「ねえ、ユーシス。家に帰る前に、ちょっと、寄ってかない?」


「ええっ……?ヤだよ。荷物が重い」


 サラはユーシスが文句を言うのも無視して、辻馬車を降りて、サラとユーシスの実家の方向とは逆に向かった。

 フリースラント領は、帝国西部の海に面した領地だ。その中心街であるサラとユーシスの故郷テセルは港町だった。

 南部諸国との交易も盛んで、サラの実家であるオレイン家も、商船を持つ商家だ。


「うう……、やっぱり、トランクが重たいよ……」


 ユーシスはぼやく。


 潮の香りを纏う風が吹き抜けていく。

 二人は、海に臨む切り立った崖を上がる石段を登っていた。

 石畳の階段は、古い要塞の跡だ。この辺りの海岸線の崖の上には、こういった石垣や、城塞の跡がたくさんある。

 三月の中旬。暑くも寒くもない季節。夏になれば、行く手を阻む草木で繁ってしまうのだが、今の季節ならば冬枯れの名残があるだけだ。


 はあ……はあ……。

 二人の息遣いだけが聞こえる。

 いったい何度、この石段を登ったことだろう。崩れ掛けた箇所がどこかまで、すべて覚えている。

 

 やがて視界が開け、崖の上に出る。昔はこの開けた場所に要塞があったのだろう。

 遠くに、フリースラントの領主の城が見える。

 今日も、ヤーデ湾に臨むグナイゼナウ城は壮麗だった。

 現皇帝の大伯父に当たる人物がヤーデ公爵の爵位を戴いた時に築かれた、まだ歴史の浅い城だ。

 海辺で育った二人に取って、この景色と潮騒の音が、故郷の象徴だった。


「僕はもう一度、人生やり直したい。十歳の時に、サラと、この、フリースラントを出た日まで遡って」


 そうしたら、絶対にサラを、誰にも渡さないだろう。

 ユーシスは、故郷の景色を眺めながら思った。


「なーに言ってんの!あんた何歳よ。まだまだ、私たち、たった十七歳だよ!これからが大変なんじゃない」


 サラは、辛気臭いユーシスを笑い飛ばすように言った。


「まっ、ユーシスなら、軍隊に入っても、上手いことやっていくんでしょうけどね。あんたの処世術って言ったら……ほんと、誰にもマネ出来ないぐらい、驚異的……さすがは、クローディア家の末っ子長男よね。甘え上手と言うか……」


 ユーシスには三人の姉がいる。

 四人目にして生まれた待望の男の子だ。

 甘やかされまくって育ったのだ。

 クローディア家は長女のエルサが大貴族の次男坊を婿養子に取って家督を継ぐことになっているので、聖術の才能溢れるユーシスは、何の心配もなく軍人になれると言うわけだ。

 斯く言うサラは、オレイン家の長女。貧乏商家を継ぐ気はさらさらないらしく、サラが軍人になったら、サラの妹か弟が、家業を継ぐことになるのではないかと思っている。


「ユーシス、クロエを泣かせたら、承知しないからね!あんたの言葉、信じてるわよ。今度こそ、本気なんでしょ」


 サラはビシッと言った。

 ユーシスは、辛気臭いを通り越してヘラヘラしていた。


「それはどうかな。僕が『人間のクズ』になったのは、どう考えてもサラのせいなんだからさ。責任感じた方がいいよ」


「はあ……っ?なんで私のせいなのよ……っ!あんたの生来のロクでもなさが引き起こしたことでしょ!他人のせいにするんじゃないわよ!」


「相変わらずヒドイこと言うよな!サラなんか、エドガー・エレンブルグにこっぴどく振られちゃえばいいんだ!エレンブルグのバカ長男に振られてから、僕の魅力に気付いたって遅いんだからね!僕はクロエと結婚するんだから!絶対に慰めてなんか、やらねーぞ!」


「だーれがあんたなんか……っ」


 二人は傾き始めた陽の光に照らされた茜色の海岸をバックに、取っ組み合いをしていた。

 どう考えても風術士として鍛えているサラの方に分がある。

 サラは盛大にクスクス笑いながら、ユーシスを押し倒した。


「あはははは……っ。無様な姿ねっ。私の勝ちよ、ユーシス・クローディア!」


 そして、クスクス笑いながら、その場に仰向けに転がると、目の上に広がる茜色の空を眺めた。


 ユーシスは微かに息を弾ませながら空を見上げている幼馴染みの横顔を、飽きもせずに、眺めていた。

 こんなに近くに居るのに、永久に手の届かない存在。


「隙有りだぞ、サラ」

 ユーシスはすぐ隣で無防備に転がっている幼馴染みの上に載っかると、両手でその肩を押さえつけた。


「やっぱバカだな、お前は……!」

 サラの綺麗な翠緑色の瞳を見下ろす。ユーシスの金色の髪がサラに向かってまっすぐに影を落としている。

 やろうと思えば、風術士のサラなら、ユーシスを突き飛ばすことも簡単なはず。

 でも、サラは、一切慌てる素振りもなく、静かな表情でユーシスを見上げている。

 余裕綽々ってやつだ。

 息遣いも届きそうなほど、近くにいると言うのに。


「ほんっと、ズルいよなー、サラは」


 ユーシスは、サラの隣にバサッと仰向けになった。


「バカなのに……、なんでそんなにいっつも潔(いさぎい)いんだよ……ほんとムカつくな……まじでなえるんだけど……」


「ユーシスがほんとは良いヤツだって、分ってるからだよ……。私はあんたのこと、『信頼』してる。ユーシスは、ちっちゃい頃から、私のこと、ずっと護ってくれてたじゃない」


 ユーシスは弾かれたように立ち上がった。

「バーカ……!まじで腹が立つ。腹立ちすぎたから、帰る……っ!」


 死に晒せバカ女……!

 バカすぎるだろう。


 完全にバカにしてる……。

 そんなことを言われて、こっちがどんな気持ちになるのか、コイツは、想像することもできないんだ。

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