第6話 その神様は、『願い』は絶対、叶えない
サキさん、何言ってるの?
私は声に出せないながらも、そう聞こうとした。
死ぬ?
死んじゃう?
誰が?
光紗が?
なんで?
「ラードンの毒。猛毒。徐々に体を腐らせて、死に至る」
サキさんはそう言いながら、しゃがみ込むと光紗の顔色を窺っている。
「うそ、だよね? 光紗が、死ぬ? そんなわけ、ないじゃん」
思わず聞き返した私には目もくれず、サキさんは淡々と告げる。
「間違いない。もう、普通の医者に見せても、助からない」
光紗は真っ蒼な顔で、その額には大粒の汗が浮かんでいる。
さっきより、呼吸が辛そうだ。
「いやだ、助けて‼ 光紗を助けて!!」
ゆっくりと現実が脳内に溶け込むと、私は泣き叫んだ。
嫌だ。光紗が死んじゃうなんて。
「お願い? でも、ダメ。『あの子』に、怒られる」
怒られるくらいならいいじゃない!
こっちは、人の命がかかっているんだ。
「神様なんでしょ? 願いを叶えられるんでしょ? 助けられないの?」
私はサキさんに掴み掛らん勢いで問い詰めた。神様なら助けてよ‼
「助けること、自体は、簡単。でも『あの子』が、いいって言わない限り、願いは、聞けない」
それを聞いて、私は頭に血が上ってきた。
叶えられる力があるのに、助ける力があるのに、そんなの酷い。
「だったら、叶えてよ!! あの子っていうのに聞いてみてよ」
「それは、できない。あの子はとっても、遠くにいる。今は、会えない」
サキさんは無表情ながらも、とっても悲しそうにした。
なんとなくわかってしまう。
そういうこと、なんだと思う。
きっと、「あの子」というのは、もうこの世にはいないのだろう。
許可をもらうことは、もうできないのだ。
「ひどいよ。残酷だよ……」
「そうね。この世界は、ひどく、残酷」
サキさんは、無表情のまま少し下がると、柱に寄りかかって私を見つめている。
その態度は諦めろと言っているようで、悔しかった。
諦められるわけがない。
光紗の手を握りながら、私は泣きだした。
「この状況を見て、助けたいとは思わないの?」
私はすごく悔しくて、涙を拭いながらサキさんを睨んだ。
完全な八つ当たりだ。
こんなことになったのは、全部私のせいだ。
冒険しようなんて誘ったのが原因だ。
「わたしも、助けたい。死なせたくは、ない」
サキさんも同じに光紗を助けたいとは思っている。
それを聞いて、私は少し冷静になった。
「だったら、助けてくれない?」
「それは、できない。お願いは、聞いちゃ、ダメ」
そういえば、サキさんはさっきからお願いは聞いてくれない。
でも、私たちの質問には普通に受け答えしてくれる。
そう、
「助けることは、できる。これは本当?」
私の質問にサキさんはしっかりとうなずく。
「わたしは、神様では、ない。でも同じような力は、持っている。助けられる」
「サキさんは、光紗のこと見てて、助けたい?」
この質問にもサキさんはしっかりと頷く。
この答えを聞いて、私は乾いた笑い声をあげてしまった。
なんだ、こんな簡単なことでよかったのか。
「だったら、助けちゃったって、よくない?」
私のその言葉を聞いてサキさんは首を傾げた。
我ながら、ずるいことをしている。
「じゃあ、
私は、最低だ。どうしようもない、悪人だ。
神様。いや、目の前の
「うん。別に、あなたに頼まれたわけじゃない。だから、いいの、かも?」
サキさんは戸惑いつつもそう答えた。
簡単なことだった。
サキさんは
彼女が助けたいと思ってるのなら、それに頼ればよかったのだ。
「わかった。わたし、その子の毒を、分離する。道具が、必要」
その言葉を聞いて私は嬉しくなる。両手を胸の前でぐっと握る。
目をごしごし擦って涙を拭う。
「何が必要なの? 教えて!」
「それは、できない」
サキさんは首を振って拒否する。
さっきの言葉に対して、いきなりの拒否に私は戸惑う。
しかし、意地悪で言ってるわけではないとすぐに気づいた。
うっかり、お願いをしてしまった。
私は慎重に言葉を選びながら訊ねる。
「必要な道具って?」
私はただ訊ねる。
それに対して、今度はサキさんは答えてくれた。
「まずは、蓋の閉まる、容器」
私は腰に巻いていたポーチから水筒を取り出した。
中には途中で飲もうと麦茶が入っている。
ちゃぷちゃぷと音がする。まだ少し残っている。
「これでもいい?」
さっき、少し飲んじゃってるけど、大丈夫だろうか?
「中身は、いらない。空じゃないと、いけない」
そういわれて、ボトルに入っていた麦茶を一気に飲み干す。
「これでいい?」
それを見てサキさんはうなずいた。
「その中に、毒を、取り出す。水滴ぐらいは、気にしなくて、いい」
「ほかに必要なものは?」
早く教えてほしい。
そう頼んでしまいそうになった。
気持ちははやるけど、お願いになってしまわないようにただ質問する。
「道具はこれだけで、いい。あとは供物が、必要」
やっぱり、神様には何かしらお供えが必要なのかもしれない。
これには困った。
お供えになりそうなものは持っていない。
確かポーチに飴とクッキーが入れてたはずだけど、それじゃだめだよね?
