第12話 賊と狼(後編)


夜の森は静かだ。


私も1年住んでいたが、野生の動物に遭遇することも滅多になく、本当に名の通りの「お1人様」生活を過ごしていた。



(どれくらい歩いたかな。2時間……いや3時間くらいは経ってる気がする)



辺りは真っ暗。朧月の頼りなげな月光のもと、私は道なき道を歩き続ける。



(住んでた森じゃないから地理が全然分からない)



N王国の王城書庫にあった大陸の地形図集にも、森の中の詳細まではさすがに載っていなかった。



(暗くて前がよく見えない。このまま進んで、N王国にちゃんと辿たどり着けるのかな)



連れて来られた道を何とか思い出しながら戻ってはいる。けれど、知らない土地でたった1人。不安にならない訳がない。額にはずっと、汗が滲んでいる。



(早く王城に戻って、騎士の人が中庭で何かを受け取ってたこと、レオたちに話さなくちゃ。……もしレオがアイリスのことを好きになってたとしても、ちゃんと伝えないと。


あとは、新月の夜にしか咲かない花のこと、賊を雇ってるのがN王国の宰相様だってことも)



私は自身の左腕へと目を移す。



(……ブレスレット、どこで落としちゃったんだろう)



それに気付いたのは、賊の隠れ家を出てしばらく走り続けた後だ。



(新緑祭の時、レオがプレゼントしてくれてすごく嬉しかったのに)



けれど。掴んだ情報をレオに伝えた後、私たちの関係はどうなるだろうか。



(森で初めて出会った時みたいに、レオは私の話を真剣に聞いてくれるかもしれない。

でも……きっとアイリスのことも全力で守ると思う。


そうなればもう、私は彼のそばには居られない)



そう思うと心が苦しくなり、思わず足を止めた。……でも、それがいけなかった。






「君、犬人いぬびとのハルカだよね?」



暗闇の中、突然誰かに手首を強く掴まれた。



「大した女だよ。たった1人でこんな所まで逃げて来たなんて」



私の身体は地へと仰向けに倒される。

両手首は頭上で拘束され、口は手の平と思しきもので押さえ込まれた。



(だ、誰?! もしかして、賊たちに追い付かれた……?)



人の気配に全然気が付かなかった。


考え事をしていたせいか、はたまたは、しばらくはけるだろうと自作の護身グッズを過大評価しすぎていたのか。



「隠れ家に戻る途中で仲間に遭遇してね。

犬人のハルカって子が自力で縄を解いて逃げ出したって聞いたから探しに来たんだ。

良かった、見つかって」



辺りが暗い上、この人物も他の賊と同じようにフードを被っていて顔貌かおかたちがよく分からない。しかし、声は男性だ。



「君って何だかすごいよね。確か、あの犬王太子君のお気に入りなんでしょう? N王国騎士団の副団長を勤めてる」



犬王太子……? それはレオのことで合っているだろうか?



「前に1度、彼と森で会った時は一体どこの狂犬・ケルベロスかと思ったよ。

数十人いた仲間たちを、顔色1つ変えずたったの1人で返り討ちにしたからね」



男はそう言って、くすくすと笑う。



「だから君に興味を持った。あの冷徹強豪な犬王太子君を手懐けてる女の子なんて、是非とも会ってみたいじゃないか。


しかも丁度、君の情報をくれた人から依頼が入ってさ。

"王太子の心を弱めるため、犬人のハルカという娘を消して欲しい" って」



……もうここまで来れば、依頼主もやや明白。


おそらくはN王国の宰相。

何故ならこの賊たちを雇っているのは彼だから。


それか、国王。

あの人も初対面時、私に剣を向けているし、何より宰相と繋がっている可能性がある。



「最終的にエモノを殺すかどうかはオレが決めているからね。君は……どうしようかな?」



私の口を塞いでいた男の手が首筋へと移動してきた。



「暗くて君の姿がよく見えないけど、仲間が言うには、なかなか可愛い顔をしているみたいだね。ただ、身体がちょっと華奢かな」



そして、今度は私の左胸側へと下りてくる。



「はは、震えているね。でも大丈夫だよ、オレは華奢な女の子も大好きだから」



だから何だと言いたいが、この状況は大変よろしくない。



(き、気持ち悪い……! それに私、ここで殺される……?)



