第5話 忍び寄る影


「王太子殿下が犬人いぬびとの娘を連れて来られるのは予想外でしたな」




国王がカーテンの中へと戻ると、1人の男がそう言葉をかけてきた。



「国王陛下。殿下と少し話し込んでいたようですが、何か気掛かりなことでも?」


「いや? 宰相である其方そなたの知人について話していただけだ」


「ああ、そのことでしたか。おっしゃる通り、私の古い友人伝いに知り合った、K王国の騎士団に所属している者とそのご令嬢が1週間後に参られます」


「其方が懇意にしている者と言っていたな? 息女がレオンハルトとの婚姻を望んでいるらしいが、あやつはそれを跳ね除け、どこぞの娘とねんごろになっているようだ。さて、どうするつもりだ?」


「アイリス嬢はK王国一の美女と謳われるほどの美貌の持ち主。

殿下も実際にお会いすれば、心変わりされるのでは」



国王はそう話すヒヒの獣人、このN王国で宰相を務める人物へと目を向ける。

唇にほんの少し、弧を描きながら。



「国王陛下。私の望みは、あの弱小国家・K王国を滅亡させることです。


……あの王国は忌々しい人間どもが支配しております。金と権力、暴力、色欲、虐待願望を擬人化させたような者ばかりが溢れている。


それを排除してこそ正義。大国である我が国が成すべきことでございます」


「ふむ」


「そして隣国・爬人はじんが治めるH王国、さらには鳥人ちょうじんの住まうM王国に攻め入り、2国も我が国の属国といたしましょう。こちらの国々はN王国にはない技術や資源も豊富です」


「なるほど」



国王は自身の長剣へと再び手を添えた。



「だが、レオンハルトは長年、其方の提案には断固として反対しておるな」


「はい。少しばかり邪魔、でございます」


「ははは。"犬猿の仲" とは言い得て妙。

だが、奴は仮にも儂の甥だぞ? 不敬な物言いは止めておけ」


「申し訳ございません。しかし……」



宰相が国王の耳もとで囁く。



「魔女、ルカ・ヒュギエイアがK王国を逃亡してから、もう1年強になります。


最近になってようやく、N王国とのはざまに広がる森中で発見されたようですが、やはり怪しげな薬らを使って逃げられてしまったと、その知人が憤慨しておりました。


……さらに。もしかしますと我が国に潜んでいる可能性が無きにしも非ず、とのこと」



宰相は間仕切りされたカーテンを開け、レオたちがいた場を射抜くように見やる。



「陛下。もしルカ・ヒュギエイアがこのN王国に身を潜めているなら、即刻に息の根を止めねばなりません。

もし魔女を庇護する者がいれば、その者も同罪。

……ああ。そう言えば確か、殿下は少し疑問を持っておられましたな?


大陸の聡い聖女がそんな大罪を犯すだろうか、と」



宰相がはっきりとそう言葉にしたのを聞き、国王は声を上げて笑った。



「良かろう、宰相よ。K王国使者との密談は其方に任せる。だがどんな些細なことでも必ず、全て儂に報告せよ。


……我がN王国がより良い未来を切り開くために」


「御意。N王国の繁栄と、 陛下と私の揺るぎない友情のために」




宰相のその言葉に、国王はもう1度、片端の口角を上げた。




------




「レオ、大丈夫? 痛くない?」


「全力で痛いと言わせて下さいっ!」



向かい椅子に座るレオは、そう言って私に頭部を垂れてくる。



ちなみにここは私の寝室。



「ええっと、レオ。怪我してるのは頭じゃなくて頬だよね?」


「頬は平気ですが頭部が少々痛みます!」



彼は少し顔を上げて上目遣いでこちらを見やってくる。

……これはまさか、撫でて欲しいということ?


そういえば、前世のレオも頭を撫でられるのが大好きだったことを思い出す。


私は少し眉を下げ、彼にそっと触れた。



「私のこと、守ってくれてありがとう。

でも、頬の治療はさせて。レオには大した傷じゃないかもしれないけど、菌が入って化膿したら大変だから。ね?」



そして、その手をレオの顎下へと移動させ、少し押し上げる。



「ひっ、姫っ……!」


「ごめんね、むりやりこっち向かせて。でもこうでもしないと顔上げてくれないでしょ?」



左手を彼の顎に添えたまま、もう片方の手で小回復薬の入った小瓶を腰袋の中から取り出す。そして呪文と共に、それを彼の頬へ数滴振りかける。


それほど深くない切り傷なので、小回復薬でも十分に効果を発揮した。彼の頬はたちまち元の状態を取り戻す。



「これで良し」



私は小瓶を腰袋に戻した後、もう1度彼の頭をよしよしと撫でた。

視線を上げていくと、私の目先は自然とレオの左耳でとどまる。



(レオのこの傷……これは前世でもあったよね)



森で出会った時も、N王国の王城を訪れた直後も、目前の成人男性が、まさかあのモフモフ犬のレオだったなんて思いもしなかった。


だから傷を見ても、彼が前世の愛犬だとは気付けないでいた。



(これは今世で付いた傷なのかな。それとも、前世から引き継いだもの?

