第3章 かつて英雄だったそれは
――どうしてこうなったのかな?
「考えが甘かった……! 自分が勇者だからと……くそっ!」
つい最近まで、ボクは女王に信頼され、この国のために戦っていたつもりだった。それが今や追われる身となり、裏切り者として処罰されようとしている。絶望の中、人間らしい、どす黒い感情が湧き上がるのを感じた。
「女王陛下……いや、今や暗君とお呼びすべきかな……」
ボクは不安定な森の道で何度もつまずき、ついに膝をついた。視界がぼやけ、手足の感覚が薄れていく。どうやら今宵の食事には毒が盛られていたようだ。
「ははは……こんなところで……」
約一時間前、ボクは奇襲を受けた。住んでいた塔に投石機の攻撃が始まり、一瞬で外壁が崩れ落ちた。無慈悲なまでの攻撃には、かつての勇者に対する敬意など微塵も感じられるものではなかった。
だが、ボクは死には至らなかった。流石は勇者だ。頑丈にできている。(すごい)背の上に伸し掛かる燃える瓦礫をかき分け、森へ逃げ込んだ。そして今、体力の限界に達しながらも追っ手から逃げ続けている。
「ハァ、ハァ……。どこか安全な場所で……休まないと……本当に……」
その時、木々が揺れ、気配が近くにあることを察した。
ボクは息を止めて佇み、暗闇の奥に意識を集中させていく。
「ご無沙汰しております、スサノシン殿。このような再会となり、残念です」
「……ラズィーネ!」
かつて魔王討伐の旅を共にし、戦った仲間。ラズィーネが現れた。
彼は共に旅をしていた時と寸分違わぬ笑顔で、自然に会話を続ける。
「これが、この国における異端者の末路です。勇者スサノシン、貴殿の功績には感謝します。しかし、我が国のため、ここで消えていただく必要があるのです」
「……ボクに暴力を使わせる気か?」
「万全の貴殿には到底、敵いません、しかし今の貴殿であれば……」
ラズィーネが剣を抜くと、続々と暗闇から兵士たちが現れ、ボクを取り囲んだ。
この場は力尽くで切り抜けるしかないと悟り、静かに両手を構え、息を整える。
「聖剣……抜刀……」
左手の指先から青白い閃光が迸り、稲妻がほとばしる。暴力とは無縁の生活を送り久方ぶりの錬成だったが、聖剣はボクを忘れないでいてくれたらしい。ラズィーネは一歩後退し、驚嘆した様子で呟いた。
「驚きました。いやはや、しぶとい。まだそんな力が残っていたとは……」
「王都の兵よ! 引け! これ以上、ボクに構うなッ!」
「手負いの勇者だぞ! ここで武勲を立てる者はおらぬか! 一斉にかかれ!」
ラズィーネの号令に反し、兵士たちは震える手で武具を構えながら、徐々に後退していく。
「う、うわああああッ!」
最初に槍を振り上げたのは、まだ若い兵士だった。しかし、彼が放った槍の先が届く前に、ボクの指から迸る電光が閃き、彼の動きを一瞬で制する。
「これ以上、無意味な暴力を振るわせるな! 退けっ!」
若い兵士のみならず、周囲の数人が同時に倒れ、ボクの一撃で包囲網が崩れた。
その早業に、兵士たちの戦意が萎えて、伝播していくのを感じる。
「勇者は瀕死じゃないのか!?」
「き、聞いてた話と違う! バケモノ相手に勝てるわけがない!」
動揺が波形して広がる最中、ラズィーネはゆったりと自然な動作で剣を抜き、ボクに向かって襲いかかってきた。ボクは紙一重で剣撃をかわしながら、反撃の一撃を放ったが、ラズィーネはそれをいとも簡単に避け、ボクの脇腹を斬りつけ距離を取る。
「ぐああっ……」
深々とえぐられた傷口を押さえ、ボクはその場に膝をついた。
脇腹の痛みが集中力を喪失させ、呼吸が激しく乱れる。
「流石は団長だ! 勇者なんざ恐れるに足らず!」
「団長、そいつにトドメを刺してください! 仲間の敵を討ってください!」
歓声が周囲から湧き上がり、脇腹を抑える手が震え始める。強大な閃光を放っていたボクの術式は、とうに維持できなくなり、光は四散して消え去った。
「があっ……はっ、はっ、はっ、ううっ……うっ、げほっ」
膝を折ったボクを見下ろしながら、ラズィーネは冷酷に告げた。
「ごらんなさい。かつては大陸を救った勇者も、女王の権威がなければ、誰もあなたを支持しない。ヒト……なんてものは、一時の利害に群れて属する集合体なのです。如何に耳障りの良い理想を謳っても、反発する力の方が強大であれば、こうして敵と見なされ排除されてしまうのが世の
「ラ……ラズィーネ……」
かつての仲間が、つまならい物を見るような態度でボクを見下ろしていた。
「さようなら、勇者スサノシン。その功績には感謝しています」
……ここまでか。ラズィーネの剣がボクの頭上に振り下ろされる、その刹那――。
突然、何かが高速で飛んできた音が響いた。――ヒュン、ヒュンヒュン。
それとほぼ同時に、兵士たちの呻き声が次々に上がる。
「うぎゃああ!」「いっ、痛ぇ!」「どこからだ!」
驚いて振り返ると、長い銀髪と尖った耳を持つ若いエルフの少女が、クロスボウを構え木の枝に立っていた。彼女の鋭い視線は兵士たちの急所に狙いを定め、連射式のクロスボウから撃ち出される矢が、陣形を切り崩していく。
「ローリエッタ……!」
ボクは無意識に彼女の名前を呼んだ。彼女もまた、かつて魔王を倒す旅を共にした仲間の一人である。彼女がこの場に現れたことに驚きを隠せず呆気に取られる。
「小娘が……!」
ラズィーネはクロスボウの矢を薙ぎ払いながら、苛立った様子で叫ぶ。
ボクとしては、この千載一遇の好機を見過ごすわけにはいかない。もう一度、最後の気力を振り絞って状況に対処するために立ち上がった。
「ぼけっとしてないで、チャカチャカ動きなさい! 走るわよ!」
「わ、わかったぁ……」
朦朧とする意識の中、ボクは彼女の言葉に従って逃亡を始める。体中が軋み、まともに歩くことすら困難だったが、ローリエッタがボクの腕を引いてくれたおかげで、かろうじて足を動かすことができた。
「おのれぇ……エルフの小娘が! 許さん、許さんぞ!」
膝に矢を受けたラズィーネの怒号が背後から聞こえてくるが、今は立ち止まるわけにはいかない。ボクは残りの体力を振り絞り、必死で走り続けた。その甲斐あって、追撃をなんとかかわし、森の奥、闇に乗じて逃げ去ることができた。
九死に一生を得た安堵感と、全身の緊張が解けた瞬間、ボクの意識は急速に薄れていく。しかし、ローリエッタがしっかりと腕を引いてくれるおかげで、倒れずに済んでいた。
「もう少し頑張って。ここはまだ危険よ。もう少し奥へ進みましょう」
彼女の声に励まされながら、懸命に足を動かした。どこまで逃げるつもりなのか。ローリエッタの存在に頼り切っていたが、彼女には何か策があるのだろうか。ボクは彼女を信じ、深い森の奥へと進んでいく。
ボクは何のために、誰のために勇者になったのだろうか。
その問いの答えは、わからないまま、ボクは意識を失ってしまう。
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