第2話 違和感を連れた登校

 築地駅と言っても、僕の家は月島にある。


 家からは月島駅の方が近いが、僕の通う高校がある小伝馬町こでんまちょう駅に日比谷線で1本で行けるため、築地駅を最寄り駅としている。なので、毎朝、築地駅に行く為に隅田川を渡るはめになっている。


 鼠色の雲が空を隠していた。上半分を雲で隠されたスカイツリーの姿を見て、僕はバベルの塔の話を思い出した。


 佃大橋のたもとに着くと、いつもの様に涼司が柱にもたれかかっていた。

 

 短髪の髪に日焼けした肌はいかにも運動部という感じがした。同じバレー部なのに僕は色白で、涼司が色黒なのは何故なのだろうか。一緒に同じ体育館で練習しているのに、どうやってそんなに日焼けするのか僕には分からなかった。


「ヒデ、遅いぞ。1分遅刻だ」


 涼司が腕時計を見た後、わざと威圧感を出して言った。顔からして怒っている訳ではない。十年来の付き合いとなると、そんな事も分かるようになってくる。


「悪い悪い、走るのに苦戦しちゃってさ」


「何を訳の分からない言い訳を言ってるんだ。ほら、走るぞ。秋子が待ってる」


 紛れもない事実だったが涼司は相手にしなかった。実際、三人称視点での方向転換はいささかシビアだった。



 走り始めた僕らは、ものの10分で地下鉄築地駅の出口に到着し、その2分後には北千住生きの日比谷線に乗っていた。この時間の電車に乗り遅れるという事は遅刻を意味している。


 車内は満員に近く、沢山の人が降り、沢山の人が乗った。僕と涼司は友人の家に初めてお邪魔するように、毎員電車のドア付近に最後に乗り込んだ。


 乗客はウォークマンで音楽を聞いたり、僅かなスペースで単語帳を開いたりと皆思い思いの事をしていた。


 そんな中、反対側のドアの傍にいる二人組の男性が目に止まった。年はどちらも30代後半くらいで、ずっと辺りを注意深く見渡し、時折腕時計を見たりして、落ち着かない様子だった。決して2人は話さなかったが、同じ青い作業服を着ているので知り合いの様に見える。


 彼らの事を気にしているのは僕だけでく、目の前にいるスーツを着た若い女性もチラチラと彼らを見ていた。降りたら駅員に彼らの事を言おうと思ったが、怪しいという理由だけで通報するのは気が引けた。彼らは俯瞰視点だから見つけられたのであって、きっといつもの視点だと見えなかったはずだ。そう考えるとこの視点も悪くわないな、と思った。 



 電車は小伝馬町こでんまちょう駅に到着し、僕ら二人は先頭を切って降り、逆方向の電車がやってくる反対側のプラットホームに向かった。


 ポケベルを見ると時刻は8時58分だった。どうやらぎりぎり間に合ったようだ。


 階段を下って、また上ると、3号車前のいつものベンチで秋子が文庫本を読んでいるのが見えた。秋子は毎朝3号車に乗って来るのだ。

 

 学生鞄を抱きしめるように座り、床にバレーボールバックを置き、足で挟んでいた。僕らが来たことにはまだ気がついていない。


 通過した電車で巻き上がった風が秋子のショートカットの髪を揺らし、髪の隙間から横顔が見えた。

 

 僕はゆっくりと近ずいて声をかけた。


「ごめん、待たせた」


秋子は声をかけられてやっと気づき、近くに張り付いている丸型の時計をチラッと見た後に、笑顔を向けて言った。


「いや、大丈夫。早く来すぎたのは私」


「ヒデがもう少し早く来てたら、1つ前の電車に乗れてたんだけどな」と亮司が僕を見て言った。


「僕が遅いんじゃなくて世界が早すぎるんだよ」と僕は冗談を言った。



 秋子には待ち合わせ時間のちょうど30分前に到着するという癖がある。


 少し前にその理由を本人に聞いたら、「人を待たせてるって事が耐えられないの。待つ方がずっと気が楽」という回答が返ってきた。気持ちは分からなくもないが、実行できるのは凄いと思う。



 秋子と涼司は幼稚園からの幼なじみだ。僕ら三人はずっと月島に住んでいたが、高校に上がるタイミングで秋子の家庭が北千住に引越し、離れ離れになった。


 だが、やっぱり同じ高校に入り、毎日一緒に登校している。僕らの通っている学校は小伝馬町駅よりも馬喰町ばくろちょう駅の方が近く、殆どの生徒はそっちの駅を利用している。しかし、日比谷線周辺に住んでいる僕らは小伝馬町駅から登校する方が都合が良いのでこちらのルートを採用している。このルートを使っている生徒が少ないのも僕らが一緒に通う理由の1つだ。


 涼司の父親がバレーボールの元プロで、月島にある小学生のバレーボールクラブの監督をしており、その影響で僕ら3人は小学生3年生の時に、そのクラブでバレーを始めた。


 その頃は、まだ僕と涼司は成長期の前だったため秋子が一番背が高く、チームの中心だった。涼司はよく秋子を見習えと父親の監督に喝を入れられていた。それから月日は流れて、涼司も秋子も1年生ながらバレー部の中心選手となり、僕ら男2人はいつの間にか秋子の身長を優に超えていた。


 出口を出て、3人で横並びになって歩いていると、今日の秋子は不自然な事に気がついた。会話の最中も何処か上の空で、「...あ、うん。そうだね!」などと返答が遅れ、最後には的外れな回答をする。

 推測するに、何か別の事を考えている様に思える。涼司も何も言わないが秋子の変化に気づいて心配している様子だ。



 結局、秋子の様子は学校に着いて、春期講習の授業が始まっても変わらなかった。


 授業中、斜め後ろにいる秋子が黒板ではなく、僕の事を見ている事に気がついた。それは三人称視点だから気づけた事である。なぜ僕の方を見ているかについて考える。心当たりは無くは無かった。そして、秋子の後ろの席に座ってる涼司が秋子を見ている事も気がついた。


 前半の講習が終わり、他の生徒が講習の文句を言いながら、昼ご飯を買う為にゾロゾロと教室から出ていった。僕もその集団に加わろうと立ち上がった所、秋子が後ろから耳打ちしてきた。


「この後屋上に来て」


 秋子は返事を待たずに横を通り過ぎて行った。


 秋子が教室から出るのを見届けてから、僕は後ろに座っている涼司の方を振り返った。


 涼司はすぐさま目線を自分の机に下ろし、あたかも数学の問題と格闘中である様に振る舞ったが、僕の視界には僕と秋子の方を見ていた涼司の姿がはっきりと映っていたので、それが嘘だ分かった。第一、涼司が休み時間に勉強をしているのを未だ嘗て見た事が無かった。

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