第14話 麒麟 襲来

コウキチさんの人生が大きく変わった。


ついぞ昨日まで激しい咳をして、血を吐いていた男が、なんということか翌る日突然畑に現れたのだ。


桑を持ち、力強く硬い土にそれを振り下ろしていた。

額を流れる汗を拭い。「暑いな。ミト。」と爽やかに話す彼の姿は、とても昨日まで病床に伏せていた人間とはとても思えなかった。



「ミトさん。旦那さんの身体…大丈夫なのかい?」


そう言ってきたのは結核だ!結核だ!と騒いでいた近所のおばさんだ。


「はい。やっと頼り甲斐のある旦那になったわ。」


私も汗を拭いつつ、腕を組んでそう言った。


コウキチさんが神様になった、なんてことは言わないが、ふんと鼻を鳴らして自信満々に言ってやった。


「結核なら治らないし、彼はとっくに死んでるはずです。ただのタチの悪い病気だったんでしょうね。」



当時の結核は不治の病。かかってしまえば、死ぬことは確定していたのだ。

散々噂され、のけものにされていた私達がこうして、さもあっけらかんとした顔で畑仕事に勤しむ姿は彼らの前には大層衝撃的に映ったことだろう。



「コウキチさん。お昼にしましょうよ。」


「そうだな。」


畑を離れ、一旦家へと戻る私達。


それを見送る人の群れが畑の方にはできていた。


ふふふ。不思議なことでしょう?

だってそうよ。私のコウキチさんは神様になったんだから。


内心浮かれていた。



彼の身体を心配することももうないだろう。

結核の差別もなくなるだろう。


だってコウキチさんも含めて、私だって健康そのものなんだから。



この姿を村のみんなに見せつけてやりたかった。

のけものにされ、石を投げられ、畑を荒らされ。もう散々だった。


これから始まるのだ。


私達の本当の意味での幸せな結婚生活が。



縁側に腰掛け、手拭いで汗を拭う彼に私は1杯の水を渡す。


「ほら。飲んで。」


「おう。ありがとう。」


そう言って水を受け取った彼の隣に、私は腰を降ろす。


「どう?久しぶりの畑は?」


「やっぱり気持ちがいいな。何より一緒に働けることが一番嬉しい。」


空には夏の入道雲が浮かんでいる。

蝉の鳴き声がうるさい。

風が吹けば風鈴が鳴り、そこに並んで座る私達。


幸せだなぁ。


そんなことを考えていた、まさにその時だった。


浮かんだ入道雲の真ん中に大きな穴がスポンと開いて、轟音が響いた。

遅れてくるとてつもない強風に私は顔を覆った。



「弱いが、神気(シンキ)を感じたぞ。」


砂埃の中で聞きなれない男の声がした。


「な、何!?」


咳き込む私の前に、コウキチさんがサッと立ち塞がった。


「ミト。…逃げなさい。」


私の方を一瞥することなく、彼は真っ直ぐにその声の主の方を見つめたまま言った。



徐々に砂煙が流れて、男の姿が顕になってくる。

端正な顔立ち。揺れる前髪から覗く青い瞳。そして神々しく光り輝く青い両脚。


「あ…。あれって。」


私は息を呑んだ。


「間違いない…。麒麟様だ。」



真夏の空気が一瞬にしてピリついたのが分かる。

蝉の声が止んだ。


何も走ったりしていないのに、心臓がバクバクと音を立てて早鐘を打ち始めた。


これが神か。



神が放つ独特の空気感なのだろうか。


私の膝がガクガクと震えている。



「男。お前だな?」


ゆっくりと私達に歩みを寄せる麒麟様は、コウキチさんのことをピッと指さした。


「…何の話でしょうか?」


コウキチさんの緊張が私にも伝わってきた。


「ミト。早く逃げなさい。」


小声で呟くように言った。


「でも、あなた…!」


私が彼の腕にまとわりつくようにして、そう言いかけると彼は勢いよくその腕を払って叫んだ。


「早く!!!!!!」


どんと突き飛ばされて、私は庭の地面に転がされた。



***************


コウキチは勢いよく息を吹いた。


鋭く吹かれたその息は、人智を超えた速度で前方に構えた麒麟に対して鋭い刃のようにして飛んだ。背後に広がる雑木林のがバキバキと音を立てて崩れる。


「当たらんよ。」


「!?」


ミトも目で追っていたが、いつその脚を動かしたのか全く分からなかった。

速いなんてものではない。


「威力も全然だな。所詮は成神か。」


吹き飛んだ雑木林を一瞥して、さもつまらなそうにそう呟くと、目の前の麒麟がフッと消えた。

コンマ数秒後、麒麟はコウキチの真横に移動して、その青く光る左脚をコウキチの顔に打ち込もうとしていた。


反射的に、ではないだろう。直感的に地面に息を吹いたコウキチ。彼の身体は宙に浮かんで、その神速の蹴りをギリギリのタイミングで交わした。


「ハァッ!!」


宙を舞うコウキチはもう一度息を吸った。


麒麟の放った蹴りは最早蹴りのそれとは常軌を逸していた。

その蹴りの軌道に沿って、ミト達の家丸ごと削り取られるようにして吹き飛んだ。


ミトは吹き飛ぶ家を見て、ガタガタとなる歯をグッと噛み締めて立ちあがろうとする。が、しかし震える足のせいで立ち上がれないでいた。



それをコウキチは空中で認識したのだろう。軽めに吹かれたコウキチの息で、ミトはふわっとその場から更に離れた位置へ吹き飛ばされた。


ミトの身体は近隣の家の植木に落下する。

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