1995

かじゅぎんが

第1話 目覚め

 朝、目を覚ますと僕は僕と目が合った。


 鏡を見ていたとかではない。幽体離脱をしていたとかでもない。そのまんまの意味だ。


 


 視界には、ベットに仰向けになってこちらを見ている自分の姿が三人称視点で映し出されていた。起きたばかりで浮腫むくんだ目をした僕は、全く状況を理解していない顔をしていた。


 ちょうど部屋全体が上から見渡せた。その光景は、カメラマンが僕の部屋の天井にワイヤーか何かで貼り付いて撮影したみたいだ。


 枕の横にある目覚まし時計は、責務を果たすべくジリジリと僕の右の耳元で音を鳴らし、停止ボタンを押されるのを待っている。確かに右から不快な音がする。


「......寝ぼけてるな」


 僕は鳴り続けている目覚まし時計を右手でなだめ、もう一度目を閉じた。


 視界は一瞬にして闇に包まれた。再度夢の世界に入ろうとしたが、その世界に再入場する事は入場する事の何百倍も難しいようだ。


 眠る事を諦めた僕は、瞼の重さを感じながらゆっくりと目を開けた。そこにはやはり、ベットに仰向けで寝ている自分の姿があった。


「......なんだよこれ」


 度の超えた意味不明な事が起こると、人は逆にそこまで驚かないのである。


 足をベットから下ろし、両手を使ってゆっくりと起き上がった。両手でベットを押した時の感触で、確かに自分がそこに存在している事が分かった。


 立ち上がると、斜め上から撮った僕の後頭部が映った。自分の旋毛つむじを直接見るという行為は、決して気持ちの良いものではない。


 そして、僕は振り返り、無いはずのカメラの方を見上げた。目に映る光景は、よくテレビで目にする、犯罪者が防犯カメラを睨む映像を連想させた。だが、パジャマ姿の僕に犯罪者のような威圧感は無い。


 試しに、映像を撮っているであろうカメラの位置に手を伸ばしたが、空を切るだけだった。


 胸がドクンドクンと早鐘はやがねを打っている。


「秀雄、早く支度しないと学校遅刻するわよー」


 キッチンから聞こえた母さんの声で我に返り、僕は洗面台へ向かった。顔を洗って目を覚ますと視点は元に戻るかもしれない。


 移動している時も居ないはずのカメラマンは僕を追って付いてきた。その際、三人称視点のゲームのように、斜め上から撮った自分の後ろ姿が映し出されていた。所謂TPSゲームというやつだ。


 顔を洗っても、結局視点は元には戻らなかった。洗面台の鏡には困惑という感情を体現したような顔の自分が映し出されてた。鏡の自分と実存の自分、二人の自分が視界に入っているという事実は、吐き気を催す程気持ち悪かった。


 リビングに入ると、テーブルにバターの乗ったトーストとコーヒーが置かれていた。「秀雄」という字の入ったコップには牛乳入りのコーヒーが並々に注がれている。


 キッチンにいる母さんにこの身に起きている状況を説明しようと思ったが、僕の説明を母さんが聞いて理解してくれる未来が見えないので辞めた。それに、急がないと秋子と涼司を待たせてしまう。


「きっとこれは夢さ」


 母さんにはちょうど聞こえないくらいの声量で、自分に言い聞かせるようにそう呟いた。他に可能性が考えられなかった。夢であると仮定すると動悸は不思議と治まった。



 僕は椅子に座ってテレビを付けた。


 1月の関西で起きた地震で被害にあった上水道の復旧がほぼ完了したという内容のニュースが流れていた。ガスの方はもう少しかかる掛かるらしい。


 テレビ横のデジタル時計によると、今日は3月19日なのでおよそ2ヶ月掛かった事になる。自分は災害復興の専門家でも何でもないので、それが早いか遅いか分からなかった。


 コメントを求められた女性タレントの「早く当たり前の日常が戻ると良いですね」という発言が僕の何処かに引っかかった。違和感という言葉がこの感情に一番近いだろう。


 だが、そのニュース番組に出ている芸能人は誰も気にしていないらしく、MCの巧みな話術で、極めて自然に次のニュースに場は流れていった。


 ふと画面左上の時刻を見ると、時刻はもう少しで8時20分を回ろうとしていた。


 ニュース番組に夢中で学校の春季講習の事をすっかり忘れていた。残っていたトーストをコーヒーで胃に流しこみ、その8分後には僕は家を出て、最寄りの築地駅の方へと走っていた。

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