冷たい血液が全身を高速で巡っているような、そんな感覚に苛まれる。



犬人いぬびとの女の子は初めてなんだよね。だから……少し興奮するよ」



男がねっとりとした声でそう囁き、私の服へと手をかけた時。





「何か言い残すことはあるか?」



僅かな金属音と、低く地を這うような、それでいて恐怖をも感じてしまうほど迫力のある声が、闇夜に紛れて聞こえてきた。



「……今は空気を読んで欲しかったな」


「ほざけ害虫が」



そして次の瞬間、今度は激しい金属音たちが森へと響き渡る。



「姫への数々の無礼、その命をもって償え……!」



とてもよく聞き知った声色が、私の耳を掠めている。



「ルカ殿、立てますか?」



もう1人の声主が、私を地面から引き上げてくれた。私は震える足に力を込め、必死で踏ん張りながら何とかその場に立つ。


その後私は抱えられ、少し先にあった大きな木の上へと連れられる。



「申し訳ありませんが、しばらくここにいて下さい。落ちないよう、しっかり枝を握っていて下さいね」



その言葉にこくりと頷き、私は言われた通りに木にしがみついた。そして、今この森で起きている光景をただただ呆然と眺める。



「おい、レオンハルト王太子と側近のジュジュだぞ! 娘の匂いを追ってきたのか?!」


「ぐっ、やはり強すぎるぜこの2人……! 

こんな恐ろしい剣捌きと鉤爪クロー撃の右に出る者なんて、このN王国にはいねえんじゃねえか?!」


「瞬間移動みてえな俊敏さと、この容赦ない攻撃威力! まるで獰猛な狼たちだ……!」



隠れ家にいた賊たちが、いつの間にか辺り一面に集まって来ている。そしてレオとジュジュを相手に、激しい交戦を繰り広げていたのだった。




-----




「可憐な姫をよくもあのような目に……! 貴様らだけは断じて許さん!!」


「可憐……自分で縄を解いて、足場の悪い森の中を数時間逃げ続けられるくらい、逞しい子だけどね」



レオが今、剣を交えている相手は、先程ルカを地面へと押さえ込んでいた男。

2人の鍔迫つばぜり合いは大層凄まじく、外野は誰1人として近付けない状態だ。



「君は本当に強いな。これじゃ仲間が束になっても勝てないはずだ」


「ほう? つまり "あの時" 、俺に姑息な真似をしでかしたのは貴様ということか」


「だって、そうでもしないと狂犬なんて殺せないでしょう? あの辺りの湧き水に毒を混ぜて、君が飲むのを数日待っていたんだから。


ちゃんと倒れたのを確認して帰ったのに、どうして君は今もピンピンしてるんだろう?」



眉間に皺を寄せながら、男はレオの攻撃を何とか止めている。



「……もしかして、誰かに助けてもらった?」


「ふん、まさか。俺には毒など効かなかっただけだ」


「……ふーん」



レオから距離を取るように、男が数歩、後方へと飛んだ。



「みんな、一旦隠れ家に戻ろうか。この2人には真正面から挑んでも絶対に勝てないから」



そして、男が仲間の賊たちへそう声をかけると、彼らは一斉に散り散りとなり、深い森の中へと走り去って行く。



「 "おかしら" も早く!」


「うん、今行くよ……って、あれ? なんだか君からすごくからそうな匂いがするね。あと、煙の匂いも」


「あのハルカって女が隠れ家から逃げる時、妙な薬をばら撒いってたんですよぅ!」



駆け寄って来た仲間の1人がそう言った途端、男は何かに気付いたように片側の口角を上げた。



「……へえ。あの子、やっぱり面白いね」



殺伐とした空気に似合わず、男はくすくすと笑み出した。そして再び、レオへと声をかけてくる。



「じゃあね、犬王太子君。今日の所は撤退するよ。

あと言い忘れてたけど、君が毒に侵されていたこと、あの人には話してないから安心して」



男は辺りを見回すと、今度は少し声を張り上げてこう言った。





「ハルカ! オレの声、聞こえているかな? 

君のことがもっともっと知りたくなったよ。


オレたちって、もしかすると運命で結ばれていたりしない? だって、君とは今日初めて会った気が全然しないんだ。


……前に、どこかで出会っているのかもね?」


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