第19話 晴天の霹靂

正午。

その日は清々しい程の快晴だった。


春を感じさせるような柔らかな風が孤児院の庭の木を揺らしていた。


ミトはライラの死の一報を受けて、その場に崩れ落ちた。



何十年とかけて何人もの子どもを攫い、この孤児院で育てて、儀式へと送ってきた。成功への糸口は見えず、ポツポツとニュースに並ぶ、成神関連の記事を読んではため息をつく日々。


日本中、ひいては世界中で神は新たに生まれ続けていたのだ。


無論、五大神の力には遠く及ばないものの、成神から神になった者も多い。

それら新たな神々は、五大神の誰かに一人に対し忠誠を誓い、彼らに忠義を尽くす事を前提として神として生きながらえている。


突然人智を超越した力を得た者の全てが、正しくその力を使えるわけもなく、ただ人々を殺すだけの、神にして神ならざる者、いわゆる逆神(ぎゃくしん)も多く生まれた。


それらを討って回ったのが、五大神がその力の一旦を分け与えて生んだ使徒達であった。1人の神で一度に3人の使徒を持つことができた。詰まるところ1つの領土を守るに当たって、神と使徒それぞれ合わせて4人で広大な土地を守らねばならなかったのだ。


例を挙げるとするならば麒麟の治める地域は、日本を含めたユーラシア大陸の東側。拠点を置く日本に含めて、ロシアや中国等の広大な地域もその管轄だ。とてもじゃないが人手、いや神の手が足りなかった。


