たった今更新

 あれから二日が経った。

 なんちゃらホラー大賞と肝打たれた太い単行本を読み終えると、もう五時になっていた。

 ――早っ、まいちん待ってるかな。

 机に積まれた、怖そうな装丁の本を片付けて、中古の重いパソコンの起動を待っている間にまいちんへ電話を掛けた。

 ――あれ、もしかしてまた寝てたりするのかな。

 延々と、無心で鳴り続けるコール音。

 プツリと切れて、また掛け直す。そのサイクルを繰り返すことがだんだん馬鹿らしく思えてくる。

 ――どのみち、起きたら掛けてくるかな?


 そうしている間に、ワープロソフトが立ち上がった。

「ん?」

 これは、何かの見間違いだろうか。

 一度、カーペットに大文字で寝転び、目をつむって十秒数えた。

 起き上がって椅子に座り直し、埃がかった液晶ディスプレイにすっきりと晴れた眼球の焦点を合わせる。

 ――やっぱり、見間違いじゃないんだ。

 ということは、パソコンかこのソフトがおかしくなったのではないかと考えて、一度ソフトを落とし、パソコンを再起動させる。


 ――これ、ホントに? なにこれ?

 まいちんとお揃いの、ガイコツのデザインされたTシャツに、コーヒーがビチャリとシミを作った。

 胸の中に、暗雲が垂れ込める。

 首筋にじんわりと汗が滲む。


『たった今更新』


 ワープロソフトの画面には確かにそうあった。

 この物語を最後に開けたのは、一昨日に、まいちんとわいわいがやがや話しながら執筆していた時だ。

 あれから一度も、パソコンにすらログインしていないはずなのに。

 さらに。


『べとべと』


 これまで、タイトルは、『お化け屋敷の怪奇談』だったのに、一体なぜ。

 私は手首に力が入っているのを感じながら、マウスをワンクリックした。

 小説の中身は、それと言った変化はない。

 ほっと胸を撫で下ろした時だった。

「……え?」

 小説の分量が、明らかに増している。




 👻👻👻




 結局僕は強烈な違和感だけを消化しきれないまま、祭りの終わりを迎えてしまった。

「じゃーねー、バイバーイ」

 彼女は大きく手を振りながら、僕と別れていった。




 まだ少し余韻に浸りながらも、僕は受験勉強を進めていた。

 彼女のLINEをこまめにチェックしつつも。

 ――メッセージも来てないし、プロフィール写真も、ステータスメッセージもそれと言った変更は無いな。

 スラスラと解けていたはずの数学の式は脳に入ってこようともしなかった。

 ――どうしたものかな。

 集中しようと思っても、頭の中には彼女のことだけ。

 そんな時。


「あんた、ちょっと聞いてよ」


 母が眉をへの字にしながら入ってきた。

「思春期な上に受験勉強中の息子の部屋にずけずけと入ってこないでほしいけど」


「いや、ちょっと聞いて。あんたのTシャツが一枚無いの」


「え?」

 ――それがなんだ、早く出てってくれよ。

「知らない?」

「いや、知らない」

「そう、どれだけ探しても出てこないのよ」

「ちなみに、どのTシャツ?」

「あんたが昨日、お祭りに着ていったあのお化けのTシャツ」

「あぁ、あれね。まあ、なんとか探しといてよ」

「うん……」

 僕は自分の主張を言い終えると、再びシャープペンシルを手に持ち、数学の式の理解に勤しむことにした。




 だが、それだけでは終わらなかった。

「あんた、靴下片方無いんだけど」

「えー、どっかにあるって」

 どれだけズボラな母親なのだと、俺は介護する日のことを考えると末恐ろしくなった。


「シャツが一枚無いんだけど……」

「また買ってこればいいじゃん」

「まあ、でもいちいち……? ホント知らないの?」

「知らないって、そんなの」

 ――あんたはどうなんだ、逆に。

 問い詰めたくなる衝動を堪えて、僕はスマホにメッセージが届いていないことを確認した。


「ジーンズどこ行ったの?」

「知らないって。……何で、そんな次から次へと僕の衣類が無くなるわけ?」

「いや、そんなこと言われても」

「これで何日連続? おかしいでしょ、いくら何でも」

「私もそう思ってるわよ。でもね、それが毎回、外で干してるときに消えるのよ」

 僕は不覚にも、運動音痴な彼女がベランダに忍び込んで僕の服を盗っていっているのではないのかという妄想に駆られていた。




 今日は英語のリスニング対策をしていた。

「I am going to read comic because……」

 だがしかし、英文は次々と僕の耳を空過してゆく。

 ――早く、返信来ないかなぁ。

 僕は、スマートフォンの彼女とのトーク画面をじっと見つめていた。

 その時。


 ぐちゃっ


 ベランダの方から、身を縮めたくなるような音が聞こえた。

 泥がぶつかったような音だ。

 ――なんだなんだ?

 僕はCDを一時停止して、ベランダへ出た。

 ――ん?

 なにか、いる。

 ――誰だ?


 それは、何の形も成さない、紫色の泥の塊だった。


 それは、泥を変形させて腕のようなものを作り、それを使って僕のお気に入りの白シャツを引きずり込んでいく。

 そのまま、ぬちゃぬちゃぬちゃ、と気色悪い音を立てながら、壁を這って外へ出ていった。

 僕は、一切の生命活動をせずに、ただその様子をじっと見つめていた。

 ――なんだ、さっきの。

 ブルリと寒気がしたと思うと、腕に鳥肌がじわりと立った。

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