第17話 熱意と手段 その6
途端に怖くなり身体に震えが来る。最早話しの内容で気持ちが悪いとかの問題ではない。
……いやいや、直接手を出さなければいいって訳じゃないでしょう……。
いくら他人を介在させようが本人自らに行動を起こさせようとも、それを示唆したり手伝うのはアウト。
……それって教唆じゃないの……。
それがもしも冗談や比喩でもなくて本当の事だとしたら立派な犯罪だ。良い年をした大人がそれを知らない筈はない。しかしその表情には全く悪びれた様子は無かった。逆に得意げな顔でもしているのならば、それはそれでまた問題だがまだ理解が出来そうなものだがそれもない。
真偽の程は別としても本人はいたって大真面目。例え本当にはやっていなくとも、やる事自体に忌避がないのがわかった。
……怖い……。
そんな人格破綻者と二人っきりでいるのは恐怖でしかない。一刻も早く逃げ出したくて堪らなくなった。ましてや口すらも聞きたくはなかったが、しかし黙ってはいられなかった。
「───せ、先生はアオイの事も、処理だか整理だかをしたのですか!」
状況的に考えれば今アオイが出掛けているのは柳教授絡みの件なのは間違いなだろう。一体今何をさせられているのか気が気じゃなくなった。犯罪の片棒を担がされているのかもしれないし、アオイ自身に危機が及んでいる可能性もある。
こんな者でも一応はアオイに取っては恩のある者だし老人だ。少しボケている様だが優しい対応を心掛けるつもりでいたがとんでもない。状況によっては通報も辞さない覚悟で叫びながら睨み付けたのだったが、済ました顔で「当然だ」と返された。
───ッ!
それを聞いて思わず掴みかかりそうになったのだが「そのおかげで君と会えたんじゃないか」と言われて足が止まる。
「ど、どう言う事ですか!?」
「だから言っているだろ? みなそれぞれに対応して処理をしていると。各々がその事実を踏まえた上で、その後でどう生きるかは当人次第だよ。その為の協力は惜しまないがね」
これでも教育者の端くれだと笑っている。
「……協力? ですか……」
「そうだよ。能守くんの様に状況を理解した上で、前向きに励む子にはその手伝いをしている。この大学に呼んだのもその一つだね」
大学生の時期はモラトリアム。残り少ない人としての生なのだから、せめて一時とは言えど楽しい時期を与えてあげたいのだ等とわたしの祖母みたいな事を言っている。
「むろんタダではないがね……」
その見返りとして自身の研究の手伝いをさせるのだそうだが、それ位ならば許容範囲だろう。ただその内容が気になった。
「……一体、アオイに何をさせているのですか……」
「これは能守くん自身にも関係がある事なんだがね……」
異界と繋がっている場所の調査だそうだ。「昔はそれこそどこにでもあったんだが……」それは俗に神域だとか言われている場所がそれに当るのではなく、人が持つ超越的な存在に対しての畏敬の念が作り出すものになるので人里離れた場所にある訳ではないとの事だ。しかし時代が進むにつれて人の考え方が変わっていき、今ではその数も少なくなってしまい、未だその場所にあるのかどうかの確認作業が必要なのだとか。
……まぁ、もうその件については何も言わないですけどもね……。
呆れてため息が出そうになるのをグッと堪える。
「それでその事が、アオイと何の関係があるのですか?」
趣味の手伝いで振り回されているアオイの事が可哀想に思えて少し語気が強くなってしまった。
「そりゃ鬼を放置しておくわけにはいかないからね」
柳教授の説によれば、鬼の因子が出てしまった者は二十代そこそこで完全に鬼化して人としての自我を失い、人喰いを重ねる内に人としての姿も保つ事が出来なくなるらしく、いずれは霧散する様に自然と同化するのだそうだが、そうなる途中の成れ果てでも人が接触するば死に至る存在なのらしく「危険だろう?」と。そしてわたしの弟が亡くなった原因はその成れ果てだろうとも言っている。
……はぁ……。
