16歳-9 世間の反応

・25歳 ハルキの一日


夕方の静かな時間、まだ外は少し明るいものの、日が傾き始めた頃に「Bar: Daniel」のシャッターをゆっくりと開けた。

いつもの開店前のこのひとときが、俺にとっては大切な時間だった。


ここは眠らない街、歌舞伎町。

昼間の喧騒が少しずつ落ち着き、夜の賑わいを迎える準備が整うこの瞬間、街は昼と夜の間で少しの静けさを保っている。


店内に足を踏み入れて、まず照明をつけた。

柔らかなオレンジ色の光が店内を包み込み、ラバリアのチームカラーである赤と白のデコレーションが温かみを帯びて輝き始める。

俺は短く深呼吸し、この落ち着いた時間をしっかりと感じ取った。


まず、カウンターへと向かい、ビールサーバーの点検を開始した。

昨夜のラバリア対レアロ戦の再上映で熱狂したファンたちのおかげで、ビールの樽はほとんど空っぽになっていることを思い出す。

俺は冷蔵庫から新しい樽を取り出し、慎重に交換作業を行った。

タップをしっかりと差し込み、試しにノズルを引いてみると、泡とともに黄金色のビールが少しだけ流れ出てきた。これで準備は万全だ。


続いて、フィッシュアンドチップスの仕込みを行う。

このフィッシュアンドチップスはこの店の看板料理だ。スペイン賭博ニキ直伝のレシピで作るこだわりの逸品である。

俺はまず、冷蔵庫から新鮮な白身魚を取り出し、まな板の上に慎重に並べた。

魚の質が重要なので、いつも一番新鮮なものを選ぶ。今日も透き通るような美しい切り身が並んでいる。


包丁を手に取り、魚を一口サイズに切り分けていく。

この時の形と大きさが重要らしいので、スペインでニキに教えてもらった時のことを思い出しながら慎重に包丁を入れていった。

切り終わった切り身は、ボウルに移して軽く塩を振り、少しの間置いておく。

これが下味となり、後で衣をつけるときに、魚の風味がしっかりと生きる。


次に、衣の準備に取り掛かった。

大きなボウルに小麦粉を入れ、そこに冷たいビールを注ぐ。ビールの炭酸が、揚げたときに衣をカリッと仕上げてくれるのだ。

俺は泡立て器で慎重に混ぜ合わせながら、衣の粘度を調整する。数分ほど混ぜると、滑らかで程よくとろみのある生地ができあがった。


ポテトの準備も欠かせない。

俺は大きなジャガイモを手に取り、皮をむいて厚めのスティック状にカットしていく。

切り終わったポテトは、水にさらしてデンプンを取り除く。こうすることで、揚げたときに外はカリッと、中はホクホクの食感が得られる。

揚げる直前まで冷やしておいた方が温度差でサクサクに揚がるため、仕込み終わったポテトと魚を冷蔵庫に戻した。


フィッシュアンドチップスの肝であるタルタルソースの準備も忘れない。

マヨネーズをベースに、みじん切りにしたピクルスとケッパー、レモン汁、そしてニキから送られてくる謎の赤いソースを混ぜ合わせる。

このソースは秘伝らしく、まだ作り方を教えてもらっていない。

月の初めに特製のポテトスパイスと共に送られてくるのだ。

俺はタルタルソースの味見をし、バランスが取れた味わいになったことを確認すると、これを小さな容器に移した。


続いて、グラスを一つ一つチェックする。

カウンターに並べられたグラスを手に取り、丁寧に光にかざして曇りや指紋がないかを確認する。

