第十五章:チネ、いつも言っているだろう。絶対についてくるんじゃないぞ。いかにお前でも、言い付けを守らなければ、罰を与えるぞ

 決定的だったのは、メリーウェザーが現れたことだった。


 それまでは、まだ平和だったのだ。

 リファールの双子の弟である、アルバート王国の第二王子アルバート・レムス・アデルは城の地下の、幾重にも結界が張り巡らされたじめじめした部屋に閉じ込められて、その存在はひた隠しにされてはいたが、リファールはいつでも好きな時に可愛い弟に会いにいくことが出来たし、アデルは両親にはとても愛されていて、美味しいご飯も毎日お腹いっぱい食べさせてもらっているようだった。


 漆黒の呪力を持つ人間は、数千万人に一人生まれるか生まれないかの存在だと言われている。

 アルバートの国王と王妃は、呪われた悪魔の力を持って生まれたアデルを、一思いに間引くことが出来なかった。彼らは哀れな双子の弟のことを、世間からひた隠しにしながらも、大切に大切に育てていた。抹殺することはいつでもできる。だが、大切に育てておけば、もしかして、いざという時の『切り札』となる可能性がある。

 国王と王妃は、アデルに最低限の術の使い方を教えられる教師を付けて、第二王子を地下深い部屋の中に閉じ込めていた。

 

 言うまでもなく、深紅の呪力は、陰術の極である漆黒の呪力の配下にある色だった。

 深紅の呪力を持つリファールにとって、漆黒のアデルは、本能的にも心惹かれ、憧れるべき存在だった。

 つまりリファールもまた、可愛い弟のことを、溺愛していたのだった。




 アデルとリファールが九つになった頃のことだった。

 二人の前に突如として現れたその少女のことを、アデルは嬉しそうに紹介してくれたのだった。


「僕にはじめてできたお友達、『メリーウェザー』って言うんだ」


「あなたが、噂の『リーファ』ね。お会いしたかったわ。アデルからは良くお話を聞いていたのよ」


 アデルとリファールより、少し年上に見える、おそらく十二歳前後の少女だった。

 ふわふわとした輝く黄金色の髪。

 とても愛らしい少女なのだが、肌は青白く、虹彩は血のような朱色。唇も同じく、血のような色をしていた。


「あなたアデルにそっくり……でも、深紅の呪力が、とっても、美味しそう……」

 恍惚とした表情だった。

 リファールは人間の少女にしては、妖艶すぎる眼差しに、本能的な恐怖を感じた。


「ど、どうして、鍵の掛かったこの部屋に、僕ら以外の人間がいるのさ……っ!」

 リファールは必死で言い募った。


 この部屋の鍵を持っているのは、ひた隠しにされているアデルの存在を唯一知っているアルバート王家の家族だけのはずだ。

 少女は戸惑うリファールに微笑んで告げる。


「さあ、どうしてでしょう……?」

 少女は目を細めてリファールを見ている。


「リーファにも許嫁がいるんだからいいでしょう?僕もね、可愛い女の子のお友達が欲しかったんだ。メリーウェザー、本当に可愛い子でしょう?」

 アデルは恍惚とした顔をしていた。

 無邪気だった弟は、どこへ行ってしまったんだ?

 いや、無邪気なのか……?

 漆黒の呪力を持つアデルにとっては、このような禍々しい少女のことが好ましく見えてしまうものなのだろうか。

 