大真面目にそんな事を力説されてもどう反応すれば良いのか困ってしまう。しかしここで重要なのはこの馬鹿げた話しをアオイが信じているかどうかは別にしても、それを今現在調べに向かっている最中だろうと言う事だ。
「だとするとアオイは今、その異界? ですか? その場所を確認するために出掛けているのですね?」
「そうだよ。正確にはその入り口だがね」
……入り口でも出口でも関係ないですけどね……。
「なら、その調査とやらが終われば帰って来ますよね? いつぐらいに終わるのですか?」
それが重要。
一体調査の対象がどの位あるのだろうか。手元にあるアオイの卒論を見ればわかるのだろうが聞いた方が手っ取り早い。
考えてみれば出掛けてからもうだいぶ経っている。足跡から考えるに、既に日本の半分以上を回っている。戻りはそう遅くないと思う。一緒にいるヒカリの事は気になるが、今探しに行くよりも大人しく待っていた方が良いかも知れない。正直追い掛けるのに疲れたのもある。
……人一人探すのって大変なのよね……。
今は身に染みてわかった。探偵業が成り立つのも最もだと思う。
一年とは言わないまでも半年位ならば待てるだろうと考えながら答えを待った。
「戻らんよ」
しかし煙草の煙と共に吐き捨てる様に言われて目を丸くする。
「えっ! ど、どう言う事ですか!?」
ほんの少し、もしかしたら海外にまで足を伸ばしたりして調査は年単位になるのかも知れないとも考えていたが、戻らないと言われるとは思わず驚いた。
「だから言っているだろう? そこは入り口だと」
アオイ達は鬼だから、人としての自我を失う前に異界に返すのだそうで、その為に今行っているのだとか。
……はぁ、そうですか……。
いい加減相手にするのも疲れて来た。しかしここで放り出して帰る訳には行かない。やっとアオイの行動について確信に迫って来たのだから。
気を取り直し大人しくして話しを聞く。
「ただし、調査も兼ねてるからね……」
梅雨や台風、雪などと言った季節的な問題も避ける為でもあるのだが、今も入り口が残っている確率が低い順から確認に行かせているのだとか。
「はぁ、そうですか……」
面倒に思っているのを隠くせなくなり思わず口から溢れてしまう。
そろそろ付き合いきれなくなった。いくらもっともそうな事を言っても、実際に動いているのはアオイ自身なのだ。こんな妄言に振り回されているなんて可哀想。話しが進むにつれ苛立ちを覚えた。
「なら、仮に異界とその入り口が本当にあるのだとしてですが、必ずしもアオイがそこを潜って向こうの世界に行くかと言うのは別の話しですよね?」
それといくら行かせたくとも、調べた末に全ての入り口がもう無くなっている事もあるだろう。そもそも本人が行こうとしなければ、無かったとの嘘の報告を持って戻って来る事も考えられる。わたしがアオイの立場ならば、こんな妄想癖の酷い者とは付き合いたくないとそのまま逃亡する。二度と戻らない。
……ハッ! もしかしてアオイが出て行った本当の理由って、これ……?
「ハハッ、それは無いね」
一笑に付されてしまった。
「なぜですか?」
苛立ちで睨みつけながら問うと、先程よりも真面目な顔付きになって睨み返され思わず身構えた。
「斧石くんが、やらかしたからね……」
ヒカルもやはり柳教授とは子供の頃に会っていたそうだが、あの話しを聞いても全く意に介さなかったらしい。その為アオイとは違ってそうならない様に努める事はなく、また他の者達の様に将来を悲観して行動に移す事もなかったそうだ。その結果、最近意図的ではなくとも人を殺めてしまったとの事だった。
「能守くんも、その件を知っているからね」
それで、このままでは近い内に自分も同じ事をしてしまうだろうとの危機感を持っているからだそうだ。
それを聞き、アオイが柳教授に騙されているかは別としても、この一連の行動はわたしの身を案じてのものなのかと少し嬉しくなった。そしてヒカルには嫉妬して怒りを覚えた。
───まったく! アオイに迷惑を掛けて!
