第5話 卒業式

ー6日後ー



枕の心地よい感覚に囚われながらも、寝ぼけた目を開くと、窓の外を眺めるハナが見えた。


「おはよぉ。ハナ早くない?」


俺はあくび混じりにベッドの中から言った。

春は近いとはいえども、まだまだ寒い。


「おはよう。今日、曇りだった。」


彼女は窓の外の風景を見ながら言った。


俺も体を起こしてのそのそとベッドを出ると、彼女の隣へ行った。


灰色に澱んだ空。あと数時間もしたら思いっきり雨が降り出しそうだった。


「めちゃくちゃ晴れれば良かったのね。」

うーんと背伸びをしながら俺は言った。


折角の旅立ちの日だ。思い出を彩るなら晴れがいいなと思っていたが、神様はそうは気が利かないらしいのだ。


日差しが差し込まないせいで、いつもよりも部屋も冷え込んでいた。



「ライラ、これ渡しておくね。」


彼女は、そうだ!とでもいった表情を浮かべて、自分のベッド脇の棚へと向かうと何かを持って戻ってきた。


「ん?何かくれるの?」


不思議そうに俺が尋ねると、彼女は少しだけ照れくさそうに答えた。


「髪留めをね。作ったの。」


そう言って差し出されたそれは、金の色のビーズを束ねた髪留めだった。ビーズの1つ1つは多面体になっており、この灰色の空の下でも、室内に差し込む僅かな光を取り込んでキラキラと反射させていた。


