第2章 儀式の始まり

第6話 お早よう

体調の悪い日の目覚めのような感覚。

頭が痛い。うーんと唸りながら眉間に皺を寄せて俺が目を覚ますと、真っ白な石造りの部屋にいた。


「な…何…?」


チカチカとする視界。俺は目をうっすらと開けて周囲を見渡すと、椅子に鎖で縛り付けられた残りの4人の姿が見えた。俺達はこの真っ白な部屋の中心に綺麗に円形に並んで座らされていた。


「え…?」


俺も慌てて自分の体に視線を落とす。

両手両足、そして腰にも。太い鎖が巻かれていた。


この椅子から一切身動きが取れない状態だ。



「うぅ…。」


後方から声。


「誰っ!?起きてっ!」


俺は殆ど動けない体を必死に捩らせて、振り向きながら叫んだ。


「頭が…。」


少し低い声。ダンダだ。ダンダの声に違いない。


「ダンダ!起きて!!」


「こ…、ここは…?」


ダンダの意識がゆっくりと明瞭になっていく。


「ここどこ!?寮じゃないの!?」


「分かんない…!でも寮じゃないよ!絶対!」


寮な訳があるもんか。


バスに積んだ荷物だってそのままのはずだ。

それ以前にバスを降りた記憶がない。

確かバチっと体に電流のようなものが走った感覚がして、気が付いたらこの状況なのだ。


すなわち意図的に俺達は意識を失わされて、ここに連れて来られたという事だ。



「うるさいなぁ…。」


ツキコも目を覚ます。


「ツキコ!大丈夫っ!?」


ダンダが慌てて声を掛ける。


「え…?…っえ!?」


自身の置かれている状況に気が付いたのだろう。ツキコの声色が一瞬にして困惑一色に染まる。


「何これ!?みんなも!?」


「俺とダンダも一緒!リュートとハナがまだ起きてない!」


「それより何で俺達椅子に縛り付けられてるの!?」


慌てたダンダのその問いに対して


「俺が分かるわけないじゃんっ!」


全く意味のない怒りをぶつけてしまった。



「だって…っ!!!」


ダンダもそこまで言いかけて言葉を飲んだ。

このやり取りに意味がない事を悟ったのだ。



その時だった。


重たい石造りの扉が開き、ゾロゾロと大人達が部屋に入ってきた。



「起きたかい?」


そう言ったのは一番最後に入ってきたミト婆だった。


「ミ…ミト婆!!これ何!?何なの!?」


重たい鎖を揺らして俺がそう叫ぶと、ミト婆はシーっとジェスチャーをしてから、いつもと変わらないにこやかな表情で言葉を続けた。


「まずはリュートとハナにも起きてもらいましょう。」


ミト婆がそう言うと、ミト婆の両脇に立っていた大人が、まだ眠ったままのリュートとハナの側へとゆっくりと近づいていった。


大理石の床をツカツカと歩く大人達の足音が冷たく反響する。


「起きるんだ。」


二人の目の前に立った大人は、ハナとリュートの背中をポンポンと優しく叩いて起こす。


やっと目を覚ました二人も、それぞれこの状況に困惑の声を漏らす。



「静かに。」

焦りと困惑の声を漏らす俺達に対して、ミト婆は二度手を叩いて言った。


「よーくお聞きなさい。あなた達はこれから儀式に臨むのよ。」



儀式?


ミト婆が何を言っているのか全く理解ができなかった。


「胸の世界紋を確認して。」


その号令のを受けて、俺の目の前にも顔を黒いフードで隠した大人がツカツカとやってきて、朝に袖を通した卒業服を強引に捲し上げた。


「ライラ。世界紋あります。」


胸骨の真ん中付近。ちょうど心臓がある辺りだろうか、確かにここ数年アザのようなものがあった。ただアザと単純に形容するにはあまりに綺麗に成形された幾何学模様のようなそれ。


そう大きなものでもないし、うっすらとしたアザだったからそう気にも留めていなかった。


俺のそのアザを確認した大人は雑に服を戻す。


「ハナ。世界紋あります。」


「ダンダ。世界紋を確認。」


「リュート。世界紋ありました。」


「ツキコ…。あっ…世界紋ありました!」


同じように全員の胸が確認される。

俺と同じアザがみんなにもあったって事なのか?


「素晴らしいわ。やっぱり今年は…。今年こそは神が生まれるかもしれないっ!」


こんな興奮した様子のミト婆は生まれて初めて見たかもしれない。


「何なんだよっ!さっきから!意味わかんねーよ!」


リュートが怒りの声を上げる。


「ミト婆!なにこれ!何なの!」


ハナも不安の混じった声で叫ぶ。



「世界紋。あなた達の胸にあるそれは、成神(ナルカミ)になる者にのみ現れる特殊な紋章なのよ。」


興奮冷めやらぬ少し震えた声でミト婆は言った。


俺達は理解が全く追いつかず、何も言葉が出ない。


「いけないわ。興奮しちゃって色々説明が抜けてしまったわね。」


「成神。神に成ると書いてそう読むわ。成神はその文字通り、これから神に成る者の事を指し示す言葉。成神そのものも人智を超越した力を持つけど、それは本物の神には程遠い。」


