最終章 みんなでしあわせになろうよ

「くそっ、間に合えっ……! 間に合えッ……! 」


 後方に待機していたラズィーネの部隊から早馬を借り、ボクは全速力で王都グラヴシュタロハイムへ向かった。何とかして巨大な砦に囲まれた城下町までたどり着いたが、ここから先に進むには堅牢な城門を突破しなければならない。門の前には、予想通り、検問の守衛たちが立ちはだかる。


「止まれ! 城門に近づく者、名を――ゆ、勇者殿!?」

「開門しろ! さもなくば、お前たちの命はないぞ!」

「ひっ……!」


 守衛たちはボクの顔を見て慌てふためき、急いで上官に報告した。抵抗は無駄だと悟ったのだろう。すぐにバリケードの門が開かれ、馬と共に城内へ飛び込む。だが、懐かしむ暇などない。目指すは王都の中心、グラヴシュタロハイム城――。


 そのはずだったが、大広場に集まる異様な群衆を目にした瞬間、胸騒ぎがボクを突き動かして、馬をそちらに走らせた。とても嫌な予感がする。


「異端者に裁きを!」「悪魔の手先を断罪せよ!」「神の怒りに触れた者に罰を!」


 広場にたどり着くと、そこには狂気に満ちた群衆が熱狂し、憎悪を叫び続けていた。まるで生き物のように蠢く集団が、恐怖と怒りを吐き出している。その中心に立つのは、純白の衣装に身を包み、ベールで顔を隠した聖職者。彼は壇上から群衆を見下ろし、静かに条文を読み上げた。


「ここに処される者は、神聖なる我々の秩序を乱し、女王陛下に反逆し、悪魔の教えを広めた罪人である。彼は勇者を欺き、この地に破滅をもたらそうとした! しかし、神の目は全てを見通し、今この場で正しき裁きが下される!」


 その言葉に群衆はさらに熱狂し、処刑の瞬間を待ちわびる表情が狂気に染まっていく。ボクは群れの中で目を凝らし、処刑台に引き出される囚人の姿を見た――。


「ギュスカ……!」


 ボクの友であり、いつも優しく、大声で励ましてくれていた、太陽のような存在。しかし、今はそんな面影を微塵も感じさせない、無惨な姿を晒している。彼女の自慢だった美しい角は折れ、顔色はやつれて蒼白に、目は焦点を失い、虚ろな表情で処刑台に引き出されていた。抵抗する力も残っていないのか、ゆっくりと処刑台に向かう彼女の姿に、ボクの心は締めつけられる。


「やめろぉぉおおお! ギュスカを……ギュスカを放せぇ――ッ!」


 群衆の熱狂にかき消され、ボクの叫びは誰にも届かない。馬が群衆に怯えて動けなくなったため、馬を降り、手で人々をかき分けながら処刑台へ突き進んだ。


「罪人! ここで跪け!」


 ギュスカは衛兵に押され、よろめきながら処刑台の中央に跪かされた。鈍く光るギロチンの刃が、その上空に静かに佇んでいる。風に揺れるロープが、処刑の時が近いことを暗示していた。


