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ユーシスが学院の授業に打ち込んでいたのは、別にそれによってクロエの心を絆せるかもしれないなんて、思ったからではけしてなかった。
ユーシスは目標を一つ定めたのだ。
それは、後期考査でクロエと、リファールを差し置いて首席を取ることだった。
恋愛をすることにはもう飽き飽きだったし、明確な目標に没頭することは、全てを忘れさせてくれる材料だった。
そう思っていたのに、後期が始まって数週間で、思いもよらないことが起こった。
――放課後、中庭のイチョウの樹の下に来て欲しい。
そんな、端正な筆跡で綴られたメモを、クロエから受け取ったのだ。
ユーシスは半信半疑でその場所へ向かった。
クロエも、いい場所を良く知っているな、と思った。
寮の食堂と学院の校舎の間に挟まれる中庭のその付近は、木々が目隠しになっていて、周りからの視線を遮ることが出来る。普段は誰も近寄らない寂しい場所だ。
二人きりで話をするにはうってつけの場所というわけだ。
クロエは、憂いを帯びた藍色の瞳を俯(うつむ)けて、静かにベンチに座って待っていた。
「どうしたの、クロエ」
ユーシスは思わずそう言っていた。
元々感情表現の乏しい、幸の薄そうな顔をしてる子だけど、最近、特にそれが徹底されている気がしていた。
すべての希望を一遍に失ってしまったような、うちひしがれたような顔をしている。
「……私と、付き合ってくれない?」
ユーシスはあまりのことに、絶句した。
クロエは青ざめた顔を俯けたまま、ユーシスの顔を見ることもなく、冷めた口調で言った。
吐き捨てるみたいに。
ユーシスはそんなクロエに、心を打たれていた。
「本当に、どうしたの、クロエ。何か、あった……?」
ユーシスは絶望に塗り込められたような顔をしているクロエの隣に座った。
「話してみたら?解決する方法を、教えてあげられるかもしれない。僕は、恋愛関係の相談に乗ることにだけは自信があるんだよね」
ユーシスは出来るだけさりげなく聞こえるように気を遣った。
クロエはきっと、何でも自分の心の中にしまい込むタイプだ。
誰かに相談なんて、たとえ彼女に最も近い場所にいるサラにだってしないだろう。
こともあろうに、その一言だけで、クロエは、激しく泣きじゃくり始めた。
「うっ……うっ……」
嗚咽を、無理に押し殺しているみたいに泣き続ける。
あのクロエが、こんな風に子どもみたいに泣くなんて。
ユーシスは、はじめてクロエを心の底から「可愛い」と思った。
ユーシスは思わず、その震えている肩に慎重に手を掛けて、そっと引き寄せた。
「さすがに、可愛い過ぎるでしょ」
ユーシスはその耳元に呟く。
しゃくり上げながら身体を震わせているクロエは、か弱くて壊れ物みたいだった。
いつも、研ぎ澄まされた刃みたいに、張り詰めた顔をして授業を受けてるくせに。
「可愛くなんかないっ。自分が嫌いなの。どうしようもなく醜い自分が、大っ嫌い」
「何を言っているの?」
ユーシスは呆れて言う。
「可愛いでしょ、クロエ。めちゃくちゃ可愛いよ」
ユーシスはクロエを慰めるためではなく、本心から言った。
ユーシスの腕の中で、クロエはずっと泣き続けていた。
「もうイヤなの……ぜんぶイヤになったの、忘れたいの、何もかもぜんぶ、忘れたいの……」
クロエはしゃくり上げながら小さな声で訴え続ける。
間もなく黄昏時だった。
ユーシスは、子どもみたいに泣き続けるクロエの、艶やかな黒髪を頭の後ろから何度も撫でてあげた。
髪を撫でながら、黄昏時の薄暗い光の中、宝石みたいに零れ落ちていくクロエの涙を唇で丁寧に掬い取った。
掬い取っても掬い取っても、クロエの涙は繰り返し繰り返し零れ落ちる。
拒絶されてもおかしくはなかったのだが、クロエは身じろぎもせず大人しくしている。
柔らかいクロエの頬っぺたの感触が、病み付きになりそうだった。
「いいよ、クロエ。付き合おう」
ユーシスは相変わらず瞳を俯けたままのクロエの顔を覗き込み、幼い子どもに言い聞かせるように言った。
「僕が、忘れさせてあげる」
ずっと俯いていたクロエの藍色の瞳と、その時はじめて目が合った。
クロエがいったい何を考えてるのか知らないけど、こんなチャンスもないから、有り難く頂戴しておこうじゃん――サラへの報われない気持ち、こんな無防備な姿を自分に見せる、愚かなクロエへの嗜虐心……様々な感情が、ユーシスの心に渦巻いていた。
なんたって僕は、『学院最強のクズ』を自負してるからね。
クロエもなかなかいいセンスしてる。
今のクロエにうってつけなのは、どう考えてもユーシス・クローディアだよね。
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