ミト婆はゆっくりと歩き出し、俺達の様子を夕焼けでも見るかのような表情で見つめながら周回しだした。


「つまり、あなた達全員が、成神になる素質があって、ひいては神になれる素質があるの。」



その言葉を受けて、走馬灯のように記憶が駆け巡る。

礼拝堂にあった空席のままの神の椅子。そして卒業式で述べた聖書の42節。


『未だ現れぬ我らが神よ


神の椅子に相応しき者よ

我らの声をお聞き下さいませ


神よ 我らは育てました

神よ 我らは育ちました


我らが信徒にその御身を

どうかお現し下さいませ


あなた様の椅子は今日もここに

あなた様の椅子は今日もここに


どうぞ我らの下へ


そして我らをお導き下さいませ』


祝福の言葉ではない。これは一種の宣誓だったのだ。

あの村で信徒である大人達は、後の神になる子ども達に尽くしてきたと。


そしてその真の姿を現し、未だ空白のままの神の椅子に座ってくれと。

42節はそういった意味だったのだ。



全てが繋がった瞬間、俺の額を冷たい汗がツーっと垂れていった。


「ライラ?何か分かったの?」


その瞬間、俺の目の間に満面の笑みを浮かべたミト婆の顔があった。



「あの孤児院は…。将来の神様を育てる場所だった…って事?」


不安、恐怖。何だろうこの感情は。形容し難い。

俺はそんな複雑な心境で揺れる瞳をミト婆に向けた。


「ライラはこういう時に頭がいいのね。」


「だってこれから私達を導いてくださる神様になるのかもしれないのだもの。私達は誠心誠意あなた達に尽くすわ。」


「そして、麒麟(キリン)を討ってもらうのよ。日本に君臨する悪神。麒麟を。」


ミト婆は「麒麟」の名を口にした後に、グッと口を真一文字にして、唇を噛んだ。

深い怒りが、言葉にできないほどの怨念が、その表情にはありありと現れていた。



「神様になるって事は、あの椅子に座るって事?」


リュートは少し興奮混じりに言った。

彼の頭の中では、神様になれるという事はただ強くなれるとか、偉くなれるとかそういう風に聞こえたのかもしれない。


この認識のズレが俺には苛立たしかった。


「リュート。そうよ。もしかしたら、あなたが神の椅子の主人になるのかもしれないの。」


「マジかよ!すご!かっこいいじゃん!」


ハハハっ!と笑うリュートの声が、冷たい空気の中に変な空気を帯びて響く。

俺には我慢の限界だった。


「バカかよリュート!そんな簡単に神様になれるなら、この椅子は何だよ!」


「これまで卒業していったみんなはどうなるの!?誰か帰って来て、あの椅子に座った子どもはいた?いなかったよねッ?ねぇッ!?」


俺は無理矢理リュートの方を振り向きながら、怒りに任せて言葉を叫んだ。


「じゃあみんなどうなったっていうんだよ!寮に行ったんじゃないの!?」


リュートも負けじと叫び返したが、俺ほどのテンションはなかった。


「みんな死んだわ。」


その言葉で沸々と湧き上がっていた怒りのマグマの熱がスッと冷め切ったのが分かった。


空気が凍るという表現では甘いのだろう。

戦慄が走ったのだ。


ミト婆はまた歩き出す。


「みんな死んだの。みんな世界紋はあったけど、脆くてね。なんの能力も開花しなかったわ。」


ミト婆は歩みを止めて、ツキコの前で止まって


「だから今度は死なないでね。」


そう言ってツキコのほっぺたを一度だけツンと指先で触った。



「キャァアアアアアアアア!!!!」


ツキコの絶叫と共にガシャガシャと鎖が鳴る。


「離してよ!お願い!離してっ!!!」


ハナも必死に叫ぶが、目の前に立つ大人は微動だにしない。

各々が各々の言葉で叫ぶが、俺はその一切を行わなかった。


最初から無理だと悟っていた。


鎖の太さ、目の前の大人との距離。そしてかつての卒業生達の歴史。


慣れている。


目の前の大人達はおろか、あの村に暮らしていた大人達全員にとってこの儀式は周知の事実であり、幾度も行われてきた、ただの神聖なだけの作業でしかないのだろう。


「あら、ライラ。あなたは暴れないの?」


ミト婆は俺の異変に気付いて、また俺の前へと戻ってきた。


「覚えてる限り、50人以上は卒業生を見送ってきた。村の歴史はもっと長いって習ってる。無駄なんだろうね。こうなったら。」


視線を椅子に括り付けられた右腕に落として俺は言った。


「ライラ!そんなこと言わないでよ!」


ハナの嗚咽混じりの声が響く。


「俺、多分バカじゃないんだよね。分かるんだよ。」



悔しい。


なんで頭がこうもクリアなんだろう。


多分、例に漏れず俺はここで死ぬ。

ハナもツキコもリュートもダンダもみんな死ぬ。


復讐できるなら、何か行動を起こせる糸口があるなら、俺も足掻いただろう。

だけど何のビジョンも見えなかった。


悔しい。


悔しい…。


何も…。できない…。


気付いた時には俺の目からも涙が溢れていた。



「みんな泣かないで。大丈夫よ。きっと今度は大丈夫。儀式を無事に終えられるはずよ。」


ミト婆は励ますようにそう言って、一人ずつ肩をポンポンと叩いて言った。


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