第20話 想いと結果 その2

 車の速度を上げる為には軽量化したり空気抵抗を少なくしたりするのが手っ取り早いのだが、不整地を走る為に車高を上げて大きなタイヤを履かせたり、色々な装備を積んでしまうとそれとは真逆になる。だからその為にはエンジンの出力、パワーを上げるしかない。パワーが増えれば不整地でも色々と役に立つから良い事ではあるのだが、それに比例してガソリンを多く使ってしまうのだった。そうするとただでさえ燃費の良くない車なのに更に悪くなってしまう。それは仕方がない事なのだと割り切るしかなかったのだったが……。


「橘さん、スナガワくんのエンジン載せるの? やるね〜。パワーあるから気を付けてね。え? しかもそれで遠出するって? ……ならガソリン携行缶は詰んでおいた方がいいと思うよ」


 お店に遊びに来ていた顔馴染みのおじさんに、作業中のわたしの車を見てアドバイスをもらう。


 スナガワの車はわたしが思っていた以上にパワーがあって燃費が悪いらしい。そんな物を載せて出掛けるのだから燃料管理には気を付ける様に心配された。どうやら目指す東北地方は夜になると高速道路のサービスエリアでもガソリンスタンドが閉まってしまっている事も多いのだとか。


 ……立ち往生になる二の舞は勘弁です……。


 大人しく聞き入れる。


「そうだ。それなら……」


 これもあると便利だよ、これもあげるよと、他にも色んな人から心配されて施しを受けた。


 ……みなさん、ありがとうございます……。


 そうしている内にどんどんと荷物や部品が増えて改造も進む。


 わたしの車はアオイから譲り受けた後にも既にそれなりに改造していた。ウィンチも着けていたのだったが「ソロだと頭から突っ込んだ時に必要になるからね」と、後ろへ引っ張れるように更にウインチが追加される。その他にも色々と。


「このエンジンの出力ならこの足では弱いね。足回りは一新しないと」「リアはデフ入ってるからいいけどフロントはどうする? エアロッカー入れよっか」「このメーター使うよ!」「やっぱスタビ無しじゃマズイよね? ゴクウ入れよっか」「なー、ニーニーの強化シャフトって出てたっけ? 無いなら予備積んどく?」「ほら、何かあったらマズイからラダーも必要になるだろ? ドコに積もう?」「中で横になるには助手席を替えて前に倒せる様にしてっと……」「作業灯は何個付けよう?」「バッテリーを替えるなら、横転した時の為にオプティマにした方がいいよね」


 相変わらず話しを聞いていても実際に見ていても何が何やらサッパリだ。


 そんな混乱しているわたしを他所にして着実に完成へと近づいていく。順調に作業が進むのはとてもありがたい事なのだが、それに併せて新しい装備の使い方を覚えるのに大変苦労した。


 ……え〜っと、まず山道に入る前にはこのピンを抜いて、舗装道路に出たら元に戻す……フロントがハマったらこのボタンを押して……こっちがオイルの温度で水温はこっちで……ブースト計の針がこの位置に来たら……。


 覚える事が一杯だ。頭がパンクしそうになった。こんなに勉強したのは学生の時以来だと思う。しかし命に関わる重要な事なのだからしっかりと覚えなければいけないと、周りからの指導を素直に聞いて頑張って覚えていくのだったが、勉強中にも常に頭の片隅には気掛かりな事が離れずにあった。


「どうぞ。こちらが今の所の概算になります」


 ……うっ……。


 いくら中古の部品を使ったり善意の頂き物で安く上がっているとはいえ、新たに購入しなければならない部品も多々あった。更に当然ながら工賃が掛かる。いくらオマケをしてくれていても結果な作業内容になっていた。しかしこれをやって欲しいとお願いしたのはわたしなのだ。今更後には引けない。既に覚悟は決めているのだったが、実際にそれを目にするとクラクラして来た。


