第24話 向上心のある女 その4

 大きなイベントが終わった後は決まって、やり切った達成感と喪失感に苛まれて不安定な心待ちになりがちでしたが、普段ですとその時の戦利品を鑑賞する事で心のバランスを保っていられました。しかし今回はいくらそれらを見ていても心のざわつきは静まらずに落ち着きません。むしろ酷くなる一方。


 ……橘さん……。


 休み明けに彼女と会うのが不安です。


 果たしてしっかりと先輩として、いえ社会人として彼女に接する事が出来るでしょうか? おかしな反応でもされたらどうしましょう……。 


 ……胃がキリキリします……。






 しかし蓋を開けてみればなんの事もありませんでした。


「藤掛さん、おはようございます!」

「おはようございます。橘さん」


 普段と変わらないステキな笑顔で挨拶をくれました。あのイベントの時に見せた彼女の様子とは打って変わって最近のいつもの元気な彼女です。私も普通に返事をする事が出来てホッとしました。だからでしょうか、つい口をついて出てしまいました。


「あら、少し焼けましたか? お休みを満喫した様ですね」


 コホン。プライベートな事を聞くのはハラスメントにつながりますから気を付けなければなりません。しかし例のイベントでの事を少しでも探っておかなければ落ち着かないのです。これは仕方がありません。


「はい。ちょっと海の方へ行ったもので……」


 特に嫌なそうな顔はしていません。これ位ならば大丈夫な様です。しかし微妙な返答ですね。これでは何を知っているのか判断に苦しみます。


「そうですか。楽しく過ごせたのでしたら何よりです」

「……はい……そうですね……」


 ……視線が泳いでしまいました。これはどう受け取れば良いのでしょうか……。







 結局悶々とした日常を過ごしています。新クールの放映も始まりましたが気が入らずに上の空。


 ───こんな事ではいけません!


 気分を変える為にSNSのチェックをしましょう。早速スマホを取り出します。


 最近では検索履歴から推測されて、私の興味がありそうなものが勝手に上がって来る様になっています。気味が悪いのもありますが便利ですよね。たまにはそれに促されてみるのも良いでしょう。新たな出会いと刺激を求める事にしました。


 ……ん……?


 いつの間にかお勧めの中ににコスプレ関係が多くなっています。知らず知らずの内に検索をしていたのでしょう。


 ……あ、コレは例の橘さんと一緒にいた方のですね……。


 厳つい桁のフォロワー数を見て一瞬引きましたが、指は自然と動いて即フォロー。早速内容をチェックしていきます。


 ───んんん!?


 イベントの告知がありました。橘さん(仮)も出るのかは見当たりませんが、彼女のロムの販売はあるとの事。


 ……コレは何をおいても行かねばなりませんね……。


 いつの間にか重かった気分は吹き飛び気持ちが上向いて来ました。


 ───タギってきましたよーッ!






 告知を見てからというもの毎日楽しみでウキウキとした気分で過ごしていましたが、少しだけ引っ掛かる事がありました。それはイベントの日が近付いているのにも関わらず橘さんの様子が一向に変わらない事。


 ……例のアノ彼女は、橘さんに間違いはないと思うのですけれども……。


 今回は以前の夏程に大きなイベントではなくともそこそこ大きな催しです。彼女がこちら側の者だとしたら隠そうとしても、どことなくソワソワしたり気が張っていたりするものでして、何となく普段とは違う様子が知れるものなのですが、今の彼女からは全く感じられません。これだけ毎日ジックリと観察しているのにも関わらずです。私などは律しませんと顔が緩んでしまいますよ。


 ……橘さんは参加しないのかしら……?


 それはそれでとても残念で悲しいですが、私が会場に行っても身バレの心配をしなくて済むのは幸いです。やはり推しとは距離を置いて愛でるのが良いですからね。


 今回一番の目的はロム。それさえあれば日々必死になってネットを漁らなくとも、毎日いくらでも彼女を眺めていられると言うもの。そう言えば彼女のコスネームも知りませんでしたね。しかしこれでわかります。


 ───色々と楽しみです!







