学年約百人の学生たち、教師陣も含め、その場に集まった者達は、お祭り騒ぎだった。試合形式の授業がある日はいつもそうなのだが、今日の対戦カードが、いつも以上の熱気をみんなに与えていた。


 観客達の熱気に負けず劣らず、リファールチームも、クロエチームも、気合いが入りまくって引き締まった顔をしていた。


「“減衰領域の展開【深紅】”」

 試合開始の合図と同時に、素早く初手を放ったのは、クロエチームの聖術士フレイ・アサルだった。

 フレイの足元から、深紅をくすませたような滅赤けしあか色のオーラが広がっていく。フィールドへの付与呪文。


「こないだのユーシスの術の、お返しさ。腹立ったから、あれからオレも練習したんだよね……結構、ムズいじゃんこの術……!」


 ユーシスは前回、フィールド全体に翠緑と紺碧の呪力消費を半減させる呪文を掛けたが、今回、フレイは逆に、深紅の術の、呪力消費を『倍増させる』術を使った。

 クロエチームに深紅はいない。

 バトルフィールドにいる六人のうち、深紅はリファールだけだ。

 リファールチームのリーダーで、唯一のアタッカーが、倍の呪力を消費しなければ術を使えないと言うのは、なかなか厳しい状況だ。


 ところが、リファールは全く動じた顔もせず、前衛に進み出てきた。


「“火山雷かざんらい”」

 

 まじ……?観客がどよめく。

 たしかに、リファールの得意とする術は、『主人公の勇者』に相応しい、雷系の術だった。

 しかし、雷系の呪文は、ただでさえ呪力の消費が激しい。呪力消費を倍増させられた状態で、取る手としてはどうなんだ?


 フレイは慌てて雷に対応した。

「“招雷しょうらいの小手”」


 火焔がくれば、当然水術が盾になるが、雷だけは水術では防げない。雷撃を防御できるのは『聖術』だけだ。

 リファールの雷の威力は、フレイもよくよく理解しているところだ。

 この人を敵には回したくないな……とフレイも前々から思っていたところなのだから。


 『招雷の小手』は雷を吸収する。

 しかし、フレイ自身も、先ほどの“減衰領域の展開”で、けして少なくない呪力を消費してしまっている。

 リファールの術が呪力を倍増させられているとは言え、いつまでもそれに耐えられる自信はない。


「“発令――感染症拡大の兆し”」


 クロエは最近、習得したばかりの新技を披露した。

 ユーシスはクロエの手の内を全て知っているので、出し抜くためにはユーシスも知らない新たな技を使うしかない。


 なんだ?そのふざけた名前の術は……。

 観客達は一斉にどよめく。

 とても珍しい術だ。

 水術士でも一部の生徒しかその存在を知らないだろう。


「じゃ、そろそろ私も攻撃開始かしら。早く決着しないと、フレイが可哀想だしね」


 相変わらず激しい火山雷が降り注ぐ中、サラは得意の遠距離攻撃を仕掛ける。


「“半神族エルフの猛襲”」


 すかさず地術士のシレンが進み出る。


「“空五倍子色うつぶしいろの壁“”」


 焔術士リファール対聖術士フレイ、風術士サラ対地術士シレンの術の掛け合いが繰り広げられる。

 これだけ見れば、よくある構図だ。

 基本的には、単純に術の威力の強い弱い、呪力の所要量の多い少ないで、決着が着く。

 ただし、スリーオンスリーなら、そこにもう一人、コントロール役がいるのだ。

 リファールは消費呪力を倍増させられている。――さらに、先ほどの「感染症効果」だ。


「『感染症』……?」


 リファールチームの盾役の男子学生シレンが、青い顔をして呟いた。

 苦しさに耐えきれず片膝を突く。

 『体力タフネス』が、いや、体力だけじゃない。体力とともに呪力も、刻一刻と削られている。

 リファールとシレン、ユーシス、そして観客も、少しずつ事態を理解し始めていた。


 『感染症』とは、つまり、『毒』のことか。

 モンスターならば、『毒効果』の付いた攻撃や技を使ってくるものはゴロゴロいる。

 だが、術士が『毒』を使うとは……。珍しい術もあったものだ。


「そう……『毒』よ」

 クロエは笑っていた。


 観客全員が、恐怖を感じていた。

 笑っている。あの、感情の起伏が薄く、滅多に笑顔を見せない『氷の女王』と渾名されていたクロエ・カイルが……笑ってる……?


