第21話 想いと結果 その3

 ……今回ほど、お酒を恨んだ事はありません……。


 あの時はお酒が入っていたせい。そうに決まっている。素面だったら絶対安易に了承なんてしなかった。少なくとも少しは考えて条件を付けた筈だ。


 ……やらかしました……。


 結局カオリの提案を全て受け入れてまたおかしな格好をする羽目になった。しかしそれ自体はお金を稼ぐ為なのだから仕方がないと割り切れる。痛みなくして得るものなしだ。既に一度やっているのだから二度やるのも一緒だと思う事にして諦める。恥ずかしいのは我慢する事にした。


 ……それだけなら諦めもつくのだけど……。


 相変わらず家の中は酷い有様。いや、むしろもっと酷くなった。


「ユズちゃん、これもココに置いていい?」

「……どうぞお好きに……」


 カオリの荷物が減るどころかどんどん運び込まれて増えていく。


 祖母の遺してくれたこの家はそう大きくはなかったが、わたし一人で住むには広かった。しかし今や二階はカオリの荷物で溢れ返りその侵食は下の階まで広がりそうな勢い。わたしのとアオイが残していった荷物は祖母の部屋へと追いやられ、生活スペースはそことリビングだけになってしまっている。寝る場所を確保するのも一苦労。


 しかしこれは甘んじて受け入れなくてはならないのだ。やれる事は全てやるのだと覚悟を決めている。こんな事で弱音を吐いてはいられない。


……でも、アオイが戻って来たらなんて言おう……。


 また悩み事が増えてしまった。


「あっ! ちょっと待って! さすがにお風呂場は勘弁して下さい!」


 



 

 今の我が家は完全に占拠されている。


「問題なくユズちゃんにお金を渡せる方法があった!」


 公務員でも副業が認められている事はいくつかあった。執筆業などがそうだがそれ以外にも地域によっては農業であったり、土地・家賃収入などは認められている。「この家、今は完全にユズちゃんのものなのでしょ?」収入を見込んで新たに不動産を購入して貸すのはダメだが、既存の持ち物ならば問題は無い。一応職場の庶務に確認をとった所オーケーが出た。


「アタシのコレ、そろそろ会社にしようと準備はしてたのよね〜」


 実家が遠方にある為、本店所在地をどうするか困っていたらしい。色々と書類は来るし一度決めたら簡単に引っ越しも出来ないから、事業所はともかく本社の住所は下手な所には置いてはおけない。しかしここならわたしの持ち家だ。色々と融通が効く。


「取り敢えず敷金礼金と、家賃の前払分でこれ位渡せるかな? ちゃんと申告してね!」

「あ、ありがとうございます……」


 結構な金額を提示された。思った以上にカオリは副業で稼いでいるらしい。いや、最早こちらが本業だと思う。

 

「さ! 時間が無いのだから頑張ってね!」


 結局なぜそんなお金が必要なのかをカオリに話していた。さすがに訳を聞かないと出せない金額だと言われてしまったからだ。それで呆れられるかと不安だったが「そうなの? まぁ趣味にはお金が掛かるものよね」アッサリと納得してくれたので杞憂に終わった。アオイを追いかける事は趣味では無いがどう捉えられようとも否定されないのであれば構わない。その為、車が完成すれば出掛けっぱなしになる事を知っている。


「じゃあ、まずはコレ!」

「……はい……」


 また詰め込み教育が始まった。平日は仕事から戻ると遅くまで視聴させられて教え込まされる。このくだりは前回と同じだったが、今回は他にもやらなければいけない事が多かった。


 ……うぅ……頭もですが身体がついていけません……。


 週末ともなると前回程は大きくは無いがイベントに引っ張り出されるか、もしくは撮影スタジオなるものに連れて行かれる事になる。


「紹介するね、この人たちは……」


 関係者が増えた。


『よろしくねー!』

「こ、こちらこそよろしくお願いします……」


 カオリのオタク仲間なのだそうで、一緒に色々とやっているらしい。


「じゃーいくよー!」


 訳がわからない専門用語が飛び交う中、目がチカチカする物を着せられて、色々と待たされたり持たなかったり、一人だったり他の人と一緒だったりして沢山撮影された。


 ……相変わらず、何が何やらサッパリです……。







「ユズちゃんお疲れ~。これから暫くの間はヒマになるからね」


 やっとカオリの件がひと段落付いた。後はカオリ達の仕事らしい。冬の本番までの間、ここからが大変なのだと張り切っている。それまでわたしの出番はないとの事。


 解放された頃には季節も変わっていた。色付いて来た林を抜けてフォレスト・ガレージに急いで向かう。


「シンジョウさん、ご無沙汰しております」

「いらっしゃいませ。橘さんのジムニー、バッチリ仕上がってますよ! 試走もカンペキです!」

「ありがとうございます!」


 わたしがおかしな格好をして身体をくねらせている間に車は完成していた。やっと時間が取れて支払いの目処も立ったので意気揚々と引き取りに来ている。


「……しかし、これはまたずいぶんと変わりましたね……」


 作業経過は見ていたし、どう改造するかの件はもちろん相談の上だったが、いざ完成した車両を見ると以前よりも威圧感が増していてその迫力に圧倒された。とても元があのポロ車だとは思えない。素晴らしい。


