第5章 名声の落日
体力を取り戻すと、ローリエッタに連れて来られたのはリューンデウス領の辺境。人里離れた山奥のさらに隔絶された僻地にある、古びた
「スサノシン、お腹すいたー! ご飯の支度はまだ~?」
「もうすぐできるから、辛抱して」
ローリエッタはダイニングテーブルの前で食事が配膳されるのを待っている。空の皿にナイフとフォークをカチカチ鳴らし、とても不機嫌そうだ。
「待てない~! 私、お腹ペコペコなんだから! ぶーぶー!」
「はいはい、お待たせしました。どうぞ召し上がれ」
ボクは彼女に命じられると、どんな命令でも逆らうことができない。右手を挙げろと言われれば右手を挙げる。それはボクの自由意志ではなく、全て彼女の意志によるものだ。
「まっずーい! 何これ、生焼けの魚じゃない! 病気にでもさせるつもり? このアンポンタン!」
「だから、待てって言ったんだろ……君が急かすから、生煮えで出す羽目に……」
「主人に口答えしない! さっさと火を入れ直してきなさい、やり直しよ!」
「……うへへーい」
生気のない声で答え、足は自動的にキッチンへ向かう。日々の単調な労働は心を徐々に蝕んでいく。かつての『勇者』としての栄光は、もはや遠い過去のものだ。今のボクは、エルフに飼われる、ただの奴隷でしかない。
「食器を片付けたら部屋の掃除もよろしくね。それから畑に水やりと、洗濯もお願い。ああ~それと、帰りに薪も集めてきて、お風呂に入りたいから」
ローリエッタは無邪気な表情で次々と指示を出してくる。かつての仲間としての情など微塵も感じられない。ボクは無感情に彼女の命令に従い、作業をこなしていく。どんなに無理な要求をされても、刻印の力がここでは絶対の掟なのだ。
一日の野良仕事を終える頃には、疲れ果てて眠りに落ちてしまう。ベッドに倒れ込むと、栄光や戦いの日々がまるで夢のように感じられた。このまま一生、ローリエッタの奴隷として過ごすのだろうかという不安が頭をよぎる。
「ボクの人生、この先ずっとこうして繰り返すだけなのかな……」
そんな思いを抱きながら、疲労に屈して瞼を閉じる。王都にいた頃の使命感や、勇者としての自覚すらも今は遠いものになり、日々の労働に追われることが逆に気楽にすら思える。しかし、やりきれない気持ちに蓋をしていることも事実だ。そんな思いに耽りながら、ボクの意識は徐々に闇に溶け込んでいく。
翌朝、小鳥のさえずりで目が覚めると、ローリエッタはすでに部屋に入ってきており、笑顔で次々と命令を唱えていく。
「おはよう、スサノシン! 今日も一日、頑張ってね! まずは朝ご飯を作って、その後、川で洗濯をお願い。それから……」
「おはよう、ローリエッタ……君は毎日何もしないで、幸せそうで羨ましいよ……」
侍女のフランチェスカが甲斐甲斐しく世話をしてくれた優雅な日常が、まるで幻だったかのように思える。ボクはベッドからゆったりと起き上がると、顔を洗う間もなく彼女の朝食を支度を始めた。
「るんたらったら♪ ごっはっん♪ ごっはっん♪」
「……ハァ~」
無邪気で上機嫌なローリエッタを見ていると、不思議と憎しみや嫉妬は湧いてこない。しかし、彼女の命令に従いながら、このままではいけないという思いは常に持ち続けている。奴隷として一生を終えるわけにはいかない。契約の制約がある中で、どうにかして刻印を解除して自由を取り戻さなければならない。ボクなりに色々と試してみたが、結論として、この状況を脱するに至っていないのはご覧の通りである。
「美味しかったー! 満足、満足♪」
「食べ終わったら食器くらい自分で~」
「スサノシン、後はお願いねー♪」
「……あいあいさー」
朝食を終えたローリエッタは上機嫌のまま散歩に出かけてしまった。ボクは彼女の指示通り、掃除や洗濯に取り掛かる。毎日同じことの繰り返しだが、世の中のほとんどの人達が不平不満を言わず、同じように日々の家事をこなしていることを考える。
「自分が特別な存在だと思わなければ、こんな生活も分相応に思えるな……」
王都にいた頃、ボクは自分が特別な存在だと驕っていた。それゆえに、権力者たちの腐敗が許せなかった。そして、それを変えようとした結果がこの有様だ。
「ボクは承認欲求に満たされて、人々から称賛されたいだけだったのかもな……」
そんな独り言を呟きながら、洗濯を終えて帰宅する途中、背後から一人ではない足音が聞こえた。振り返ると、そこには捕らえられ、満身創痍のローリエッタの姿があった。彼女は憔悴しきった様子で俯いている。
「……ラズィーネェエエエエ!!」
「おっと、動かないでください! 少しでも妙な動きをすれば、この小娘の首を跳ね飛ばしますよ!」
何が起こったのか理解する間もなく、体中の血が沸騰するような感覚を覚えた。久しぶりに湧き上がる激情に突き動かされ、かつての旧友に飛びかかろうとしたが、理性が働き、踏みとどまった。
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