 恐ろしすぎて、その日は命からがら逃げ出した。

 あれは、どう見ても人間ではない。

 あのままあの場に居たら、リファールも食い殺されていたかもしれない。




 その日からだった。

 アルバートの王城内外で、美しい少女の姿をしたヴァンパイアの噂が聞こえ始めたのは。

「怖いわよね……女性の術士ばかりが狙われているんですって。純白や、紺碧、それに翠緑の術士がお気に入りだそうよ」

 朝食の席で、リファールの母――つまり、アルバートの王妃は、夫であるアルバート王国国王にぼやいていた。


 リファールはギクリとした。

 少女の姿をしたヴァンパイアだなんて。あの日見たメリーウェザー以外に考えられないではないか。

 リファールは恐ろしくて、あの日以来一度もアデルの部屋を訪れていなかった。


「お、襲われた術士たちは、どうなったのですか……?」

 リファールは恐る恐る母に聞いた。


「えっ……?え、ええ。吸血鬼って言ったら、血を吸うものかと思っていたのだけど、血を吸うんじゃなくてね、呪力を吸いとるんですって」

 母は朝食のポタージュスープにパンを浸しながら説明する。パンを浸して食べるのは行儀が悪いと、自分はいつも怒るくせに。


「呪力を吸われた術士がヴァンパイアの仲間になってしまうとか、呪力を吸われて死んでしまうとか、そう言う話なら軍や警察隊も本気を出すところなのだけどねえ……。ヴァンパイアに襲われても、呪力を取られるだけで、特に困ることがあるわけではないみたいなの。それでも……気持ち悪いわよね。夜な夜なそんな、怪物に襲われたら……」


 ヴァンパイア騒ぎなんて、王国始まって以来の珍事だった。皆、吸血鬼伝説なんて、都市伝説の一つとしか考えていなかった。本当に、現実にヴァンパイアが現れるなんて……。


 リファールはその夜、意を決してアデルに会いに行くことにした。

 『怖いもの見たさ』だ。

 あの日目にした、美し過ぎる化物の正体を暴きたくなったのだ。

 怖くて溜まらないけど、もう一度会ってみたい。

 九歳の少年にとって、美し過ぎるヴァンパイアは、何とも心惹かれる魅力的な存在でもあった。


「いつ会いに来てくださるか、今か今かとお待ちしていましたのよ。ご一緒に、お茶でもいかが?」


 果たして、薄暗い城の地下室で、大切な弟であるアデルをたぶらかす妖艶な美少女は、にっこりとしてリファールを出迎えた。

 美少女は今日も、ベルベット生地の華やかなドレスと、きらびやかなアクセサリーで着飾っている。

 二人は優雅にお茶していた。


 どこから持ってきたのか、アデルの部屋の質素なテーブルの上には、薔薇の装飾のされたきらびやかな紅茶のセットとジャム、クッキーなど、高価そうなお菓子が並べられている。


 リファールは赤面した。

 メリーウェザーはアデルの身体にぴったりと寄り添っている。

 まるで、恋人同士みたいだ。


「や、やめろよ、アデル。そいつが普段何をやってるのか、知ってるのか?アルバートの、大切な術士達を襲って、呪力を吸いとってるっていう話じゃないか……っ!」


 リファールは、アデルとヴァンパイアの少女が繰り広げる異様な光景に、心をほだされてはいけない、と焦りながら、震えそうになる声を励ました。


「ば、化物め……!アデルをたぶらかすのはやめろっ!」


 クスクス……。メリーウェザーは心底愉しそうに笑うのだった。


「なーんにも分かっていないのね、王太子様。アデル殿下が何者だと?あなたの弟君は、漆黒の呪力を持つ『闇術士』ですわよ。闇術の真骨頂と言えば、『召喚術』ですわ」


 リファールももちろん、知ってはいた。

 アデルはこの世に存在を許されない、漆黒の呪力を持つ人間だ。

 そして、漆黒の呪力を持つ者が扱う『闇術』の真骨頂と言えば、『魔物を使役する力』だと言われている。

 焔術、水術、風術、地術、聖術、闇術――六系統ある術の中で、唯一、『魔物の召喚』を事とする術だ。


「何か、困ることでもあるかな?メリーウェザーは、可哀想な女の子なんだ。僕に会うまで、メリーウェザーは暗い闇の深淵に独りぼっちで棲んでいて、いつもお腹を空かせていたんだよ。ほんの少しでいいんだ。ほんの少し、人間の呪力をもらうだけで、メリーはとても元気になれるんだよ。できることなら、僕の呪力を分けてあげたいところなんだけど……それは、出来ないんだ。闇の眷族であるヴァンパイアには、漆黒の呪力を食物とすることは出来ないみたいなんだ」


 アデルの言葉に、リファールの思考は激しく混乱した。


 アデルは漆黒の呪力を持つ闇術士だ。

 そして、メリーウェザーはアデルが使役する召喚獣。アデルは彼女を使役する対価として、アルバート王国に住む術士たちの呪力を、差し出しているだけ……?