 ……お金、どうしよう……。






「お支払いは急がなくても大丈夫ですよ!」


 社長のナカムラの笑顔が眩しい。


 お店的には、車両が売れるよりもこの様なカスタム作業の方が実入りが良いらしくホクホク顔だ。


 車両はまだ出来上がっていないので支払いまでには猶予があるが、しかし早急に金策をしなければならなかった。


 新卒二年目のお給料なんてたかが知れている。それに今年は色々出掛けているからボーナスにも手を付けているし、祖母の残してくれたお金は就職するまでの生活費に消えていた。「ローンもありますよ!」と言われているがそれは最後の手段にしたかった。


 ……むぅ……。


 頭が痛い。


 お金の件もそうだが、こちらの方もそろそろ何とかしなくてはならない。


 ……いい加減、どうにかしないと……。


 家の中が酷い有様だ。これは忙しくしていて掃除をサボっていたわたしのせいではなくカオリのせい。


 例の件の為に彼女が運び込んだ数々の品が未だ残って散らかっている。こんな有様では人を家に上げたらあらぬ誤解をされてしまいそう。


 ……そんな予定はありませんけどね……。


 アオイが帰って来るにしてもまだ北海道。猶予はまだあるのだが、目がチカチカするしとにかく煩わしい。日常生活に支障をきたしていた。一刻も早く片付けたい。車が動くならば何往復してでも運んでカオリの家に放り込みたい所だったがまだ修理中。だとしてもこの為にわざわざレンタカーを借りるはなんか癪だった。


「いい加減片付けて下さい! 早くしないと捨てちゃいますよ!」

「あーゴメンゴメン。近々行くからちょっと待って」


 そう言うと、カオリは連絡を取った翌日に大きなカバンを持って現れた。


 ……捨てると言ったのが効いたのかしら……。


「電話をしてからずいぶんと早かったですね。そんなに大事な物なのでしたら、もっと早く来て持って帰って下さいよ!」

「ゴメンゴメン。最近忙しくってサ。荷物もだけど、ちょっとユズちゃんとお話ししたい事があってね……」


 聞けば例のコスプレの件だった。


「どう? もう一回やらない?」

「イヤです!」


 即座に拒否する。


 あんな恥ずかしい格好をするなんて二度とゴメンだ。そうキッパリと断ったのだが食い下がられた。よくわからないが評判が良かったらしい。


「人気があったからだとかそんな事は関係ありません! イヤなものはイヤです!」

「え〜、もったいないな〜」


 そう言ってソッポを向くと、徐にカバンからお酒とおつまみを出して来た。


「まぁまぁ、呑みながらでも話しを聞いてよ」


 ……うっ……。


 チラリと瓶のラベルを見ると中々良い物なのがわかった。喉が鳴る。最近は忙しかったのと節約の為に晩酌を控えていた。そこへ見ただけで美味しいのがわかる物を出されてしまっては堪らない。


 ……お酒に罪はありませんよね。何より勿体無い……。


「……これは一緒に呑むのですから、ワイロとかではありませんよね?」

「そーそー! そんなつもりで持って来たんじゃないから。お話しするにお茶だなんて味気ないでしょ? 遅くなったけどお疲れ様会も兼ねてね!」

「……なら構いません……」


 二人ともうら若き乙女なのですから、お茶にお菓子の方がとも言われそうなものですが、人目がある訳でもないし好きな物は好きなのですから仕方がありません。


 いそいそと杯を用意すると封を開けて早速呑み始めた。


 ……あぁ……思った通り良いお味……。


 久々に喉を潤す甘露に少し落ち着いて、余裕を持ってカオリに向く事が出来た。


「それで、お話しとはなんなのですか?」

「最近忙しかったのも、それが理由なんだけどね……」


 例のイベントの反響が予想以上に大きかったらしく、その対応に大変なのだとか。


「はぁ、そうですか」


 全く興味が沸かなかった。わたしは言われた通りに義務をこなしたまでだ。その後の事は関係ないし知らない。折角のお酒なのにつまらない話しがツマミでは興ざめだ。聞き流しながらお酒を吞む事に集中する。


