忌み子の巫は天を照らす

神山れい

序章

託された赤子

 午前二時。帝都にて。

 いつもなら重く暗い雲が空を埋め尽くしているのだが、その日は滅多に見られない満月が顔を出していた。

 雲一つない空に浮かび、闇夜を煌々と照らす。その姿は神々しく、そこかしこにいる魑魅魍魎も影に隠れて現れないほど。

 出番がないかもしれない。帝都の守護に当たっていた者達は、そんな軽口を叩いていた。守護隊長である藤村恭一郎も、今日はその軽口を注意せずに小さく笑みをこぼす。

 そう、それだけ珍しく、静かに夜が更けていく──はずだった。


「何者か!」


 静寂を破り、恭一郎の耳に届いたのはたどたどしい足音。あたりに緊張が走り、恭一郎や守護に当たっていた者達は、一斉に腰に差している剣に触れる。魑魅魍魎かと警戒していたが、しばらくして長い黒髪の女性が姿を見せた。

 月が照らしているとは言え、魑魅魍魎が出るかもしれない闇夜。日が沈み始めると店は閉まり、暗闇が辺りを包み込む頃には、誰もが家に閉じ籠もって外には出ない。帝の力が込められた護符で家に結界を張り、灯りは絶やさず、息を潜め、朝が来るのを今か今かと待つ。

 そんな夜に、突如現れた女性は灯り一つ持たず、白い布に包まれた何かを大切に抱いて歩いていた。長い髪が女性の顔を隠しているため、より不気味さが増す。ついに帝都で亡者が現れたと腰を抜かす者も。

 剣を抜くか、どうするか。鞘から僅かに刀身を抜いた、そのときだった。


「藤村恭一郎様は、いらっしゃいますか?」


 聞こえてきたのは、鈴を転がすような声。けれど、その声は微かに震えていて、助けを求めているようにも思えた。

 この女性は、魑魅魍魎でも亡者でもない。そう判断し、恭一郎は抜こうとしていた剣を鞘へと戻すと手を下ろした。ふう、と息を吐き出し、一歩前へと踏み出す。


「藤村恭一郎は私だ」

「ああ、よかった。お会い、できた」


 安心したのか、力が抜けたかのように女性は膝から崩れ落ちてしまった。

 恭一郎が駆け寄りその身体を支えるも、鼻につく鉄のにおいに眉を顰める。遠目からでは気付かなかったが、まさかと地面に視線を落とすと、じわじわと赤く染まり始めていた。

 何が魑魅魍魎か。亡者か。あのたどたどしい足音は、傷を負っていたためだった。ただ、止血しようにも出血箇所が特定できない。下腹部あたりだとは思うのだが、傷らしきものが見当たらないのだ。その間にも、女性から出ている血が地面に拡がっていく。

 恭一郎は奥歯を噛み締めると、後ろで様子を窺っていた部下達の方を振り向いた。


「傷を負っている! 誰か医者を」

「お待ち、ください」


 息も絶え絶えに、女性が恭一郎を制す。このような状態で何故止めるのかと女性を見るも、それは言葉にすることができなかった。

 腕の中にいる女性の顔に、驚きを隠せなかったのだ。


「……楓様?」

「はい、神森楓です。ああ、よかった。貴方に会えて、よかった」


 楓はほっとした様子で顔を綻ばせ、目には涙を浮かべた。

 神森楓。神々に仕える巫覡ふげきの者最後の一家である神森かみもり家の当主の妻。昨日、女児が生まれたと報があったばかり。恭一郎と妻である香世子の間に子はいないが、出産後は母子ともにしばらくは外に出ることができないと聞く。

 それなのに、どうして外に。しかも、このような闇夜の中を。

 混乱する恭一郎をよそに、楓は震える手で白い布に包まれている何かを強く抱きしめて顔を埋めた。


「恭一郎様、このような勝手をお許しください。ですが、私は……この子、大事なのです」

「楓様、何を」

「……っ、この子を、貴方の子として、育ててほしいのです」


 顔を上げた楓だが、大きな黒い瞳は涙で潤み、悔しさと悲しさを滲ませていた。

 訳がわからないまま、恭一郎は白い布に包まれている何かに触れる。その隙間から見えたのは、生まれたばかりの赤子の顔。

 ひゅ、と喉が鳴った。

 先程の楓の言葉は、嘘偽りのないものだとはわかる。涙で潤む瞳も真剣そのもの。とはいえ、楓の願いは承諾しかねる。

 そもそも、神森家の当主である神森春水しゅんすいが許すはずがないのだ。この赤子は、神森家を継ぐ者。何より、生まれた子は首の後ろに紋様を持って生まれたと聞いた。

 その紋様とは、神を依り憑かせることができるかんなぎの証だ。巫が生まれたのは実に百年ぶりだと、春水が喜んでいた姿は記憶に新しい。

 これから二人で育てていくはずの子。成長すれば、帝と八十神やそがみ家の者達とともに、魑魅魍魎と戦うことになるだろう。もしかすると、長きに渡って続く魑魅魍魎との戦いに、ようやく終止符が打たれるかもしれない。