「供物って、どんなもの? 飴とかじゃダメ?」
一応、私は訊ねてみた。
「
サキさんは一言、それだけを発した。
にんげん。
にん、げん。
に、んげん?
にんげ、ん?
区切るところを変えて考えてみたけど、よくわからない。
「供物には、人間の命が、必要」
サキさんは表情の乏しい顔でそう言った。
ここがどこなのかを忘れていた。
ここはあの伝承の
聞き間違えではなかった。
供物は人間。
そうはっきりと言ったのだ。
「ここに人間は、あなたしか、いない。供物には、あなたが成るしか、ない」
くもつ? 生贄ってことだよね?
私はさっきからまわらない頭を必死に動かす。
ここには正しくは、人間は二人いる。
一人は私、もう一人は今も目の前で毒に苦しんでいる光紗だ。
私たちが助けたいのは光紗なのだから、彼女を供物にするなど考えられない。
朔良は見つけた扉を出て行って、戻ってこない。
それに戻ってきたとしても、いきなり供物になれなどと友人に向かって言えるわけがない。
「どうするの? 早くしないとその子、死んじゃうよ?」
サキさんは石の柱に寄りかかりながら、私たちの様子を見つめている。
梁から差し込む光に照らされ、神秘的な雰囲気を纏っている。
漆黒の髪、白い肌、白い着物。
その瞳は真紅に染まり、心なしか笑みを浮かべているように見える。
「嫌だ、こんなのって……」
私は石畳の上に横たわっている親友の手を握りながら、そうつぶやいた。
はあはあと苦しそうな息遣いに、顔色は真っ蒼だ。
さっきよりも状態は確実に悪化している。
何とか目を開けて私の顔を見つめてくるけど、その視点は定まっている感じじゃない。
このままじゃ彼女は間違いなく、死ぬ。
「そんな、こんなのってあんまりだよ。あたしが死ぬか、この子が死ぬかなんて」
傷の確認のためにジャージをめくりあげられた、光紗の白いすらりと伸びた足の先には、小さな赤い穴が二つ空いている。
彼女の中で毒は暴れまわり、その命を奪いつくさんとしている。もう、時間はない。
選択の余地なんて最初からない。
もう答えは決まってるのだから。
「お願い、神様。なんでもするから、この子を助けて」
神であるその少女に向かって、私はそう懇願するしかなかった。
「それは、できない」
このやり取りも何度目だろう。
それでも、これが
「あたしが、供物になる」
私ははっきりとそう言い切った。
恐怖は、ない。
私はこれから生贄になる。
目の前の神様に食べられて、きっと命を落とす。
さっきから恐怖心がなくなっていて、本当に良かった。
もし少しでも怖いと思っていたら、私は光紗を見捨てていたかもしれない。
「じゃあ、あなたが供物になる、のね?」
石柱に寄りかかっていたサキさんはゆらりと姿勢を正すと、ゆっくりと私の前に歩いてきた。
「本当に助かるの? 絶対に助けてくれる?」
私はその足に縋り付きながら、最後の確認を取る。
せっかく死ぬんだ、光紗にはちゃんと助かってほしい。
「大丈夫。この子のことは絶対に助けてあげる。でも本当に、いいの?」
どんな願いでもかなうのに代償がないわけがない。
お金が欲しいなら労働が必要だし、権力や名声が欲しいならそれなりの行動や成果がいる。
命の代価が命であっても仕方ない。
今は富も名声も何もいらない。
ただ、光紗に生きててほしい。
「わかってる、だからお願い。この子のことを助けて」
うっかり、またお願いをしてしまった。
しかし、サキさんは今度は何も言わない。
頷いた後、彼女はしゃがみ、私の顔を覗き込んでくる。
「そんなに怖がらなくても…… 痛くは、ないよ?」
すーっと美しい少女の手が私の頬をなでる。
思わずびくりと体が跳ねてしまう。
少女はその赤い唇を自らの舌で舐め潤すと徐々に私の顔に近づけてくる。
「じゃあ、いただきます」
幼い顔に真っ赤な小さい口が徐々に近づいてくる。
人身御供って生きたまま食べられるの?
いっそ、一瞬のうちに丸呑みにしてほしい。
幼い少女の小さな唇が迫ってくる。
その口じゃ何度もかみつかないと食べられないでしょ?
何度も噛みつかれるのは、すごく痛そうだ。
今頃になって恐怖心が戻ってきた。
自分が死ぬのが怖いんじゃない。
光紗ともう一緒にいられなくなるのが、ものすごく怖い。
私の願いは、ずっと光紗と一緒にいることなのだから。
それでも一番怖かったのは、光紗を失うこと。
どうして……
どうして、こんなことに。
後悔しても、もう遅いとは思う。
とめどなく、涙があふれた。
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