「マジで!?これ作ったの!?」


彼女はこくりと小さく頷いた。


「めっちゃ綺麗だ。」


俺はもっとその輝きを体感したくて、窓から差し込む光に当てて色んな角度で鑑賞しながら言った。


「そっか!喜んでくれたなら良かった。」


はぁーっと安心したようなため息をして、彼女は改まってそう言った。

「あのね。ライラが前にさ、一緒に星を見た時に、金色を散りばめたみたいで綺麗だって言ってたの、覚えてる?」




覚えていた。


あれはいつの冬だっただろうか。

今朝なんかよりずっと冷えた夜。


何だか寝付けないでいた俺は、そっとベッドを抜け出そうとしていたのだ。


「ライラ。どこ行くの?」


「なんだハナも起きてたの?」


「寝れないんだよね。なんか。」


「今日本読みながら、そのままお昼寝してたからでしょ。」


当たり前じゃんか。とでも言うように俺がそういうと、


「ベッドで読んでたのがダメだったね。日差しとブランケットが温かくて。」


ハナは仕方ないよね。とでもいうようにそう言って微笑んだ。


「で、どこ行くの?」


「うーん。屋上にでも行って星でも観ようかな。」


「えー!こんな寒いのに?風邪引くよ?」

意識して声を殺して言ったそのセリフ。実に心配性のハナらしい。


「ミト婆が言ってたんだ。空気が冷えると澄んで見えるって。星が。」


窓の外へ視線を移す。

窓枠が切り取るのは、闇に包まれた静まり返った裏庭だけ。


「じゃあ私も着いて行こうかな。」


そう言って、みんなを起こさないようにハナも静かにベッドから足を下ろした。


「そうこなくっちゃね。」



それから二人で屋上へ登り、星を観た。

何故だろうか。


あの風景は鮮明に覚えていた。


村自体が深夜になると殆ど明かりがないから、星は良く見えたものだが、あの日は特に綺麗に見えた。


俺とハナの真上は全部がキラキラだった。

頭上の星を見上げた時に、二人一緒に「うわぁ…」と息を呑んだ事すら覚えていた。




「それまではさ。私には星は白色に光ってるように見えてたの。でもライラがそう言ってからは私にも金色に輝いて見えるようになったんだ。」


そう言われて俺はもう一度髪留めに視線を落とす。


「ならこれは星の髪留めなんだね。」


俺がそう言うと彼女は一瞬言葉に詰まった様子だった。

動揺?何だろう?俺にはその一瞬が何なのか分からなかった。


「かもね。」


彼女はそれを取り繕うようにそう言ってから、俺の後ろに回って

「着けてあげる。」


と言った。


「ん。」


俺は髪を後ろにバッと流すと、ハナの手にそれを委ねた。

手櫛で丁寧に流して、綺麗にまとめる。


「ライラの髪ってほんとにサラサラ。」


ふふっと笑って


「できた!」


「ありがとう。」


俺はそう言うと、ハナの前でくるっと一回転した。


「どう?似合ってる?」


「そりゃもう。」


ニカっと笑ってグッと親指を立てた。


ふっふっふ。俺に合わない、キラキラは存在しないのだ。

その自信の笑みは完全にダダ漏れだったと思う。


卒業の朝。俺に宝物が増えた瞬間だった。


「いよいよかぁー…。」


感慨深そうに卒業服に袖を通すダンダ。


「この部屋も最後なんだね。」


部屋をハナはゆっくりと部屋を見渡して言った。


「楽しかったわ。」


さすがのリュートですらこの大人しさだ。

着替えをするその背中から寂しさのようなものを感じる。


「でもこれ地味ね。卒業なんだからもうちょっと豪華でも良くない?」


早々に着替えを終えたツキコはぐるっと回りながら、自分の格好を見て言った。



確かにツキコがそう言うのも、もっともな感想だった。

上下真っ黒のシャツとズボン。


簡素かつ地味。

全く持って俺の琴線には触れなかった。


「あーでもなんかあれだな!ライラの髪留めは余計にキラキラして見えるな。」


リュートは着替えを終えて、自身のベッドに横になりながら、俺の姿を見て言った。


「そうかな?」


俺はガラスに映った自分の姿を改めて見てみた。

確かに服が地味というかシンプルな分、髪留めの金色が映えて見える。

お?地味な服はキラキラと相性がいいのかもしれない。


「確かに。なんか金色が目立つね。」

ダンダも穏やかな表情でうんうんと頷いた。


「ってかその髪留めライラ持ってたっけ?」


「え…?」


ツキコはやはりどこか鋭い。えーっと、と俺が返答に迷っていると


「この前ジュウジおじちゃんに貰ったんでしょ?」


とハナが機転を効かせて、そう言葉を挟んだ。


「そう!この前の買い出しの時に卒業祝いだって。」


「ふーん。」


俺が慌てて付け足したその言葉は、返ってツキコには余計な一言だったらしい。完全に信用してないような視線が刺さる。



「はぁー!?おっちゃん俺には何もくれてないんだけど!」


リュートがベッドの上で足をバタバタとさせていたその時だった。



「みんな着替えた?時間だよ。」


開いたドア。そこにいたのはミト婆だった。


「ミト婆ー!」


ハナはミト婆の姿を見ると勢いよくその胸に飛び込んだ。


「ねぇ似合ってる?地味すぎない?」


「大丈夫。素敵よ。」

そう言って優しく微笑む。



「みんなも礼拝堂の入り口の前に行きなさい。荷物は後で大人達で車に積んでおくから、安心してね。」


昨日の晩に荷造りした荷物は、みんなで部屋の一箇所に分かりやすいように集めてあった。


「ミト婆、エリザはトランクじゃなくて私が座るところに置いといてって言っといてね!」


ツキコは荷物の山の上にちょこんと座ったうさぎのぬいぐるみに視線を移して言った。

俺達が物心付いた時にはツキコが持っていたうさぎのぬいぐるみだ。元々はもっと白かったと思うが、月日と共にだんだんとベージュ寄りの色合いに変化しているが、ツキコにとっては変わらず宝物なのだ。


