第19話 新月の夜に(後編)


「王太子殿下。本日はやけに挙動不審でいらっしゃいますね」




側近からの容赦ない一言。だが、それも無理はない。



「動いていないと壁に頭を打ち込んで、ちゃんと現実かどうかを確かめてしまう」



レオは先程からずっと、自室の中を行ったり来たりしている。

ぱっと表情を明るくしたり、真っ赤に染め上げたかと思うと、急に不安げな顔になってブツブツと心配事を漏らす。


確かに。はたから見ればかなり怪しい奴だ。



「そういえば本日の昼頃、ルカ殿が騎士団へ薬を届けに行かれたようですが、お会いになりましたか?」


「今日も本当に可愛かった……後光が差していて、まるで天使のようだった……照れている姫が愛おしすぎて、一瞬昇天しそうになってしまった……」


「ほほう」



何かを悟ったのか、ジュジュはこくこくと頷いている。



「ルカ殿には色良い返事がいただけそうですか?」


「待てっ……! 期待はし過ぎないようにしているっ! 

万一、「あなたのことをよくよく意識してみた結果、やっぱり男じゃなくて愛犬だった」場合、今度こそ本気で立ち直れんっ……」


「……殿下は大胆な行動をされる割に、なかなか小心的でいらっしゃいますね」


「姫に関することだけだっ……」



しかし、赤くなったり青くなったりと忙しい主人を見た彼は、小さく息をついていた。



「一先ず、この話はまたにいたしましょう。

殿下はこの後、ルカ殿とご夕食を共にされるご予定でしょうが、その前に報告があります」


「……宰相とアイリス嬢親子がらみか?」


「はい」



ジュジュは1度咳払いした後、淡々と言葉を続けていく。



「まず宰相閣下ですが、この度ついに例の賊たちを使って、H王国及びM王国への侵攻ルートを模索し始めたとのこと。

これは、わが国の "機密使者" として先日に2国を訪れていたリヴィからの情報となります」


「……あのクズ宰相め。いよいよ調子に乗り出したな」


「続いてアイリス嬢親子について。

彼らは現在、幾人かの上級貴族とお見合いを進められている最中です。

アイリス嬢に関しては、ただ今 女豹人めひょうびとに扮していらっしゃいます。その姿からは、ありとあらゆる貴族男性を何が何でも誘惑したいという意気込みが感じられました」


「後半の情報は正直どうでも良いな……

だがあの親子、あくまでN王国に居座り続けるつもりか。本当に懲りない奴らだ」


「本来は殿下の愛を得て、王族に名を連ねることが目的だったのでしょうが」


「思い出すだけでもはらわたが煮えくり返る」


「しかしそれが失敗に終わった今、新たなる契約を宰相閣下と結ばれているのでは」


「……奴らはどこまでも貪欲だな。1人はK王国の滅亡を、もう1組は他人の金での成金生活を目論もくろんでいる」


「さらに付け加えますと、宰相閣下はH王国並びにM王国が我が国の属国となることを、そして親子はアイリス嬢が大陸の新たな聖女になり代わる未来を望んでいらっしゃいます」



レオの腕に、幾本かの青い筋が走り出す。



「アイリス嬢親子については今後必ず、1度はK王国に戻る手筈てはずを整えるだろうな」


「そうでなければ再び、K王国に毒病を広めることが出来ませんからね。

ちなみに、N王国騎士団に在籍している上級貴族出身の者たち何人かにも、アイリス嬢の見合い相手として声がかかっているとか」


「……あの親子はどこまで面倒事を持ち込むつもりだ」



舌打ちと共に、レオは無造作に髪をかき上げた。



「報告は以上となります。

それでは殿下、この後はルカ殿との晩餐をゆるりとお楽しみ下さいませ」


「ああ。食事の席でこの話題は持ち出さないよう気を付ける。……姫に余計な気苦労をかけたくないからな」


「殿下がルカ殿のお心を無事射止められるよう、僕も陰ながら応援いたします」


「……だが。その肝心の姫が、部屋に来る気配が全くないな」



レオとジュジュは思わず顔を見合わせる。



「今日のことを約束した時、部屋まで迎えに行くと言ったら断られてしまったんだ。姫と俺の部屋は同階にあるし、リヴィに付き添ってもらうから待っていて欲しいと言われて」


「ですが、それにしても遅いですね。僕が少し様子を見てまいります」



そう言って、ジュジュはレオの部屋を出て行った。

1人になったレオは、クローゼット前に設けられた鏡の前まで移動する。



(もうすぐ、姫に会える)



どこかおかしなところはないだろうか?

顔はシャキッとしているか。髪もちゃんと整っているか。この服は派手すぎないだろうか。


ドレスや宝石をもっと贈ろうとしても、「ありがとう、でも大丈夫」と、いつもやんわり断ってくる姫のことだ。


金に物を言わせたような格好をしていると、嫌われてしまうかもしれない。



(……どうすれば、姫の心を奪えるのだろう)



ルカの前では余裕ぶった大人の男を演じているが、実際はどうだ。

たった1人の大好きな女の子に振り向いて欲しくて仕方がない、初心うぶな少年のようだ。



(はあ、情けない……せめて姫に幻滅されないよう、彼女が楽しいと思える食事会にしよう)



そんなことを考えつつ、セッティングのためにメイドを呼ぼうと、部屋扉の方へ足を踏み出した時。



「王太子殿下……!」



眉をひそめ、額に汗を滲ませたジュジュが狼狽したようにドアを開けた。



「ジュジュ? 一体どうした」


「部屋扉越しにルカ殿へ何度も声をかけましたが返事がなく、そのため失礼ながら鍵をこじ開け中へと入らせていただきました」



そしてレオのもとまで駆け寄ると、ある物を差し出してきた。



「窓辺にこれが落ちていました。リヴィのチョーカーです」



見覚えがある。中央に鈴の付いた薄桃色のこれは、ジュジュの妹がいつも身に付けていたものだ。



「……妹には、ルカ殿に何か危険が迫った時はこれを置いていくよう指示していました」



ジュジュの言葉を聞き、レオは勢いよく走り出した。



「姫…………!!」



だが、ルカの部屋に到着しても、中に愛おしい彼女の姿はなかった。


床には割れたティーポットの破片が散乱し

、ハーブの香りがわずかに放たれている。



「殿下、窓が空いたままです。……ルカ殿はここから、また何者かに連れ去られた可能性があります」



顳顬に汗を伝わすジュジュを目の端に映しながら、レオは窓辺へと移動した。

そこではハーブの残り香が完全に消え、代わりにこの世でもっとも忌むべき存在の1人である、あの男の匂いがレオの鼻をついてきた。


その瞬間、レオは鼻に深く皺を寄せ、尾の毛を逆立てる。



「…………そんなに地獄が恋しいか」



聞いた者全てを恐怖で震え上がらせるようなその唸り声が、黒灰色に染まった闇夜に溶け込んでいく。




今宵は新月。

N王国に巣食うあの愚賊たちの動きが、最も活発になる夜だ。


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