でも前世でも、何が原因で左耳が欠けているのか最後まで分からなかったっけ)



昔の記憶に思いを馳せながら、レオの耳をくすぐる。頭はもちろんだが耳裏を撫でられることも、彼はすこぶる好きだったから。



(あと、首もとやお腹を撫でられるのも好きだったよね? いやそれどころか、レオは私がどこを触っても、怒ったことも嫌がったことも1度もなかったなぁ)



前世のレオは、私が触れるといつも目を細め、気持ち良さそうにしていた。

私はそのことを思い出し、思わず口もとを緩める。



「レオ、どう? 気持ちいい? 

レオはモミモミされるの大好きだったもんね。次はどこをマッサージしよ……」


「ひっ、ひひひひ姫………!!」



私が言葉を言い終わらないうちに、レオは突然フルフルと身体を震わせながら私の両手首を掴み取ってきた。



「おおおお俺は……! 俺は今っ、昔のような犬のレオではありませんっ!!」



レオは顔を真っ赤にして、何ならほんの少し涙目になりながら私にそう訴えてくる。


私は眉をひそめながら、首をかしげた。



「ごめんね、もしかして耳は嫌だった? 撫でで欲しそうにしてたからてっきり……」


「いっ、嫌な訳がありません! 貴女に触れられて不快な所な1つもありません! で、ですが俺は今、普通の獣人の男でしてっ……!」



私はようやく、「ああ」と理解した。



「ごめんごめん。そうだよね。レオ、今世では私より7つも年上の大人の男の人なのに、さすがにわんちゃんみたいな触られ方したら恥ずかしかったよね」


「ぐぅっ! そういうことではないのですがっ……!」



レオは未だ瞳を揺らしていたが、何かを決意したように、今度は私の両手をぎゅっと握りしめてくる。



「姫! 良かったら、今週末にでも俺と城下に行きませんか?」


「城下?」



レオからの突然の提案に、私は目をぱちくりとさせる。



「はい! 今週半ばから約半月ほど、城下の広場に露店がたくさん集まるんです。N王国の各地方から商人たちがこぞってやって来るのですよ。


広場には、珍しい食べ物や小物の店、織物や香油の量り売り店などが所狭しと並びます!」



ウルウルしていた彼の目が、今度はキラキラと輝いている。



(もしかして、私に気を遣ってくれてるのかな? ここのところ、ずっと物騒な出来事ばかり続いてるから)



国王が私たちに剣を向けてきたこと。賊がレオを襲い、毒をもった件。そして、私をK王国の大罪人に仕立て上げた人物と背景。


謎は深まるばかりだが、ずっと城に引きこもっている訳にもいかない。



(私だけじゃなく、レオの命まで狙われてるだなんて。


……トラック事故に巻き込んで、私と一緒に死なせてしまったレオ。彼は今世こそ私を守るって言ってくれたけど、それはこっちのセリフだよ。


今世こそ、レオには幸せになって欲しい。素敵な奥さんをもらって、可愛い子供や孫にも恵まれて、良い人生だったって思ってもらいたい)



私はレオの、美しい濃褐色の瞳を見つめる。



「もちろん、我々の正体を悟られるわけにはいかないので、お忍びにはなってしまいますが。あっ、でも姫の護衛はお任せ下さいっ!」


「ふふ、分かった。是非行こう」



まずは城下に出て情報収集をしよう。町の人たちの会話に、何かヒントが隠されているかもしれない。

ついでに彼のお妃候補になりそうな、良さげな娘さんがいないかも探そう。



(私のことを気遣ってくれるのは嬉しいけど、あんな発言してたらお嫁さんが来なくなっちゃうよ)



私は気合いを入れ直すため、外していた犬耳カチューチャを再び装着する。



「レオ。今世では絶対に、私があなたを幸せにするからね」


「はいっ! ……って、えっ、ええっ?! と、突然どうしたのですか?! というか、い、い、今のは一体どういった意味合いでっ……?!」



この後、何故だかレオが1人悶え続けていた。もしかすると彼も、町に出て気分転換出来ることが嬉しいのかもしれない。



(よし。城下に出て、少しでも役に立ちそうな情報を聞き出そう。あと、ついでに回復魔法薬に使えそうな薬草なんかも探さないと。特に大回復薬の材料。在庫切らしてるし)



やるべきことがいっぱいだ。

さあ、いざ城下へ!

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