 ……失敗しました……。


 今日は待ちに待ったイベントの当日です。開場前から並ぶ気満々でしたが、昨晩は子供みたく楽しみ過ぎて寝付きが悪かったせいで少し寝坊してしまいました。それでも頑張って走って開場してからそう時間が経っていない内に入れたのでしたが、中に入って驚きました。


 ……これ程とは……。


 この行列は一体何事でしょう。最後尾からブース内の様子が見えません。


 ……大丈夫かしら……。


 今日の目当てはここのブースだけですから他を回る心配はしなくてもよいのですが、並んでいるとブースの横では次々を折り畳まれたダンボール箱が積み上がっていくのが見えています。ちゃんと買えるのか不安になりました。


 ヤキモキしながら列に並んでいると、次第にブースの中か見えて来ます。


 ───あ! 橘さん(仮)!


 彼女も参加していました。新作のコスに身を包んでいます。前回と変わって洋風になりました。


 ……尊い……。


 アレは前期に放映していて結構な人気を博した作品です。私も好きで観ていました。重厚なストーリーもさることながらキャラ一人一人が魅力的で、私は特に主人公のライバルにあたるキャラが小悪魔的な可愛らしさでお気に入り。視聴する時はそのキャラと橘さんと重ねて楽しんでいました。放映が終わった時の喪失感たるや……。二期が待ち遠しいです。

 

 このキャラもやはり前回橘さん(仮)がやっていたコスに負けず劣らず扇状的な格好をしていましたから、さすがにこのコスはやってくれないだろうと妄想だけで我慢していたものです。しかし今それが現実のものとなって目の前にいるではないですか。


 ……どなたかは存じませんが、プロデュースさん、グッジョブです!

 

 ……眼福です……。


 この供給さえあれば何時間でも立ち続けられると言うもの。待つのが苦にならなくなりました。


 しばらくの間、時間が経つのも忘れて恍惚としながら至福の時を過ごしていたのでしたが、突如ブース内から上がったスタッフの声を聞きいてそれが吹き飛んでしまう羽目に。


「この後、個撮を行いまーす! ご希望の方は整理券を配布しますので、こちらの列に並んで下さ〜い!」


 ───なんですってぇ〜ッ‼︎


 驚きと共に焦りました。


 こんな事もあろうかとカメラは持って来ています。バッテリーは新品に交換済み。レンズも新たに長いのを新調しました。それに今日の私の格好はウィッグを被って伊達メガネにマスクと身バレ防止もバッチリです。むしろコレがあるのを望んでいたのでしたが、今この列を離れてあちら側の列に並ぶ事なんて出来ません。あくまで本命はこっちです。現状でさえ買えるのか怪しいのですから並び直す余裕なんてありません。


 ……ど、どうしましょう……。


 悩んでいる内にも向こう側の列はどんどん伸びていきます。


 ……身体が二つあれば……。


 先程までの浮かれた気分ははどこへやら。今はもどかしくてたまりません。胃もキリキリと痛み出して来ました。


 ……勘弁して下さい……。









 ……しかし、あの時ばかりは本当に焦りましたね……。


 結局無事にロムも買えて撮影にも間に合いました。私の無言の圧を感じ取ったスタッフの方が配慮してくれたお陰です。


 ……感謝します……。


 その日からは薔薇色の日々を送っています。メモリーカードが一杯になるまで撮った写真の整理にロム鑑賞。時間がいくらあっても足りません。


 ……至福です……。


 しかしその影響で、職場で橘さんに会う度にあの方と重ねて見てしまい、上手く目を合わす事が出来ません。これは良くありませんね。


 ……目の前に推しがいるのですから仕方がないとは言え、こんな事では先輩として……いえ、社会人として失格です……。


 あの方はあの方。橘さんは橘さん。ハッキリとわけて考えなければいけません。それが立派な大人と言うもの。しかしこんな事になっているのも、私が橘さんの事をよく知らないせいでしょう。ならばもっと仲を深める必要があります。