「……それでね、みんなアタシと一緒にいたのは誰? 次の予定はいつ? って聞いてくるのよ。だからね、もう一度だけでもやって欲しいんだけど……」

「イ・ヤ・で・す!」

「やっぱそうか……」


 当然だ。何が悲しくてまたあんな恥ずかしい格好をしなければならないのだ。いくら美味しかろうとこんな物ではとても割に合わない。そもそも量が足りなくて前回のお礼にもなっていないと思う。既に四合瓶が空になった。これでは足りない。


 演技だと思うが悲しげにしているカオリを無視して、空になった瓶をジッと見つめていると「あ、まだあるから」新しいお酒を次々と並べだした。


 ───こ、こんな事では騙されませんよ!


「だからね、せめてコスロムだけでも許可してくれないかな〜って」

「何ですかそれは?」


 聞けばコスプレの撮影した物をメディアに焼いた物なのだそうだ。


「ほら、アタシと併せをしてたからユズちゃんも写ってるでしよ? だから一応許可は取らなきゃねって」

「そんな物、どうするのですか?」


 自分のコレクションにするのならばわざわざ許可を取る必要はないだろう。おかしな事を言うものだと首を傾げた。


「売るのよ」

「───はぁ!?」


 カオリは以前からもそんな事をやっているらしく、コスプレこそはそこまででもないが、自費出版の方はそこそこ有名でそれなりに稼いでいるとの事だった。


「同人誌は知っていますが、そんな物売れるのですか?」

「もちろん!」


 ……あんなもののどこがいいのかしら……。


 世の中は広い。わたしが知らないだけで、あんな奇天烈な物を見て喜ぶ奇特な者もいるのかも知れない。決め付けは駄目だ。しかしどうせそんな者はいたとしても数は知れているだろう。カオリの友達位だそうか。それにわたしはオマケであの場にいただけ。わたしが写っているものは少ない筈だ。ならば別に構わないだろうと考えて了承をする。


「ホント!? ありがと!」


 すると、それが一枚あたりが幾らで売れてこれ位は捌けるだろうから、経費を引いてもこれ位にはなるだろうといった生々しい事を嬉々として話し出した。

 

「え!? え? ちょっ、ちょっと待って下さい!」


 その予想だにしなかった数と金額を聞いて一瞬でほろ酔い気分が覚めた。


「そ、そんなに売れるものなのですか!?」


 数よりも金額の方に意識が行って驚いた。


 ……趣味の世界って恐ろしい……。


「あ、大丈夫よ。その分ちゃんとお礼もするから」


 具体的に、これ位売れたらこれ位は渡すのだと話し始める。


 ……正直、その臨時収入はとても助かりますが……。


 突然降って湧いたお金の話に考え込んでしまった。確かに今お金には困っている。しかしそんな端金では到底車の支払いには及ばない。


 ……でも、あの一件だけでそれ位になるのなら……。


 途端、あれだけ嫌悪していたものが魅力的に思えて来て我ながら現金なものだと自嘲したが、考え込みながら残っていたお酒をグイッと煽ると口を開いた。


「……もしも、もしもですよ? わたしがまた同じ様な事をやったとしたら、それ以上に稼げるものなのですかね……」

「え?」


 それを聞いてカオリの目が怪しく光る。


 ───しまった!