 百年ぶりの巫。この国にとって、希望の光そのもの。その光を恭一郎の子として育ててほしいなど、楓の言っていることは世迷い言だ。

 産後ということもあり、おかしくなっているのかもしれない。恭一郎は諭すようにして楓へ話しかける。


「楓様、こちらのお方はお世継ぎであり、巫様でしょう。私の子として育てるなど」

「この子は、間引くようにと、言われたのです」


 その言葉に、息を呑んだ。

 間引く。この赤子を、殺すということ。

 忌避意識から残り続ける、古くからの風習だ。つまり、生まれてきた女児は一人ではなく──。


「春水様の、神森家当主としてのご判断としては、間違ってはいないと思います。ただ、私にはできなかった。忌み子と呼ばれようと、この子も私の娘。大事な、大事な娘なのです」

「……何故、私に」

「帝や八十神家の方々は、このことをご存知ありません。それに、助けを求めたところで……ですから、帝都の守護隊長である貴方にしか、頼れなかった。貴方なら、この子を護ってくれると」


 そう言って、楓は震える手で白い布に包まれた赤子を恭一郎へ差し出してきた。


「お願いします。どうか、どうかこの子を育ててください。護って、ください」


 自分で育てたかったであろう、護りたかったであろう子を差し出す姿に、胸が締め付けられる。

 白い布の隙間からは、赤子の寝顔がのぞいていた。自分の身に何が起きているのか。何が起きようとしているのか。生まれたばかりで何も知らなくて当然だが、このような赤子が生死の境目にいる現実が腹立たしい。 

 すう、と小さく息を吸い覚悟を決めると、恭一郎は楓の手ごと赤子を抱えた。触れた手はひどく冷たく、彼女の命が尽きようとしているのがわかる。

 この選択は、きっと間違っている。わかってはいるが、母親が命を賭して、危険を冒してまで助けを求めてきたのだ。元より、生まれてきたばかりの赤子を見捨てることもできない。

 夜は自由に出歩けず、魑魅魍魎との戦いが続く国。だが、それでも、生まれてきたどの赤子にも未来がある。

 大人の身勝手な理由でその未来を奪うなど、あってはならないのだ。


「ありがとう、ございます」

「……この子の名をお教えください」

「私に、名を贈る資格はありませんから」


 ごめんなさい、と楓は涙腺が崩壊したかのように涙を溢れさせた。いくつもの涙が頬を伝い、ぽたり、ぽたりと落ちていく。


「このような母で、ごめんなさい」

「いいえ、貴女は母としての責務をしっかりと果たされましたよ。この子を生かしたではありませんか」

「……っ、恭一郎様、本当にありがとうございます。どうか、この子を……よろしくお願いいたします」

「ええ。貴女の分まで幸せにすると誓います」


 楓の瞳から光が消え始め、ゆっくりと瞼が閉じられていく。


「願わくば、、一人の女性として……幸せ、に……」


 そう言い残すと、身体から力が抜け、赤子を抱いていた手はするりと落ちた。赤子を落とさないようにと抱え直し、楓の身体をそっと地面に寝かせる。

 今、恭一郎の心臓は早鐘を打っていた。

 震える手で、赤子を包む白い布をそっとめくり、首の後ろを見る。ちょうど中央あたりに円があり、その円の下、左上、右上にそれぞれ葉のような紋様があった。

 赤子の未来を奪ってはならない。その考えは変わらないが、恭一郎は頭を抱えたくなった。

 楓から託された子は、だったのだ。

 とはいえ、もう後には引けない。楓の忘れ形見を育てると決めたのは恭一郎自身。彼女の望みどおり、巫ではなく、一人の女性として育てなければ。

 ──その後、恭一郎は部下達に「埋葬する」と赤子を草むらに隠し、楓の亡骸を抱くと神森家へ虚偽の報告をした。

 亡くなったのは楓と赤子。楓の望みで、赤子はすでに埋葬した、と。


「間引くのは忌み子だけでよかったというのに……楓よ、何故お前までもが」


 春水は、出産直後の楓に赤子を間引くよう言い、外へ放り出していた。無理をさせていたのは、春水自身だと言うのに。それでよくも楓の死を嘆くことができたものだと、恭一郎は奥歯を噛み締めた。赤子については、忌み子だからか、埋葬済みだということに感謝をしていた。

 憤りを覚えながら草むらまで戻ってきた恭一郎は、いまだすやすやと眠る赤子を抱きしめる。

 古くから続く風習とはいえ、死を父親に喜ばれる可哀想な赤子。楓に代わり、必ず幸せにすると心の中で誓った。

 後日、恭一郎は部下達に惜しまれながら守護隊長を辞任。香世子とともに、楓の子を自分達の娘として育てるために。何をおいても、護るために。

 そして──あの日から十八年後。

 楓から託された子は、咲耶と名付けた。首の後ろにある紋様が桜の葉にも似ているようにも思え、木花之佐久夜毘売から名を取ったのだ。

 咲耶には愛情を惜しみなく注ぎ、楓によく似た見目麗しい立派な一人の女性として育っていった。

 生まれについては、まだ話せていない。

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