「橘さん、今晩お食事でもいかがですか?」

「ありがとうございます! でも、お誘いは嬉しいのですが……」


 すげなく断られてしまいました。


 最近は仕事が終わってから色々と用事があるのだとか。


 ……週末も忙しそうですね。最近では東北地方へ出掛けている様ですし……。


 これは決まり事でも義務でもなくてなんとなくの慣習になっているのですが、職場の部署内では、誰かがどこかへ出掛けると決まって小分けに出来るお菓子をお土産に持って来るもので、それがオヤツの時に配られるものなのですが、最近では月曜日に出て来るのは決まって橘さんからのお土産でした。


 ……ありがたい……。


 推しから頂く恵み物。本当ならば一つ一つ大切に保管したい所ですが食品ですからそうはいきません。美味しく頂いた後で包み紙は綺麗にファイリングして日付を書込んで保管してあります。それを日々眺めていますから、橘さんの週末の行動は推測出来ているのでした。


 ……ちょっと、気持ち悪いですかね……?


 コホン。しかし忙しいのであればそれはそれで仕方がありません。大丈夫。仲を深める方法はまだあります。


「橘さん、お昼をご一緒しませんか?」

「はい!」


 最近の彼女はお弁当の様です。ちゃんと自炊をしているとは偉いですね。


 庁内には食堂もあるにはあるのですが、残念ながらあまり美味しいとは言えません。その為、みな大体外食かお昼を持参しています。しかしそうなるとどうしても栄養が偏ってしまうものですが、その点お弁当でしたら……あら?


「橘さん、ずいぶんとお米がお好きなのですね」


 よく見れば殆ど白米だけのお弁当です。日本酒がお好きなのは知っていますが、醸す前の物もここまでお好きだとは思いませんでしたから少し驚きました。


「そうですね、好きは好きなのですが……」


 これは節約の為なのだとか。


 ……しょっ中出掛けていますし、一人暮らしですからね……。


 それを聞いて思わず悲しそうな顔になってしまったみたいです。橘さんが慌てて「ふ、ふりかけがあるから大丈夫ですよ!」と健気に笑ってくれました。これには涙を禁じ得ません。


「そうですか……」


 スッと、自分のお弁当箱のおかずの方を差し出します。


「お昼をお誘いしてなんですが、実はあまり食欲がないのですよ。よろしければ如何ですか?」

「え!? いいんですか?」

「ええ、このまま廃棄するのは忍びなくて……。食べて頂けるのであればありがたいです」

「じゃあいただきます! ……モグモグ……美味しい!」

「あらそうですか? お口に合ってよかったです。手作りなものですから人様にお出しするには恥ずかしいのですけれども……」

「え? コレ全部藤掛さんが作ったのですか? スゴイ!」


 ……良いのを捕まえる為に料理教室に通った甲斐がありましたね……。


 満面の笑みで頬張る彼女の顔を見ていると、段々と胸が熱くなってくるのを感じました。


「なら……」


 それでついつい調子に乗ってしまいました。


「良ければ暫くの間、橘さんの分のお弁当もお作り致しましょうか?」

「え!? さすがにそれはちょっと……」


 難色を示されてしまいました。

 

 ……やらかしました……。


 お店ではないのですから、家族でも恋人でもない者の手作りに引くのは当たり前。


 焦ってしまい動悸が止まりません。これでは今まで築き上げて来た立派な先輩像が崩れてしまいます。


 ……お終いです……。


 それでもなんとか表情だけは平静を保ちながら、この場をどう切り抜ければ良いのか頭をフル回転。たった数秒の出来事が何時間にも感じました。

 