すべてのグラスがピカピカに輝いていることを確認し、グラスを棚に戻した。


準備が一通り終わると、俺はカウンターに戻り、サイフォンで自分用のコーヒーを淹れ始めた。

外からは少しずつ夜の音が聞こえ始め、間もなくファンたちが集まり始めることを予感させる。

店の中を見渡して、準備が整ったことを確認し、店のドアを開けた。


これで準備は万端だ。

あと数十分もすればファンの皆で席が埋まるだろう。

それまでは、しばしの休憩である。


サイフォンから淹れたてのコーヒーをカップに注ぐ。

カップから立ち上る湯気を眺めながら、俺はこの激動の1-2年を振り返ることにした。











俺は中学から大学までずっとバスケ部だった。

だからワールドカップやオリンピックなどなど、日本代表の試合はすべてチェックしていた。

だが、世界の壁は分厚く、日本代表は負けが続き、テレビでは取り上げられることがなくなっていった。


そんな中、日本の救世主になり得る選手が現れた。

名前は東雲大。

弱冠14歳でU18の日本代表に選ばれた、身長220cmオーバーの大巨人である。


東雲選手はU15やU18の代表戦で、日本中の皆を魅了する大活躍を見せてくれた。

特に、日本人離れした身体能力は圧巻の一言であり、ヨーロッパのビッグマン相手に一歩も引かないどころか逆に圧倒してしまうほどだった。

俺は一発で彼のファンになった。


世代代表の試合はすべてチェックしたし、掲示板では彼の活躍や今後について熱い議論を交わしたりもした。

掲示板で彼がスペインのプロチームであるラバリアに入るという情報を聞いたときは、自分のことのように嬉しかったのを覚えている。

いつしか、彼の応援は俺の生活の一部に組み込まれ、生きがいになっていった。


一方で、私生活の方はあまりうまくいっていなかった。

新卒で入った中小企業で機械部品の設計者として働いていたものの、労働環境が過酷だったからだ。

残業がデフォルトで3時間以上あったし、有給など使う暇がなく、どんどん消えていく始末だった。


そんな中、ラバリアファンが集まる掲示板に面白い男が現れた。

スペイン賭博ニキ。

ラバリアの12連勝に大金を賭けて、8000万円をゲットした狂人である。

・・・狂人は言い過ぎかもしれない、スペインはスポーツ賭博が合法らしいからな。


スペイン賭博ニキは賭博で当てた8000万円を使ってラバリアファンが集うスポーツバーを開業したらしく、掲示板でも宣伝をしていた。


このニキ、勢いだけで生きてんな。

当時の俺は若干引き気味でこのニキのことを見ていた。しかし、同時にどこか面白い、うらやましいと思う自分もいた。

俺は今までの人生で、こんなに勢いまかせに、好きなことに全力に生きたことがあっただろうかと。


気が付けば、俺は溜まりにたまった15日分の有給を強引に申請し、勢いに任せてスペインまで来ていた。

そして、スペイン賭博ニキがいるというBar: Danielを訪ねた。

するとそこには、バーカウンターを放棄してTV画面の前を陣取り、大声でラバリアの応援をしている青年がいた。

あの熱量、間違いない。

スペイン賭博ニキである。


・・・いや、応援は良いけど、営業の方は大丈夫なのか?