そこで神々は新たに生まれる神々にそれらの手伝いを任じたのだ。



その決議が出されたニュースが大々的に報じられたのがコウキチが死んでから、わずか7年後の事だった。


それはとてもミトには受け入れられないニュースだった。




「ミト婆…?大丈夫?」


孤児院の廊下でへたへたと座り込んでしまっていたミトの姿を見て、まだ幼い子どもが心配して駆け寄ってきた。


「え、ええ…。大丈夫よ。」


貼り付けたような笑顔。だがその口角はわずかに震えていた。


廊下の窓の枠を手すり代わりに使って、ゆっくりと立ち上がるミト。


「ほら、今日は美味しいソーセージがあったはずよ。きっと美味しいから、ほら行っておいて。」


優しい声でそう子どもに告げて、その子の腰の辺りをポンと押した。


「本当に!?やったー!」


嬉々として駆け出すその背中を見送ると、ミトはスマホのスピーカーに耳を当てた。


「外の祭壇で焼きなさい…。複製でも神の椅子はあるわ。あの子は神に最も近かった。だから最後ぐらい…そこで。」


『…分かりました。』


電話口のシュウジの声は震えていた。




************


「レプリカに座らせて焼け。だそうだ。」


電話を切ったシュウジは、落胆した皆にそう告げた。



無理もない。ここに集まっている大人のほとんどが、麒麟を含む神々によって家族や大切な人を失った者達だった。


突然神の力に目覚めた家族や恋人。

逆神と決めるには早計ではなかったのだろうか。なぜあんな場所で戦ったんだ。もっと人のいないところで戦ってくれれば。

十人十色の羅み辛みがあり、一縷の望みを託してこの教団に入信した者は多い。


シュウジを含む、皆の期待や願いを懸けた儀式。それにやっと活路が見出せたというのに、ライラは死んでしまった。


形容し難い感情の波が、その部屋の中では漂っていた。



「俺が運ぼう。」


鎖を解かれて、鋼鉄の椅子にだらんと横たわったライラ。


それを抱き抱えるようにしてシュウジは丁寧にその身体を持ち上げた。


「こんなに軽かったっけか…。」


腕の中で眠るライラを抱いて、シュウジは思わず声を漏らした。

よく抱きついてきたライラ。ここ最近は振り解くのにそれなりに力を使ったものだ。


「…行きましょう。」


ドアを開けて待機する男に促されて、シュウジは小さく頷いた。


シュウジを先頭にして施設の中にいた大人達はそれに続いた。

正午の光に照らされて、白を基調とした施設が柔らかな光に満ちていた。


何人もの足音が廊下にこだまする。

中には啜り泣く声も聞こえた。


施設の正面の入り口から出て真っ直ぐ駐車場を抜ける。

それを突っ切ると緑に囲まれた祭壇と、そこに鎮座する真っ白な椅子があった。


礼拝堂にあるそれのように豪華な木材や金細工は施されていないが、毎日丁寧に磨き上げられたそれは、また礼拝堂にあるそれとは、また別の風格を纏っていた。



シュウジはそこにライラの身体をそっと下ろす。

血まみれのライラ。ボロボロの服。シュウジの心が痛んだ。


「おい、誰か。身体を…。血を拭いてやってくれないか?」


「はい。」



少ししてから、濡れたタオルを持ってきた大人達によって、ライラの身体は丁寧に拭きあげられた。時折、信者達の涙がライラの腕や、その真っ白な椅子に落ちる。



「もういい。十分だろう。」


それを黙って見守っていたシュウジが言った。


皆が離れるのを確認して、シュウジは準備させていた灯油の入った大きな盃を受け取った。


試練の時に浴びせたようにポリタンクでダバダバと雑にかけるようにではなく、丁寧に、身体全体にゆっくりとそれをかけた。



礼拝堂と同じく、三段上がった位置にある椅子。そこからシュウジはゆっくりと下る。


そして今一度、ライラの姿に目をやった。



もう4月だ。

春風というにはまだひんやりとしたそれが辺りを吹き抜ける。


美しく艶やかなライラの髪がふわりとそれに靡いた。



「……。」


何かを言わなければ。

今回の儀式の責任者としての責務を全うしなければ。


そう思うシュウジであったが、言葉が上手く出てこなかった。


「皆…。皆良くやってくれた。」


必死に紡いだ言葉の第一声はそれだった。

歩くのと同じで、一歩目が出ると続いて二歩、三歩と歩みを進めることができるように、シュウジは転がるように発せられる言葉を、その流れに任せるように続けた。


「皆それぞれ思うところはあると思う…。俺だって悔しいし、悲しい。今だってこう…皆の前で喋ってはいるけど、正直なんて言っていいか未だに分かってない。」


「ライラは…。ライラはまさしく希望だった!皆にとってもそうだろう!?だって初めてだ!傷が治って、火にも焼けない…!ほんとに…本当に…。」


目をぎゅっと瞑って、あゆれる涙を遮った。


「俺は最後に、ライラに対して、『もう、お前は不死身の神だ』と言った。今でもその言葉に間違いはないと思う。だから…、皆で我らに訪れた初めての神を…。不死身の神、ライラを弔おうじゃないか…!」



嗚咽の混じった泣き声がところ所から聞こえる。


シュウジはポケットからマッチを取り出して、火を点ける。



「皆で祈ろう!!!我らが神!ライラを…!!!!」


その言葉と共に、椅子に横たわるライラにマッチが投げ込まれる。

地面に落ちたそれは灯油に引火して、獲物を狙う蛇のようにスルスルと椅子の脚を登っていった。



その時だった。



辺りが閃光に包まれる。


それに遅れて、けたたましい雷鳴が鳴り響いた。

轟音と共に地面が一度大きく揺れる。


澄み渡るような青空から伸びた一筋の稲妻が、緑色の閃光を纏って白い椅子に鎮座したライラの身体に直撃したのだ。


爆発的なエネルギーを帯びたそれは、ライラの長く美しい髪を束ねていた髪留めを破裂させ、金色のビーズを飛散させた。



「なっ……!」



その場に腰を抜かして、崩れ落ちるシュウジ。


皆の視界はその圧倒的な光に眩み、わずかの間ゼロになった。


それがだんだんと色を取り戻していった時、その場にいた皆の顔が驚嘆の表情に染まっていく。


力なく椅子に横たわっていたはずのライラが、凛とした姿勢でその椅子に鎮座していたのだ。

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