第1章 夢の世界の美しさと綻び

 その後、魔王を討伐したボクは、その功績を称えられ、城郭内にある塔の一つを褒美として与えられた。毎朝、見晴らしの良い塔の最上階で目を覚ますと、清々しい朝日が窓から差し込んでくる。


「ううう、眩しい……」


 侍女のフランチェスカが、ボクを気遣いながら静かに部屋に入ってきた。彼女はまずカーテンと窓を開け、埃っぽい部屋に新鮮な空気を取り込む。そして、朝日を浴びてぼんやりしていたボクに、優雅にお辞儀をしながら告げる。


「おはようございます、勇者さま。昨晩はよくお休みになられましたか?」

「おはよう、フランチェスカさん。今日はいい天気みたいだね」


 もともと寝起きが悪い方だったが、この世界に来てから規則正しい生活を送るうちに、自然と改善されていた。フランチェスカのおかげだろう。ベッドで半身を起こすと、彼女は朝の身支度を手際よく手伝い、髪を整え、衣装を選んで準備してくれた。


「本日のご予定はどうなさいますか?」

「朝食を終えたら庭園を散歩して、午後は書斎で読書かな」

「承知いたしました」


 しばらくして、朝食が運ばれてきた。フランチェスカは季節の新鮮な果物や焼きたてのパン、紅茶を順序よく配膳する。ボクは無言で食事を済ませたが、彼女はその後も淡々と報告を続けた。


「勇者さま、最近の天候は不安定でしたが、庭園の花々は元気に咲いております」

「ありがとう、フランチェスカさん。君が手入れしてくれたおかげだね」

 感謝の言葉を伝えると、彼女は控えめに微笑んだ。

「滅相もございません」


 彼女との会話はいつも穏やかで、この異世界での不慣れな生活に安心感を与えてくれる存在だ。時には、ここまでしてもらうことに申し訳なく感じることもあるが、それはボクが元は小市民だからだろう。


 食後の散歩を終え、城の書斎に向かう。古書の香りと厳かな雰囲気に包まれ、ボクは書物を物色していた。すると、書庫長のギュスカがボクに気づいて近づいてきた。


「おはよう、勇者さん。今日も勉強かい? 真面目だねぇ、感心感心!」


 書庫長のギュスカは半獣人の女性で、背丈はボクの1.5倍ほどある。耳の上には二本の牛角が生えており、それを含めると倍以上の身長に感じられた。


「おはよう、ギュスカさん。まあ、部屋に引きこもっても退屈だからね。それより、今日は王家の歴史について調べたいんだけど……」

「ハッハッハ! 謙遜するなよ、坊主! 王家の歴史ならこの辺にまとめてあるぜ。この『竜王の酔眼』なんて本は面白いぞ。時代背景もしっかりしていて、読み応えがある! おすすめだ!」


 ギュスカは大声で笑いながら、分厚い本を手渡してくれた。彼女はどんな古書の内容も把握しており、書庫の管理責任者として完璧な存在である。


「ありがとう、ギュスカさん。おかげで調べ物が捗りそうだよ」

「勇者さまは本当に熱心だねぇ。城の兵士たちにも見習わせたいもんだ!」


 ギュスカは豪快に笑い、自分の作業に戻っていった。彼女と話すと、どんなに疲れていても元気が出る。彼女の明るさには不思議な魅力があるのだ。


 この国の人々は本当に良い人ばかりだ。城に勤める者たちは皆親切で、いつも温かくボクを支えてくれている。だからこそ、この国の歴史や文化を学び、少しでも役立てたいと強く思う。おかげで、この国の成り立ちや国家間の情勢、大陸全土の文化や歴史を把握できるようになっていった。


 ――結論から言おう。この国の政治情勢は、まさに混迷の極みである。


 教育、医療、福祉はすべて劣悪な状況が続き、市場経済は選民意識の強い貴族層によって独占されている。上級貴族たちは王室の顔色をうかがい、地位を守ることに終始している。結果として、市民はまともな商売もできず、貧富の差が拡大している。絶対君主制に基づくこの独裁体制は、世代を超えて血統に固執し続け、上級貴族は民衆に対して暴力的な支配を行っている。彼らにとって、民衆は搾取の対象でしかない。


 国政議会も形骸化しており、市民の生活や福祉が議題に上がることは一切ない。さらに、市民層もまた奴隷制を受け入れている。半獣人やエルフ、戦争孤児、生活苦で親に売られた子供たちが奴隷として扱われ、過酷な労働を強いられている。


「こんな状況が放置されているなんて、本当に嫌になる……」


 奴隷の待遇は劣悪で、彼らは『ヒト』として認識されていない。満足な食事も与えられず、死ぬまで搾取され続けるのだ。


「弱者がさらに弱者を搾取する……負の連鎖が続いているのに、誰も疑問を抱かないなんて……」


 魔王討伐だけを考え、大衆の暮らしに目を向ける余裕がなかった。もっとこの世界の文化や風土を理解すべきだった。そんな思いが、後悔と自己嫌悪を生んだ。


「このままだと、この国の未来は、非常に危ういな……」


 借りた書物を手にしながら、これまでの考察が正しかったことを確認し、ボクは胸の奥で、世の中を良くする切っ掛けを起こせないかと考えるようになっていた。


「この国の未来は暗いのか……それとも……」


 窓の外に広がる庭園は、美しくも、今までとは違った空虚なものに見えた。


「ボクがこの世界に来た本当の意味……」


 少しの不安を抱きながら、再び書物に目を落とし、ボクは決意を固める。


「女王陛下に謁見を申し込み、この国の未来を変えるために行動を起こそう」


 ここまでが、ボクが異端者として定められ、失望と挫折を経験する直前の出来事である。


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