「悪いですよ。何もお礼できませんし……」


 しかしそうは思っていなかった様です。心底ホッとしました。


「大丈夫ですよ。一人分作るのも二人分作るのも手間は変わりません。それに食材の無駄にならずに済みますからお気になさらずに」

「そうなんですか? ありがとうございます!」


 ……お礼を言うのはこちらですよ……。






 


 お弁当ですから見栄えは大事。ですが栄養価も気にしなければなりません。


 ……橘さんに今必要なのはタンパク質にビタミンミネラルカルシウム……。


 彼女の事を想いながらせっせと拵えます。当然ながら自分の分だけを作っている時よりも気合が入りました。


「今日のも美味しいです!」

「どういたしまして」

「でも、ホントにこうも毎日毎日……いいのですか?」

「はい。問題ありませんよ」


 ……既にご褒美を頂いています……。


 私の手ずから作った物が推しの中へ入りそれで育まれていくのです。これ程に名誉な事はありません。

 

 ……あゝ……幸せ……。


 この胸の奥から湧き上がって来る多幸感はなんなのでしょうか。新たな扉を開いてしまった事に気が付きましたが、もうどうにもなりません。


 ……もっと、もっと……。


 貢ぎたい欲がもたげて来て止まらないのです。


 かと言って、お化粧やお洋服などは下手をすれば橘さんの魅力を損なってしまう恐れがあります。この地味とのギャップが良いのですから。それにまさか職場にお酒を持って来る訳にはいきませんし、ましてや現金そのものなんて生臭いことは出来ません。


 ……なら橘さんに今必要なモノの方が……。


「そう言えば、節約をなさっているとの事ですが、何かご入用な物でもあるのですか?」


 考えるばかりでは埒が明きません。直接聞いてみる事にしました。毎週の様に出掛けしているのは今に始まった事ではありませんから、最近それ以外にも出費の嵩む事があるのでしょう。


「実は……」

「……はい?」


 ……ファーストフードのフライドチキンでしょうか? その赤地に白抜き文字は有名な洋服のブランドですか?


 写真を見せてもらったり説明を受けましたが何が何やらサッパリです。どうやら工具のブランドらしいのですが全くの門外漢なのでわかりません。車に使うのだとかなんだとか言われてもどう使うのかすら不明です。


 ……これではコッソリ買って渡す事が出来ないではないですか……。


 困りました。せめて何か私がわかりそうな物でお願いします。


「そうですか。色々とあるのですね。それよりも最近よくお出掛けをしている様ですが、以前お渡ししたギアはお役に立っていますか?」

「はい! とっても!」


 どうやらかなり使い込んでいる様ですね。それを聞いて嬉しかった反面、当時は知らなかったとは言え推しに金銭を使わせてしまった事を思い出して胸が痛みました。


 ……なら……。


「そうですか。それは良かったです。アレで足りていますか? 他にも必要な物があったりとかしませんか? もしかしたらまだ家に残っていて、お渡しするのを忘れている物があるかも知れません。探してみますよ」

「ん〜そうですね〜……。最近だとこんな物があったなら便利だな〜と思っている物あるんですが……」

「それです! それはなんですか?」


 すぐさま通販サイトでポチりました。








 無事怪しまれずスマートに渡す事が出来ました。私はそう思います。大丈夫ですよね? 


 推しに捧げる事が出来た喜びと多少の罪悪感が軽減出来た事で今日も気分よく職場に向かえます。さて次は何にしましょうか。


「今日もお弁当ありがとうございます! あ、でも明日からお休みを頂いて出掛けますので……」

「そうですか。お気を付けていってらっしゃいませ」


 ……そんなぁ……。


 暫くの間、至福な時間を我慢しなくてはならなくなってしまいました。残念ですが仕方がありません。これを機に料理の勉強し直して飽きのこないお弁当作りの研究をしておきましょう。そろそろ寒くなる時期ですからスープジャーを用意して汁物なんかも良いですね。


 ……早く帰ってきて下さいね……。


 一日千秋の思いで橘さんの帰りを待つ日々になりました。

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