「分かってるわ。大丈夫。」


そう言ってミト婆はツキコの頭をぽんぽんと叩いた。


「さぁ!もうみんな集まってるわ。みんな行きなさい。」


ミト婆は俺達に視線を移して言った。


「はーい。」


そう言って、ドタドタと5人の足音が思い出の部屋から離れていく。


この部屋でいろんな毎日を過ごした。本当に色んな…。

俺は心の中だけで思い出の部屋に「バイバイ」と「ありがとう」と告げた。





礼拝堂の入り口の前に並んだ俺達。

すでに中は人でいっぱいのようだった。

ざわざわと大勢の人の話し声が反響して、外にいる俺達の耳にも届いた。


「ちょっと緊張するわ。」


リュートは歯を横にいーっと食いしばりながら笑って言った。


「らしくねー。」


へへと俺は笑う。


「あっちでも遊ぼうな。」


「考えとくわ。」


俺はおちょくるように言った。

そうすると「ばーか」とリュートが軽く俺を蹴った。



ガチャっと重たい扉が開く音。

ドア越しだった群衆の声がクリアになるのが分かる。


「さぁみんな入って。」


ドアを開けた大人にそう促されて、俺達はリュートを先頭に1人ずつ礼拝堂へと入っていった。


入場曲のオルガンが響く。

それと同時に俺達も何回も歌ってきた入場曲を、まだここに残る子ども達が合唱する。

群衆の声は一瞬にしてセレモニー用の拍手へと色を変えた。


ピリッとした緊張感が背筋を伸ばす。


足を一歩一歩進めて、俺は祭壇の前の椅子へをゆっくりと進んでいく。


祭壇の神の椅子の一段下に立つミト婆。


俺達が綺麗にその前に並ぶと、「座って」と合図する。


俺達が座ると、合唱とオルガンの演奏が止まり、拍手もそれに合わせて静かになる。



「さぁ皆さん。今日はとっても大切でおめでたい一日です。」


ミト婆は少し息を深く吸い込んで言葉を続けた。


「リュート。ライラ。ダンダ。ハナ。ツキコ。5人は今日ここを巣立ちます。彼らが過ごした年月を、私達は鮮明に覚えています。」


「ちょっと元気がありすぎるけど、勇ましく、たくましいリュート。」


「女の子みたいに綺麗なものが大好きで、だけど負けん気いっぱいのライラ。」


「5人の中で一番体は大きいけど、一番優しいダンダ。」


「みんながちょっと危ないことをしそうな時、一番お姉さんらしい役割をしてくれたわね。ハナ。」


「あなたの毎日の努力はみんなが知ってるわ。素敵よ。ツキコ。」


ミト婆は俺達5人それぞれに目線を合わせて、丁寧に言葉を紡いだ。

どこからか、鼻を啜る音が響く。やめてほしい。俺も泣いちゃうって。


「立派に育った5人の為に、聖書の42節を皆で唱えましょう。」



その声に合わせて俺も聖書を開く。何度も何度も繰り返し読んできた聖書。すっかりボロボロになってしまったし、これを読む時は「早く終わらないかなー」ぐらいにしかいつも思っていなかったが、今日ばかりはそんな事は一切感じなかった。

「いいですか?」


にこやかにミト婆は辺りを見渡してから、一度深く息を吸い込んでから、42節を読み始めた。


「未だ現れぬ我らが神よ


神の椅子に相応しき者よ

我らの声をお聞き下さいませ


神よ 我らは育てました

神よ 我らは育ちました


我らが信徒にその御身を

どうかお現し下さいませ


あなた様の椅子は今日もここに

あなた様の椅子は今日もここに


どうぞ我らの下へ


そして我らをお導き下さいませ」



ゆっくりと息を吸い込む。

呼吸すらも反響しそうだ。


聖書から視線を神の椅子へと移す。


曇天の空。差し込む神々しい日差しはなかった。

それでも椅子はその金色を鈍く輝かせていた。






「寮の方へは3時までには行くって伝えてるんだ。出るぞ。」


バスの運転席に座ったエイタさんは、ぶっきらぼうに言った。

いつもはもっとツンケンしているような感じだが、さすがの今日は語気も優しい。


「お姉ちゃん。絶対シオンもそっちに行くから、忘れないでね!」


ハナの妹のシオンは窓越しに目に涙をいっぱいに浮かべて言った。


「妹を忘れるお姉ちゃんはいないわ。待ってるからね。」


そう言って窓に手のひらをかざす。


「2年後行くからね。約束だからね。」


シオンはぐしっと涙を拭いて、ハナの手にガラス越しに自身の手を重ねた。



「ほら出るぞ。バイバーイって元気に言いなさい。」


エイタさんのその言葉をきっかけに俺達は走り出したバスの窓から身を乗り出して懸命に手を振った。


「バイバーイ!みんなっ…!みんな…ありがとう!大好き!」


いつの間にか涙が溢れて止まらなかった。

去年の卒業式も全く泣かなかったリュートも例外ではないらしい。鼻水を垂らしながら全力で手を振っていた。



バスが走り出してしばらくして、泣き叫び疲れた俺達は落ち着きを取り戻し、バスの窓から見える、俺達には見た事のない村の外の風景に視線を送っていた。


そしてその時だった。

バチっと首元に電流が走ったような感覚とほぼ同時に俺は意識を失った。


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