第18話 向上心のある女 その3

 ……胃薬ですか……こんな物に頼る様になってしまったとは……。


 歳は取りたくないものです……コホン。この前から初めてお世話になっています。それでも診療代を含めても年末調整の優遇には届かない程で済んでいますからまだ大丈夫。しかし橘さんの事をばかりを気にしてはいられません。このままでは私の方も年時休暇が危なげになりそうです。


 ───しっかりしなければ!


 心身共に気をつけましょう。なにせそろそろ重要な時期。大きな催しが近づいています。その準備も含め体調は万全に整えておかねばなりません。そう、あれは戦場なのうですから。決してお祭り等と言った生優しいものではありません。過酷な場所です。もう今までに何度倒れそうになった事か……。しかし行く前に倒れてしまっては意味がありません。


 年に二回しかない催しです。一度でも逃せばその後の半年間はずっとそれを悔やみながら過ごす事になってしまいます。最近では通信販売も充実していますから、後からでも補填出来るとは言えやはり直接現場に行ってその場の空気を肌で感じませんと。


 これは生きる為に必要な糧なのうです。趣味などと言った軽いものではありません。私に取っては生命活動の一部に等しい崇高なもの。


 ……しかし、いくら最近ではこの催しも一般的になって来ているとは言え、やはり後ろ暗い気持ちは拭えないのですよね……。


 それは私が生息するジャンルに理由がありました。とても人様に大手を振って喧伝出来る様なものではないのです。


 所詮は日陰者。こんな事では婚期を逃しているのも当然だろうとの声がどこからか聞こえて来そうですが、しかし生物に呼吸をするなと言うのは無理な話しです。


 ……少しはメジャー所にも手を伸ばしてみましょうか……。


 作品は違えど趣向が合う物は多々あります。視野を広げて幅を広げ、一般人に擬態していくのが良いとの考えです。そもそもそんな事を考えている時点でダメな気もしますが今は気にしません。今日も突き進みますよ!


 相変わらず部数は少ないまでも無事頒布終了となりました。


 ……みなさん、ありがとうございました……。


 知り合い方への挨拶周りも済み、やり切った満足感と慣れ親しんだ空気に包まれてテンションは上がりっぱなしです!


 ……そうそう最近気になる作品があるのですよね……。


 既にチェック済みです。これは擬態化の為に必要な行為なのだと、自分を欺きながら人込みを搔い潜り館の移動を始めたのでしたが、その途中の広場で足が止まりました。


 ……あら、コスプレですか……。


 とても賑やかで煌びやかです。目を惹きました。


 ……いいですよね……。


 当然この手の事にも興味はありました。しかし結局手を付けずに今に至っているのです。昔しは仲間内でいつもやろうとの話しが上がっていましたが、歳を重ねる毎に進学就職結婚出産とイベント事が起きて、その都度一人減り二人減り……今やこの世界を追い掛けているのは私だけになっていました。今回の参加も一人寂しく必死に白い紙にペンを走らせてからここに来ています。


 ……楽しそうですね……。


 もちろん私も楽しんでいます。ここには同好の士が沢山いますし、寂しいつまらないなんて事はありません。しかし私がここにいるのは最早生命活動の一部ですから、これは惰性に近いのかも知れません。あの集団を見ていてふと考えさせられました。それで思わず足が止まったのだと思います。


 せっかくなので、その中でも特に大きな囲みに目が止まりましたから端から覗き込んでみました。


 ───あ、あれは!


 特に人だかりが出来ていたので、人気のレイヤーさんが最近の流行り物をやっているのかと思いましたが違いました。


 その中心にいたのは二人の女性です。その内の背の高い方は、確か以前何度かどこかの会場で見かけた事がある気がしましたが、ここまで人を集める程に人気な方ではなかったかと記憶しています。失礼。しかしこんな人だかりを作る程に人気な理由はすぐにわかりました。隣にいるもう一人の女性です。

 

 二人が行っているものは最早古典と言って差し支えない程に昔の作品です。ですが色々とメディミックスの展開がされ、今だに男女問わず根強いファンがいる時代物。実は私も好きだったりした作品でしたからすぐにわかりました。

 

 ……懐かしい……。


 暫し見惚れてしまいました。学生の時分を思い出して色々と想いが巡ったのもありましたが、ただ懐かしかったからだけではなく、その者が見事にキャラを表現出来ていたからです。


 ……あれって、結構難しいのですよね……。


 有名なキャラですから、かつては挑む者も多くいました。しかし扮装を楽しむだけでしたら良いのですが、キャラを現実に落とし込むのが大変でみな苦労しており、最近ではあまり見掛けなくなっていました。