「この神聖なる刃が、罪人の命を断ち、不義を浄化する。神の名のもとに、この者の血で秩序を取り戻すのだ!」


 聖職者が手斧を掲げ、ロープを断ち切ろうとする瞬間――。

 ボクの方が先に、何かが切れた――。


「うおおおおああああああ――ッ!!」


 ボクは群衆を力任せに吹き飛ばし、モーゼが海を割るかの如く道を作った。

 その勢いのまま、処刑台へ駆け上がる。


「なんだ!?」

「止まれ、貴様……むっ!」


 立ちはだかる衛兵を躊躇なく一蹴し、ギュスカを拘束しているギロチン台を破壊して彼女を救い出す。ギュスカは混乱した表情で、かすれた声でボクの名を呼んだ。


「勇者さま……? どうして……」


 処刑台の上で、ボクと対峙した聖職者が尻もちをついて後ずさる。


「ひっ……ひいぃいい! お赦しください、お赦しください、お赦しください……」

「ボクは許さない。好きなだけ許しを乞えよ……お前の信じる神様に!」


 ボクは素顔を隠す聖職者に苛立ち、強引にベールを剥いだ。

 その瞬間、ボクの中で煮え滾っていた憎悪は急速に冷めていくのを感じた。


「……フランチェスカ? どうして君がここに……?」


 驚愕に打ちひしがれるボクの目の前で、フランチェスカは震えながら、大粒の涙をボロボロと零していた。


「勇者さま……お許しください……私は……か、家族を守るために……こうするしか……うわああああっ!」

「もういい……フランチェスカ、もうこんなこと、十分だ」

「うわああああああああああっ!!」


 フランチェスカは崩れ落ち、嗚咽を漏らしながら許しを乞う。彼女もまた、体制の犠牲者だったのだ。ボクは彼女を抱きしめ、背をさすった。


「フランチェスカ……。ギュスカを連れて、しばらく身を隠していてくれるか?」

「勇者さま……?」

「頼む……。ボクの代わりに、ギュスカを守ってくれ……」


 ボクは優しい声音でそう告げたつもりだったが、フランチェスカの表情は、まるで怪物を見るかのように怯えていた。瞳は大きく見開かれ、どうして彼女がそんな表情でボクを見ているのか、それを問いただすことはせず、ボクはその場を無言で去った。残された時間は僅かだ。急いで城へ向かわなければならない。


「勇者スサノシン。よくぞ無事で、戻られましたな」

「女王陛下、この際の無礼はお許しください」


 ボクは既に事切れた将軍の襟を掴んだまま、ずるずると引きずって玉座の間を進む。返り血で染まった鎧から滴る血が、ボクの歩んだ後に赤黒い足跡を残していく。ボクは興味を失った玩具を手放すように、将軍の体を床に置き、覚束ない足取りで女王の前に到達した。女王はボクを一瞥し、臆することなく言葉を紡ぐ。


「まさか生きて戻るとは、夢にも思いませんでした。勇者さま、今更お尋ねするのも無粋かもしれませんが、ここへ何をしに来たのですか?」

「女王陛下、あなたはこの国を間違った方向へ導く存在だ。その過ちを、正しに参りました」


 ボクは冷静かつ端的に言い放ったが、女王は微笑むだけだった。


「そうでしょうか? 私には、そうは思えません。貴方のこれまでの努力は認めますが、結局、理想など実現しないものです。残念なことに――」

「往生際が悪いな……」

「往生際? いいえ、私は現実を代弁しているだけです。貴方はラズィーネの策略通り、猛毒を飲み干しましたね。おそらく今、こうして立っているのが不思議なくらいでしょう。貴方に残された時間は残りわずかのはずです。次の統治者にもなれぬ者が、王を裁くなどと……」

「それでも! あなたをその玉座に居座らせることはできない!」


 ボクは女王の腕を強引に掴み、バルコニーに連れ出した。足下には混乱の中にある民衆がちらほら見える。この場で、彼女に宣言させるしかない。


「くだらない王権神授説はもう終わりにするんだ。民に統治を委ねろ。さもなければ、ここで……民衆の前で、あなたの首を刎ねる……」

「……愚かなことを。どうして、そんなに下民共を信じるのです? 彼らもまた、私の支配に縋り、依存してきたというのに……」

「いいから、やれ……」


 女王は躊躇していたが、命惜しさに、ようやく口を開いた。


「……我が親愛なる国民たちよ!」


 その声に、下でざわめいていた民衆が一斉に顔を上げた。混乱の中、最初はまばらだったが、次第に集まる人々に向けて、女王は演説を続けた。


「私は今日、この国の君主としての役割を終え、この国の未来を国民に託すことを宣言します! これからは、あなたたち一人一人がこの国を導き、新たな未来を築いていくのです!」


 女王の言葉に、民衆は困惑しながらも次第に拍手が広がっていった。その反応を見ながら、ボクはようやく少しだけ安心を感じる。これで、何かが変わってくれれば、それ以上を望むことはしない。


「……お見事です、女王陛下。これで、あなたの役割は終わりです」

「それで、私はどうなるのですか?」

「もうあなたは女王ではありません。神の代弁者でもない。ただの人として、どうぞご自由にに生きてください。できることなら、人のためになることを成してほしいと願いますが……。ごふっ」


 無理な力を行使し続け、猛毒が血液を巡り身体を蝕む。

 ボクの体力は、もう……限界だった。


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