 九歳の少年であるリファールの中の、『モラル』と言う名の価値観が、危うく砂城のように崩されていきそうだった。

 たしかに、何も困ることはない。

 別に、構わないのではないか……?

 ほんの少し、呪力を渡すぐらいのこと……。


「クスクス……本当に可愛らしい男の子ね。女の子の呪力の方が『美味しい』から、わたくし、呪力を分けてもらうのは女の子って決めてるんだけど、貴方ならいいかも。綺麗な深紅だわ。とっても……美味しそう……」


 美しいヴァンパイアが近づいてくる。

 ふわふわと美しい黄金色の髪をなびかせて。

 深紅の虹彩の中の、引き裂くような縦長の瞳孔が、獲物捉えたように、リファールをひたと見据えていた。

 リファールは余りの恐ろしさに、後退りした。

 本能的な恐怖が、再びリファールの全身を支配する。


 こ、殺される……!


 だが、同時に、なんとも抗いがたい、背徳的な魅力も感じてしまう。

 深紅のリファールにとって、漆黒の呪力を持つヴァンパイアは、抗いがたい魅力を持つ存在だった。

 リファールの背中が壁にぶつかる。


 もう、逃れられない。


「うわああああああーーーーーーー……っ!」


 リファールは、断末魔のような叫び声を上げた。

 あまりにも、耐え難いほどに不快だったからだ。

 ヴァンパイアに食い付かれた首筋へ向かって、身体中の呪力が逆流する感覚。

 『死』を体感するようなおぞましい感覚だった。

 無理だ。

 このおぞましい感覚――何か、困ることでもあるかな?だって?

 こんなの、めちゃくちゃ困る。まったく、『構わない話』ではない。


 リファールは、それを体感することにより、襲われた女性達の恐怖を身を持って思い知らされることになった。


「あら、もう終わりなの……?もうちょっと……くださらない……?」

 メリーウェザーは薄ら笑いを浮かべて、よだれを拭うように手の甲を口元にやりながら言った。


「やめて……やめてくれ……っ!」


 リファールは必死で拒絶した。

 リファールの身体から、激しい深紅の呪力が吹き出す。


「“焼撃しょうげき”……!!!」

 リファールは叫ぶように呪文を唱えた。


 有りっ丈の深紅の呪力を込めた激しい焔がヴァンパイアを襲う。

 はあ……はあ……っ

 リファールは荒い息を整えながら、薄暗い部屋を明るく照らす焔を見据えていた。

 やったか……?

 だが、あまりにも手応えがなかった。

 焔を放ったはずの場所に、ヴァンパイアの姿は、影も形もない。


――クス。残念ね。貴方には、私を倒すことはできなくてよ。

 すぐ耳元で、妖艶な少女の声が聞こえてきた。

 ゾクリと背筋が寒くなる。


「そうなんだ。リーファ。メリーウェザーは無敵なんだ。彼女はね、自分の身体を細かい粒子にに変化させることが出来るんだ。いつでも好きなとき、好きなタイミングでね。だから、この部屋にも入り込むことが出来たし、術士の女の人達のところにも、『霧』のように空気に紛れて忍び込むことが出来ると言うわけ。こんなに最強な召喚獣もいないと思うよ。そうは思わない?」


 狂ってる……。

 リファールは生まれてはじめて、悪魔の呪力を持つ弟のことが恐ろしくなった。

 闇の魔物を使役するために、あんな、おぞましい行為を正当化するのか……?


「アデル。止めるんだ!アルバートの大切な術士たちに、あんな恐ろしい思いをさせてまで、そんなことまでして闇の魔物を使役する必要なんて、あるのか……!?」

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