 『自信』に満ち溢れたその姿は、「最強の水術士」そのものだった。


「さあ、どうするの?ユーシス。何の術を詠唱しているのか知らないけど、そのまま術の完成を待つ間に、仲間が二人、生命を落とすことになるわよ……?」


 『毒』の治癒の術が行えるのは聖術士だけだった。

 学院に通う聖術士は、毒効果を持つモンスターと遭遇した時のために、全員が必ず、何かしら解毒の方法を習得している。

 毒で体力タフネスあるいは呪力を失えば、もれなく人間は死に至るためだ。

 

 ユーシスは、じりじりしながら、選択を迫られていた。

 チームを勝利に導くために、フレイの扱う招雷の小手――呪力の装備品アクセサリーを破壊する術を詠唱し続けるか、今すぐ詠唱を中断し、パーティー全体の解毒を行うべきか……。

 雷撃を避けるための唯一の術であるフレイの“招雷の小手”を破壊することは、すなわち勝利に直結する。

 ただし、それまでに自分たちの体力が持つかは分からない。


 ユーシスは、リーダーであるリファールの顔色を伺う。

 リファールは攻撃の手を緩めない。

 傍らに立つ盾役のシレンは、片膝を立てて苦しげに息をしているにも関わらず、同じく「毒効果」を受けて、なおかつ「減衰の領域」の効果もその身に受け、今にも呪力が底を尽きるかもしれないという状況で、リファールは顔色一つ変えずに、フレイに雷撃を仕掛け続けていた。

 なぜなら、オールマイティーに動ける手札を持っている、聖術士フレイを自由にすることが、盤面をさらなる苦境に追い込むことが分かっているからだ。

 リファールの雷撃から仲間の身を守るために、フレイは雷吸収の術を発動させ続けていて、その間、フレイは別の術を発動させることが出来ない。――つまり、リファールは 最悪死に至る『疫病』に侵されながらも、身体を張って聖術士フレイの動きを止めていると言える。


 彼の、『意地』に応えるしかないだろう。


 別に、リファールに『サラを殺す』と脅されたからと言うだけの話ではない。

 ユーシスも、リファールが生命を張って勝利を掴もうとしている姿に、心を動かされないわけはなかった。

 先日、わざわざリファールが、ユーシスの部屋まで押し掛けてきたのだって、元を正せば、この普段は腹立たしいほどに爽やかな優等生ぶっている男が、その正体をさらすほどに、『勝利』への飽くなき欲求を持っているからだろう。

 自分には、到底持ち得ない執念。

 それに、水を差すほど自分も、落ちぶれてはいない。


 ユーシスは静かにリファールと、フレイの激しい攻防が繰り広げられている最中さなかへと足を踏み出した。


「“忘却”」


 ユーシスは、呪文の詠唱を終えた。

 フレイの『招雷の小手』が、跡形もなく消え去る。

 ユーシスが単純な呪文の打ち消しではなく、詠唱に時間の掛かる“忘却”の術を使ったのは、クロエチームから、雷への盾を完全に奪うためだった。

 “忘却”させられた術は、試合終了時まで、再び唱えることが出来なくなる。


「終わりだ、な……クロエ・カイル……」


 気が抜けたのだろうか、リファールの顔が初めて苦しみに歪んだ。息も絶え絶えと言う様子だ。

 リファールは、身を守る術のなくなったクロエのもとに、ゆっくりと歩みより、いつかと同じように『ゲームセット』を告げようとしていた。

 しかし、クロエは同時に、悲しげな顔をして告げる。

「リファール、残念だわ……『感染症』はね、時間の経過とともに、症状が重くなるものなのよ」


「“発令――感染症の蔓延まんえん”」

 クロエの無慈悲なスペルが、リファールチームの三人に決定打を与える。


 シレンは、耐えきれずその場に倒れ伏した。

 

 ところが、リファールは、死の瀬戸際に立ちながらも、怯まずクロエに近づく。


「クロエ、お前は強すぎる。今ここで、死んでおくか……?」

 リファールがクロエにだけ聞こえるような声で囁くように言う。


「な、何を、言っているの?」

 クロエは身近に死を感じた。


「そこまで……!そこまでよ……!」

 イグレットが他の教諭達を差し置いて生徒達の前へ歩みより、試合を中断させた。


「まったく、愚かな子たちね……こんなになるまで闘い続けるなんて」

 美しい魔女は呆れている。

 

「リーファ……っ!」


 悲鳴に近い声が演習場に響いた。

 試合の成り行きを見守ってざわめいている観衆は、その中に、見慣れない少年が混ざっているのに、全く気が付いていなかった。

 誰も、リファールの綺麗な顔に良く似た、整った顔をした黒髪の少年のことを、知らなかった。


「アデル……」


 それでもリファールだけは、はっきりとその顔を見た。

 そして、約三年ぶりにアデルの顔を見て安堵したリファールは、次の瞬間、意識を失った。



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