そう思った俺だったが、この店は基本的にラバリアファンしか来ないので問題ないようだ。

今も赤いユニフォームを着た客達が、代金を箱の中に入れつつ、自分でビールサーバーからビールを注いでいた。

ハチャメチャに自由な店である。


「ン?ニッポン ノ オキャクサマ デスか!?」


俺がバーの様子を観察していると、ニキがこちらを向いて尋ねてきた。

TV画面を見るとハーフタイムが始まっていた。

どうやら、良い時間に来たようだ。


「そうだ。掲示板でニキのお店に行くと予告した、ハルキというものだ」


俺はどう答えようか迷ったが、ニキはギリギリ日本語が通じそうだったので、率直に答えることにした。


「掲示板ノ!マッテタヨ!ハルキ! コッチコッチ!フィッシュアンドチップス タベヨウ!」


ニキは俺を大歓迎し、ラバリアファンの中に招き入れてくれた。

その後はニキや現地のラバリアファンと一緒に、肩を組んで大声をあげてラバリアを応援した。

ゲームは一進一退の攻防で非常に盛り上がり、最高に楽しかったことを覚えている。

フィッシュアンドチップスも馬鹿みたいに旨かったしな。


途中、日本語が堪能なジュリアと言う女性も現れて、俺の言葉を翻訳してくれた。

現地のラバリアファンから「日本でのダイの情報を教えろ!」と質問攻めにされていたので、ものすごく助かった。




それから約2週間もの間、俺はこのバーに通い続けた。

俺もスペイン語が少しだけわかるようになってきたし、ニキの日本語力もめきめきと上達していった。

もともとニキは日本語で掲示板に書き込むだけあって、文法などは理解していたようだしな。

非常に能力の高い男である。


俺が帰国する前日には、店を挙げてお別れ会を開いてくれた。

異国の地にこんなに馴染んだのは初めてのことで、すごく嬉しかったのを覚えている。


その会の途中、会話の流れから俺の仕事の話になってしまった。

俺は酒が入っていたこともあり、今の仕事先がどれほどブラックな職場なのかを熱弁してしまった。

すると、ニキは俺の背中を叩きながら、「それはイケないね!仕事は楽しまないと!うちのバー、日本にも店を構える予定だからハルキ店長やってヨ!」と言ってきた。

俺は酒の勢いで、「まじか!?任せておけ!あんな会社辞めて店長やるから、絶対に声をかけてくれよな!」と答えた。


その時は冗談だと思っていたのだが、帰国して直ぐに開業についての電話が来たのにはびっくりした。

ちょうど15日有給を取得した事について上司からネチネチと責められていたところだったので、俺は翌日には辞表をたたきつけ、このバーの店長になることを決めたのだ。

そして、今に至る。




・・・

なんか、自分で回想していても信じられないくらいエキサイティングな日々だったな。

大学を卒業するころの自分に「お前は数年後、掲示板での会話がきっかけで歌舞伎町のスポーツバーを経営することになる」といっても、絶対に信じなかっただろう。


まぁでも、今が楽しければそれでいいのだ。

まだ開店して少ししか経っていないが、このバーの経営は順調そのもので、めちゃくちゃ楽しく仕事ができている。

客足も大盛況で、立ち飲み客が出るほどだし。


とはいえ、これは俺の実力ではなく、ニキのフィッシュアンドチップスが旨すぎるのが大きいと思う。

土日の昼はフィッシュアンドチップスとコーラを1000円で提供するランチ営業もしているのだが、50個用意しても完売するほどの人気だからな・・・

ニキに収めるロイヤリティは利益の一割しかないので、俺の収入は会社員時代に比べて爆増している。


もちろん、夜のバーとしての客入りも良い。

流石にスペインほどはラバリアファンがいないので、火曜と木曜はサッカーなどほかのスポーツを流しているが、その他の曜日はラバリアの試合か過去のバスケ日本代表戦を流している。

ラバリアの試合の日には、掲示板のみんなも応援に駆けつけてくれて、皆で肩を組んで大声出しての大盛り上がりだ。

この日ばかりは俺もニキを見習い、バーカウンターを放棄して応援することにしている。


「来たぞハルキ!フィッシュアンドチップス5個頼む!」


おっと、コーヒーを飲みながらぼんやりしている間に、いつの間にか来客があったようだ。

入り口を見ると、そこにはあの掲示板出身で常連客になったいつもの7人が、ラバリアのチームユニフォームを着て押し寄せてきていた。


「おう!昨日ぶりだな!飲み物はビール7つでいいか?」


俺はコーヒーをそっと置いて、言葉を投げ返した。


「「「「「「オーケー!」」」」」」

「私はコーラでお願いします」


分析に定評のある澤田以外の皆はビールで良いみたいだ。

俺はニキに教わった泡とビールを別々に出す注ぎ方で、丁寧にビールを注ぎ始めた。

6つ分用意すると、瓶のコーラやお通しのナッツ類と一緒に席までもっていく。


「今日はアジア選手権の日本VS中国を再上映するんだっけ?」


「ああ、三日後にはオーストラリアとの強化試合だからな。今のうちに見直したいだろ?」


「確かにな!流石ハルキだぜ!」


そんな会話をしながら、俺はテレビのスイッチを押し、録画していたアジア選手権の試合を流し始めた。

ラバリアの試合の日であれば俺もこのまま観戦するところだが、流石に再放送だから真面目に料理するか。

俺は盛り上がる常連達を席に残し、バーカウンターの隅で油を温め始めた。


そんなとき、店の電話が鳴り始めた。

番号を見ると、ニキがいる本店からである。

なんだろう?