「……あら?」


 よく見ると側面の色が変わっている。


「あ、この縞板ですか? お引き渡しまでに時間があったから付けておきました。サービスですよ」

「……あ、ありがとうございます……」


 ジムニーの側面に、凹みや傷隠しの為や保護をするのに金属のシマ鋼板を貼るのは定番のドレスアップなのでわたしも知っていたが、「無垢そのままだと味気ないので」ついでにそれを塗装までしてくれていた。


「……これはまたずいぶんとハデですね……」

「イイ色でしょ!」


 ……ありがたいのですが、紫ラメはやり過ぎだと思いますよ……。


 そこへ社長のナカムラがやって来て、コレ自信作です! と誇らしげにしている。そんな二人の様子を見て、やはり自分は陽の者達とは完全には相容れないのだと実感した。


 ……まぁ、目立った方が事故防止になりますか……。


 どうせ運転中には見えない。それに見ようによっては、このくすんだ紺色のボディーと合うのかも知れないと思う事にして、お礼を言うと陽の光に照らされてキラキラ煌めく車に乗ってお店を後にした。

 





 車を受け取った翌日の金曜日、定時で仕事を切り上げると真っ直ぐ家に帰ってすぐに仮眠を取り、夜遅くに起きて出発した。


 ───いざ青森!


 アオイ達はまだ北海道に居る。本州に戻って来るまでにはもう少し掛かる様子だ。今の内に新しくなった車に慣れる為と先にアオイ達が調査をする場所の確認に向かう。


 ……でも、本当にわかるものかしら……。


 柳教授の話しは半信半疑どころか全く信じていなかったが、異界に通じる場所はそこに行けばわかるのだと言っていた。確かに自分も子供の頃に不思議な感覚に見舞われた事を覚えている。あの感覚を指しているのだとしたら場所自体の特定は出来るのかも知れないと考えた次第。それで先に駄目な所がわかれば、アオイ達が本州に上陸した後で進む方向を予測出来て、その逆から進めば捕まえる易くなるだろうと考えた。その為、まずはフェリーが着く青森県の先っぽ辺りの半島にある調査対象地を調べておく。


 目指すは下北半島。


 ここからだと一番遠くになるから移動に時間が掛かるし、その辺りは対象箇所が多いからまず最初に行っておきたかった。


 勢い深夜の高速道路に乗ってアクセルを踏み込み驚いた。店から家までの距離ではよくわからなかったが以前の車とはまるで違うのを実感し、驚くのと同時に感心する。


 ……これが追加された過給機の威力なのね……。


 わたしの車には元々ターボという過給機が付いていた。軽自動車で非力な車だからそれがないと厳しい。しかしそれはアクセルを踏んで直ぐにその効果が発揮される訳ではなく、エンジンが回り暫くしてからそれが動く仕組み。しかし今の車は違った。アクセルを踏むと直ぐに力強さを体感出来ている。


 それはスナガワの車からエンジンを移植する時に、一緒に付けてあったSCという過給機も取り付ける事によって可能になった。今は普通のジミに―とは違い二つの過給機が載せられている。スナガワが最後まで渋っていた事から恐らく高価な物なのだろう。申し訳ない事をした。ありがとう。そのお陰で普段よりも力強く車が前に進む事が出来て快適になった。ボンネット辺りから「パシュ! パシュ!」と変な音がしていたり排気音も大きくなった気がするがそんな事は気にならない。


 ……これなら青森までも苦じゃない……。


 貰い物の新しいシートも座り心地が良く、全体的に気持ち良く運転する事が出来た。


 しかし気分よく走れていたのも束の間の事だった。


 ───えっ! もうガソリンがない!?


 確かに運転するのが気持ち良くてアクセルを踏み過ぎてしまったのかも知れないが、それにしてもガソリンの減りが早すぎる。少し走っただけでガソリンメーターの針が下に降りて来てしまい、慌ててSAに飛び込む。


 ……ううっ……覚悟はしていたけど……。


 ガソリンスタンドで給油機のカウンターが恐ろしい勢いで回っていくのを見ていて怖くなった。


 過給機が追加されているだけではなくエンジン自体もイジってあった為、通常ならばレギュラーガソリンなのに対しオクタン価の高いハイオク仕様になっていた。燃費が最悪な上にガソリンも高い。


 ……これって、行って戻って来たらガソリン代だけで破産しそう……。


 早くも心が折れそうになった。






 ……眩しいけど綺麗……。


 岩手県を通過中に日の出を迎える。陽の光で車内が暖かくなり眠気を誘ったが気合を入れてハンドルを握った。


 ───さぁ、もう一踏ん張り!


