粒子となって漂い出し、粒子はチネのすぐ背後で再び形を成した。

 チネが振り返る暇もなく、少女はチネの首筋に手を当てていた。

 氷のように冷たい手。

 殺される……!


「やめろ……っ!約束しただろう!?俺の呪力ならいくらでもやるから、他の人間には手を出すなと……っ!」


「あら、だって、目の前にこんなに可愛い餌(エサ)をぶら下げられて、お預けなんて到底無理な話だわ」


「“焼夷“……!!」

 リファールは完全にキレていた。


 積もり積もったメリーウェザーへの怒りが抑えられなくなっていた。


「だーかーらー、貴方の攻撃は、私には当たらないんだってば。何度教えてあげたら理解出来るのかしら?」

 ヴァンパイアの少女はクスクス笑いながら再び霧散する。


「アデル……っ!お願いだ!こいつはお前の召喚獣なんだろう?止めさせてくれ……こんなことはもう、こりごりだ……っ!」

 リファールは大好きな弟に、一生懸命訴えた。

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