ヒカルに会って引っ叩きたくなる。だが具体的にヒカルが何をしたのかは詳しくは聞かなかった。正直聞きたくも無い。本当にそうならば犯罪者だ。関わらない方が賢明。例え嘘だとしても碌な事をしていないのは確かだろう。
……それでも先生の言っている、入り口とやらが無くなっていれば意味が無いと思うのだけども……。
その疑問が顔に出ていたのだろう。わたしを見てニヤリと笑いながら口を開いた。
「だから斧石くんの事をこのまま放置出来ないだろ?」
何かをやらかしたのならば警察に任せれば良いと返したのだったが、それでは犠牲者が増えるだけだと言っている。警察だって所詮は人なのだと。しかし鬼同士ならば影響されずに済むそうで、ヒカルを他の者に近付かない様にさせながら移動して調査を重ねているのだそうだ。そして今回の予定にある全ての調査が終わった後で、例え入り口が無かったとしてもヒカルの事はアオイが処理をし、アオイ自身も自分でけりをつける事になっているとの事。
「まだ能守くんは、そうとなるまでに余裕があるからね。キッチリ仕事をしてくれるだろうさ」
…………。
そしてやはりアオイは出掛けてすぐにスマホを紛失してしまったらしく、どうせすぐに必要がなくなるものだからと新規に契約はせず、公衆電話を使って柳教授へ定期的に連絡をして来るのだそうだ。その時の声の様子からしてまだまだ余裕があると笑っている。
───ッ!
妄想話やヒカルの事は別にしても、今現在アオイが出掛けている事自体は本当の事だ。もしもその最終目的が本当にそれなのだとしたら、このままではアオイは犯罪者となり、更にはこの世から去ってしまう事となる。
その話しの真偽を見極める為にジッと目を見つめる。冗談で言っているのではないことがわかった。至って真剣だ。
……マズイ……。
例えその話しの全てが真実で無くとも、少しでも本当の事があったら大惨事。
それに気付いて今まで以上に背筋に冷たい物が走った。
「……な、なんでそんな事を……」
それは当然アオイの事を想っての口から出た言葉だったが、柳教授は違う意味では受け取っていた。
「入り口の確認はしておかないとね。息子は大丈夫だったが、孫やその後がどうなるかわからないからさ……」
旦那が鬼だったのだから自分の子孫もそうとなる可能性は高い。だからそうとなった時には、処分対象ではなく、異界に返す必要があるから調査を続けているのだとか。
「……なら先生は、そうなると知っている上で子供を作った訳ですか……」
「そりゃそうさ。決まっているだろ? どうしても抗えなかった。いやむしろ自ら望んだね。愛する者との繋がりをどうして切ろうと思うよ?」
その極めて自己中心的な考え方にめまいがして来た。何かを言い返そうと思ったが、「君もわかるだろ?」と言われてしまって何も言い返せなくなる。
……そりゃ、色んなものが許されるのならば、わたしもアオイと……。
確かにその気持ちは痛い程わかるのだったが、しかし納得は出来ない。
───身勝手過ぎますよ!
「なら、そこまで旦那さんの事を愛していたのでしたら、なぜ一緒に行く事を選択しなかったのですかね?」
嫌味を込めて言ってしまった。
当然異界があるだなんて事はこれっぽっちも考えてはいない。恐らく亡くなって離別したのか、どこか遠くの国にでも行ってしまったのだろう。少なくとも一緒に居られなくなった事自体は事実なのだと思う。悲壮感は伝わって来た。ならばなぜ後を追わなかったのか。もしその時に後を追ってさえすれば、今頃アオイに迷惑を掛ける事もなかっただろうにと心からそう思った。
……なんだか、わたしも随分と危ない考え方になって来たみたい……。
興奮し過ぎたからなのか柳教授に当てられたのかはわからないが、危険な思想に傾きつつあるのを自覚する。これは気を付けなければならないと反省をしながら様子を伺うのだったが、しかしそれは嫌味として受け取らなかった様で気にした様子は無かった。
「そりゃ一緒に行きたかったよ。しかしその時はすでにお腹の中に息子がいてね……」
それで行く事が出来なかったのだと悲しそうにしている。
……こんなんでも、やっぱり母親は母親なんだ……。
少し意外だった。人間味のあるその様子を見て意外にも人の心がまだあるのだと驚いたのだったが、その後に続いた言葉を聞いてその考え方を改める。
……やっぱりダメだ……。
改めるどころか極めて危険人物であるとしっかり心に刻んだ。
どうも旦那と共に異界へ行こうとしたらしい。しかしそこは鬼の住む世界。ただの人間がおいそれと行けるものではなく、そこへ足を踏み入れるには数々の神話や伝承よろしく対価、いわゆる贄が必要になるのだそうだ。
「……あの子を産んですぐだったのなら、そのまま捧げて異界の門を潜っていたのだったけどね……。残念ながらまだお腹の中にいたから使えなかったよ。それに入り口どころかその手前の結界すら通れなかった」
事前に知っていれば色々と用意したのに……研究不足だった……。と言いながら苦々しく煙草を吹かしている。
……もうヤダ……。
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