 すぐにもこれは迂闊な事を言ってしまったと後悔をしたが時すでに遅し。わたしもそうだがカオリもまだ酔ってはいない筈なのに、彼女の目はいやらしさに溢れていた。


「ん〜? ナニナニ? ユズちゃんお金に困ってるの〜?」


 ……うっ……。


 返答はせずに視線を逸らすと黙ったまま酒瓶に手を伸ばす。そのまま杯を重ねてだんまりを決め込むのだったがカオリは止まらない。それがいかに良いものなのかを力説し始めた。


 ……そんな事言われても知りませんよ……。


「……それで、幾ら欲しいか知らないけど、ユズちゃんならそれなりに稼げると思うわよ? どう? やる気になった?」

「……そうですか……。残念ながらやる気は全く湧いてきません。さっきのもちょっと気になったから聞いただけです」

「ホントに〜?」


 それでもしつこく絡まれるので、視線を合わせずにこれ位は稼げるものなのかと呟くと、それを聞いてニヤケた顔から渋い表情へと変わった。


「……それはまた結構な金額ね……。ん〜ムリではないと思うけど、難しいかな〜」

「どういう意味ですか?」


 おかしな事を言い出したので思わず乗っかってしまった。


「稼ぐには稼げるかも知れないけど、そんな大金、ユズちゃんの今やってる仕事的には問題よ? 副業になっちゃうもん。それにただ渡すにしても、ねぇ?」


 自分は派遣社員でもあるが個人事業主としても登録しているので、幾ら稼ごうが申告をすれば問題はないのだが、公務員であるわたしには問題があるのだと言われた。


「バレなきゃいいって訳にもいかないでしょ?」


 確かにそうだ。譲渡でも問題になる金額だ。しっかりと税金が発生する。一時の勢いで今後の人生を棒に振りたくはない。公務員は執筆活動や講演で得る収入は認められているが、基本副業は認められていないのが現状だ。動画配信サービスで稼ぐのもアウトなのだからコスプレならば尚更だろう。


「……ですよね……」


 酔いも冷めて来たのか少し頭が冷えた。


 最近は支払いの事が気掛かりで頭を悩ませていたものだから、それで深く考えずに飛びついてしまったのだろう。お酒が入っていて気が大きくなっていたのかも知れない。冷静を失いていていた。これはいけない。


 お酒ばかり呑んでいたから悪いのだとおつまみに手を伸ばし、一心不乱に頬張りながら落ち着こうとしていたのだったが、気が付けばカオリがまたイヤらしい顔付きになっている。


「それって、アオイちゃん絡みなのよね?」


 明言は避けて軽く頷くに留める。


 ここで正直に「今アオイを探しに行く為に車を改造しているから、その為の費用が必要だ」なんて事は言えない。それを聞いたならば絶対に呆れられてバカにされるに決まっている。


 ……わたしだって、そんなお金があれば新しい車に乗り換えたり、そのお金で探偵でも雇った方がマシだって事はわかってるけども……。


 そんな正論は聞きたくなかった。そんな事を言われてしまうとモチベーションが下がると言うよりも、今までの事を全て否定されてしまう気がする。それは今のアオイを追い掛けているこの状況ではなく、アオイと出会って取り戻した今の自分自身全てに他ならない。


 ……あの状態に戻ってしまうなら、まだ恥ずかしい格好をしている方がマシかも……。


 それ位に昔に戻るのは嫌だった。その気付きがなければ昔のままでいても特に何にも思う事はなかったかも知れないが今は違う。それを考えただけでも怖くて心の蓋が動きそうになる。


 それをしない、させない為にもアオイとの繋がりであるあの車に乗って、わたし自身が動く事で直接会わなくてはならないのだ。そうしないとまたいずれ昔のわたしに戻ってしまう可能性が高い。今のこの状況があるからわたしは前を向いて立っていられるのだ。ここで立ち止まってはならない。止まってしまうとそこで終わりだ。


 何も言わずにジッとカオリを見つめていると「……わかった。詳しくは聞かない」わたしの強い意思を感じ取ってくれた様でそれ以上の事は聞いて来なかった。


 そのまま二人黙ってお酒を呑み続けた。するとカオリは突然スマホを取り出したら何か調べものを始めて、暫くすると「そっか……」と呟いて、またいやらしくも悪い顔付きになった。


「ねぇユズちゃん、何とかなりそうよ?」

「えっ!?」

「だから、どう?」


 それは悪魔の囁きとも天からの福音にも聞こえた。気が付けばただコクリと頷いていた。

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