急がない用事ならメールで済ませるはずだし、何かしらの緊急事態か?

俺はそんな疑問を頭に浮かべながら、受話器を取った。


「ハルキ!ビッグニュースだ!!ABBニュースを見てくれ!」


通話が始まると同時に、興奮した様子のニキが息を切らせながら伝えてきた。


「ちょっと待ってくれ」


アジア選手権を上映中ではあったが、ニキのただならぬ様子を感じ取った俺はABBニュースにチャンネルを変えた。


「なにすんだハルキ!今良いとこだったのに!」


常連からはそんな恨み節が上がる。

そして同時に、ABBのキャスターのアナウンスが聞こえてきた。


「Let me repeat the news. The composition of this season's Euroleague was just announced, and it was announced that the Spanish team Lavaglia has qualified for the first time since its inception.」


・・・まずいな、英語が分からないから理解できねぇ。


「ええ!?本当ですか!?」


常連の皆も同じく首を傾げていたが、外資系エリートサラリーマンの澤田は理解できたらしく、驚愕の声をあげていた。


「おい、翻訳してくれ!」

「はよ!」


澤田をせっつく常連達。


「聞いた通りですよ!ラバリアがユーロリーグの参加資格を得たんです!!」


澤田が興奮した様子で・・・ってええ!?

ユーロリーグ!?

本当かよ!


「今発表されたばかりみたいですね!アンビリバボーです!!」


普段冷静な澤田が、両手を上げて喜びを爆発させている。

その様子を見て、本当にラバリアがユーロリーグに参加できるんだという実感と嬉しさが沸き上がってきた。

凄いな!ユーロリーグかよ!


「ユーロリーグか!まじか!」

「ファーwww」

「大ニュースじゃねぁか!さっそくスレを立てないと!」

「これはめでたい!乾杯じゃー!!」


常連の連中も騒ぎまくっている。

かくいう、俺も即座に瓶ビールを開けて勤務中にもかかわらず飲み始めてしまった。

そのくらい興奮している!


いや、ほんとすごいな!!

これはめでたすぎるだろう!


「これはとんでもないニュースだな!」

「ユーロリーグといえば、欧州のバスケットボールクラブの頂点を決める大会だろ?ラバリアが欧州チャンピオンになる可能性があるってことか?」

「基本は各国のリーグ優勝者しか参加できない印象だったが」

「ラバリアの実力を見てくれたんだろ。先日も昨年度優勝者のレアロに大差をつけて勝利してたしな!」


盛り上がり続ける常連たち。

俺も胸の高鳴りが止まらねぇ!

こんな日に営業してられるか!


俺はバーのドアに「貸し切り中」の看板を掲げた。

これで、常連以外は入ってこられないはずだ。


「今日は食べ放題、飲み放題だ!料金は気にせず好きなだけ食べて飲んでくれ!」


俺はテンションが上がりすぎて、ついそんな宣言をしてしまった。


「ヒュー!流石だぜハルキ!」

「祝い酒じゃーー!!!!」

「飲むぞ飲むぞ!」

「いいですねぇ!」


常連客の連中もギアをもう一段上げて盛り上がり始めた。

受話器の方からは「よく言ったよハルキ!うちも今日は無料にしてるヨ!!」という声が聞こえてくる。

流石はニキだぜ!!




その後は、常連客全員で何回も祝杯を挙げた。

ラバリアの名場面集を見ながら、みなでラバリアがユーロリーグで戦う姿を思い浮かべて盛り上がった。

ユーロリーグの強豪を調べて、ラバリアならどう勝つかを議論しまくった。

この幸せな大騒ぎは、夜が明けるまで続いた。







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いつも感想や星などありがとうございます.励みになっています.

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