 まずそのキャラの特徴的な長い黒髪はウィッグで賄えても背丈だけはどうにもなりません。人を選びます。


 ……しかし作品の内容が内容ですから、子供にやらせる訳にはいきませんしね……。


 それに小柄で華奢な女性というものはどうしても可愛らしさが面に出てしまうものです。本当の子供でしたら尚更で、キャラにはそぐいません。


 なにせそのキャラは、童女の如く容姿を持ちながらも扇情的な格好をしており、数多の戦場を駆け抜けて多くの仲間の死を乗り越えた齢数十歳の妖艶な美女。それを演じるのは難しく、結局はみな中途半端に終わっていました。しかし彼女は違います。


 ……あの容姿で、ああも際いも甘いも噛み分けたかの様な表情が出来るだなんて……。


 釘付けになりました。これは目が離せません。


 完全にキャラを体現出来ています。いえ、むしろ次元の狭間を飛び越えてここに現れたかの様!


 無意識にスマホを取り出していました。


「こちらにも目線をお願いしまーす!」






 ……ちょっと疲れましたね。年甲斐もなく興奮し過ぎてしまいました。反省反省……。


 周りの方、ご迷惑をおかけ致しました。


 我に返り列を離れると早速撮った写真のチェックを始めます。


 ……こ、これは……。


 画像を拡大して見てみても全く粗がありません。髪は自前のものでしょうか。とても奇麗です。流石に化粧はしていても特に大きな加工はしていない様子です。素晴らしい。もちろん衣装も完璧です。これはオーダー物でしょうか。とてもよく似合っています。エロスが滲み出ていても下品さはありません。


 ……私にはとても着る勇気はありませんがね……。


 どこを取っても文句の付けようがありません。パーフェクト!


 ……尊い……。

 

 これは正にあのキャラの申し子です。完全にファンになってしまいました。


 何枚も撮った写真を一枚一枚じっくりと見ながら、冬は久々にこれで行くのも良いかと考えていたのでしたが、ふと既視感を覚えて考え込みます。


 ……どこかで会った様な……?


 ですがこの手の催しで無いのは確かです。彼女程の者が参加していたならば、既に噂になって私でも知っていた筈です。しかし今までに見た事も聞いた事もありません。今日初めて見ましまた。なのに見覚えがあるどころか、見れば見る程身近な感じがして来ます。例えるならば、親戚の子に久々に会って、その成長した姿を見て違和感を感じる様なあの感覚……。


 ───アッ!


 思わずスマホを落としそうになりました。


 ……ま、まさか……。


 その者は普段髪を纏めていますし、あまり化粧っ気が無い方なので中々一致しませんでした。よく見ないと気が付きません。それと最近では性格も明るくなり、笑顔を見る事が多くなっていたと言うのもあります。思い出してみれば、この浮世の辛酸を舐め尽くし世を儚んでいるかの様なこの目付きは、以前の彼女がよくしていました。


 ……これって、橘さんですよね……。


 改めて彼女である事を前提に写真を見直すと、もう橘さんにしか見えなくなりました。


 毎日の様に顔を合わせているのです。彼女の容姿は隅々まで知っています。いくら化粧を変えて普段とは真逆な格好をしても耳の形や首筋等は変えられないのです。間違いないでしょう。しかし露出の多い服を着ていますから他にも色々と見えてはいるのですが、そこまでは見た事がありませんからそれはあまり参考になりませんでした。


 ……若々しくて羨ましいこと……。


 コホン。その玉の様な肌には少し嫉妬を覚えましたが今は関係ありません。まさか同好の士だったとは驚きです。普段の様子からは全く想像がつきませんでした。


 ……でもそれは私も一緒ですよね……。


 そこでハタと気付き愕然とします。


 ───これ、私も身バレしている!?


 慌てて写真を見直すと、目線をもらっていたのですから当然ですが、写真にある彼女の視線はこちらに向いていました。


 この手の場所に来るにあたって、化粧も服装も気合を入れていました。普段の私とは別人です。しかし今の彼女程ではありません。見る人が見ればわかってしまう事でしょう。それこそ毎日顔を合わせている者ならば……。


 ……マズい……。


 幸いブース内にいる姿を目撃された訳ではありませんが、その手の方達と一緒になってはしゃいでる姿を見られているのです。これは休み明けが不安で堪りません。一体どんな顔をして彼女と会えば良いのでしょう。


 頭を抱えてしまいます。


 ……これは今後、彼女との付き合い方を考え直さなければいけないですかね……。

 

 先程までの興奮は一気に醒めて不安で胸が押しつぶされそうになり、せっかくのハレの日だと言うのに暗い気持ちになってしまいました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る