 目指す青森県には朝の内に入る予定。出来るだけ早く移動する為に使える有料道路は全て使って行くのだが、走ってばかりでは気が滅入ってしまう。その為自分へのご褒美も忘れてはいない。青森東インターからみちのく道路を使って七戸に到着。


 ……お腹空いた……。


 そこの近くにある小川原湖は汽水湖だ。日本最北の天然鰻が取れる。それを食べる為にお店へ予約を入れてあり朝一で入店した。


 ……ああ、うん。なるほど。こんな味なんだ……。


 北の寒い地方に生息しているからだろう。肉厚でとても脂が乗っている。くど過ぎる程に……。期待し過ぎていたわたしが悪いのだろうが、正直そこまで美味しい物ではなかった。残念。しかしまだ青森に着いたばかり。他にも沢山楽しみは残っている。


 そのまま下北半島を目指しながら下道を進むと、道沿いに地元のスーパーやドラッグストアなどが見えて来た。良さげな店を選ぶとすぐに入店して一直線にお酒売り場に向かう。

  

 ……これこれ……。


 もう旅にはだいぶ慣れている。道の駅もよく使うが自分用のお土産を求める時には地元のお店で探す事が多くなっていた。有名でなくとも珍しい物や新鮮な物が置いてあるし何より格安で手に入るからだ。


 早速地酒を何本か買い込む。


 ……スーパーは……まだいいか……。


 今回はお試しだし明日の日曜日中には帰る予定。一応クーラーボックスは持って来ているが、ここで生鮮食品を買ってしまうと帰るまでに駄目にしてしまう恐れがある。まだ早い。落ち着こう。今日の夕飯分を探す事も考えたが、これから向かう先には大間があった。


 ……やっぱり、マグロよね……。


 期待に胸を膨らませながら先に進んだ。





 ……ここからが本番……。


 下北半島の真ん中辺りに到着。準備を整えてから東北初の林道に挑む。ここは林道なのだから当たり前なのだが、住宅地から少し入っただけで人気のない鬱蒼とした林になって驚いた。さすが青森なのだなと感心しながら進み、車を止められるスペースを見つけるとエンジンを切って地図を広げて現在地の確認をする。既にスマホの電波が入らないので紙の地図頼り。途中で「◯◯の携帯電話はここで電波が入る」と書かれた看板を見掛けていた。ここは思った以上にスマホが使えない場所の様だ。気を引き締めて資料と地図を見比べる。


  ……この辺りのはずなんだけど……。


 調査対象地点は出入口と言うくらいなのだから、鳥居や石碑などといった何か目印になる様な物があるのだろうと勝手に考えていたのだったが、アオイの資料には特にそれらしき表記はなかった。その場に行けばわかるのだろうか。


 車内からは鬱蒼と生い茂る草や樹木しか見えない。取り敢えず降りて辺りを歩いてみよう考えたのだったが、車体に「カツン、カツン」と何かが当たる音が聞こえてドアノブに伸ばした手が止まる。


 ……?


 見れば窓の外に黒い虫が飛んでいた。


 ───ッ!


 アブだ。しかも大きくて一匹やニ匹ではない。大群だ。慌てて背後を向くと反対側にも前にも見えてた。


 ───囲まれている!


 背筋がゾッとし、慌ててドアノブから手を離すとエンジンを掛ける。


 ……こ、ここは後回しにしましょう……。


 すぐにその場を離れた。

 


 



 ……ふぅ……怖かった……。


 低い山で人があまり来ない場所へ車で入ると、エンジンの熱に誘われてアブがやって来るのは経験済みだ。しかしあんな数は見た事がない。一応虫除けや殺虫剤のスプレーを持って来てはいるがとてもじゃないがあんな数は無理。逃げの一択。


 早速青森の洗礼を受け、調査も出来ずに逃げる様に先へ進んでいると少し開けた所に出た。確認すると次の調査地点だ。


 ……ここは大丈夫かしら……。


 エンジンを切ると暫くの間大人しくして周りの様子を伺う。どうやら問題無さそうだ。それでも念の為に虫除けスプレーをふんだんにかけて虫スプレーを携えてから外へ出る。


 少し標高が高くなったせいか、ここは起伏が少なく草は多いが高い木が少なくて空が広い。テントを張ってキャンプするのに良いかも知れない等と考えながら長時間の運転で強張った身体を伸ばして、山の新鮮な空気を胸一杯に吸い込んでから散策に出掛けた。


 しかし草を掻き分けながら暫く歩き回ってみでもそれらしき物も無ければ不思議な感覚も無かった。ならもっと奥まで入ろうかと考えていると「ブ〜ン……」と虫がまとわり付く音が聞こえて来て身体が強張る。


 ───ッ!


 慌ててスプレーを周りに噴射した。しかし落ち着いて見てみればアブではなくハエだった。それに気付いて気持ちの良いものではないが刺してくる虫ではないとわかりホッとしたのだったが、落ち着いてからそのハエが群がる物を見てギョッとした。


 ……こ、これってもしかして……。


 動物のフンが草むらに落ちている。小動物の物ではなく明らかに大型の動物による物だ。人の物ではない。牛や馬がこんな山奥にいるはずがないし、鹿の物ではないのも確かだった。


 ……クマ……!?


 よく見れば周りに生い茂っている草はクマザサ。熊の好物だ。

 

 ───キャーッ!


 一目散に車へ逃げ込むと、逃げる様にその場を後にした。


 ……もうヤダ……。

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