第16話 熱意と手段 その5

 ……研究のし過ぎでボケちゃったのかしら……。


 確かにアオイはその手の研究をしていたようだが、当人を鬼だとか言われてもピンと来ない。何か民俗学的な比喩や暗喩の表現で鬼と言ったのだとしたらわからないのはわたしの不勉強のせいだろう。申し訳ない。しかしそれ以上に気になる事を言っていた。


「……旦那さんがアオイと同じとは、どう言う意味なのでしょうか……」


 ……アオイの様な美貌だったと言う事……?

 

 それならば少しぐらい自慢話くらい付き合ってあげよう。お年寄りには優しくするべきだと耳を傾けていると、煙草に火をつけて苦々しく煙を吐き出しながらジッと見つめて来た。


「正確には、能守くんだけでなく斧石くんもだがね。亡くなった旦那も二人と一緒で、いわゆる人ならざるモノだったんだよ」


 自分の伴侶を人外呼ばわりするなんて酷いとは思ったが口は挟まない。もしかしたらDVだとか辛い過去があったのかも知れないと考えたからだ。ボケて色々と記憶が混乱するのはよくある事だ。


 ……お歳なのだから仕方がない……。


 おばあちゃん子だったのを自認しているわたしとしては、寛大な心でもって黙って聞き続ける。


「だが鬼だと言っても、ツノやキバが生えていたり、赤かったり青かったりするアレじゃあない」


 ……良かった……。


 そこまでボケてはなさそうだとホッとして胸を撫で下ろすのだったが、その後で「こことは異なる他所の世界からやって来て、人を捕らえて食うモノだから便宜上そう呼んでいる」だなどと言い出したものだから本気で心配になった。


 ……これはマズいかも……。


「……先生、お話しの途中で恐縮なのですが……」

「なんだね?」

「今、病院には通われていますか?」

「ん? 血圧が高いから薬を処方されているが……」

「いえ、心療内科とか精神科には……」

「そんなものは必要ない!」

 

 ムスッとして煙草の火を消すと、またすぐに新しいのを取り出し火を点けて吸い出した。部屋の中には気不味い雰囲気と煙草の煙で溢れ返った。


 ……先生には喫煙外来が必要かもね……。


「フゥ……。君も知っているはずだよ。あの抗いきれない恐ろしさを……」


 ……? 


 アオイに対しての事を言っているのだろうが、そんな事を言われても思い当たる節がない。恐ろしいと言うのならば、あの類まれなる美しさは確かに同意するが抗いきれない程ではないと思う。そもそも付き合い始めたのもわたしからではなく向こうから声を掛けて来たのだし。


 ───アッ!


 しかし言われてみれば、アオイと肌を重ねる関係になったのはわたしから誘っていたのを思い出して恥ずかしくなった。途端に顔が熱くなりその熱が首元や耳にまで広がって来る。


「ふぅ……。君達の夜の営みには興味ないがね……」


 呆れられてしまった。


 ……お恥ずかしい……。


「……まぁそれもあながち違わないが、そうではなくて、君の子供の頃の話しだよ。弟さんを目の前で亡くしてるだろ? その時の事を言ってるんだ」


 ───ッ!


 弟がいて亡くなった事はアオイにすら話していない事だったから驚いた。


 アオイに話さなかったのは、ただ単にせっかく心の蓋が取れていたのに、あの時の事は考えるだけでも蓋が重なりそうになるからで、意識的に思い出さない様にしていただけで他意はない。しかし考えてみればアオイが祖母から聞いている事は考えられる。それならばアオイづてに知っていてもおかしくはないだろう。


「その時に山の中で感じたろ? あれが鬼だよ」


 確かあの時はとても暑かったのを覚えている。それで弟の死亡原因は鬼の霍乱、いわゆる熱中症ではないかとも言われていたのを思い出したが、わたしを見つめるその目付きは真剣そのもの。そんな比喩表現の事を言っている様には見えなかった。


 ……本気でおかしくなってる……?


 勘弁してほしい。いくらアオイにとっては恩のある者かも知れないがわたしに取ってはただの恩師。ケア介護までする義理はないと思う。


 ……でも一応は、先生のご家族におかしな事を言っていると伝えておくべきかしら……?


 認知症は脳の障害だ。妄想性障害か遅発性パラフレニーかは知らないが、六十代での早期認知は老化ではなく何かしらの病が進行している恐れがある。家族がこの事を知っているのか少し不安になった。何せこの手の病は普段の様子からはわからない事が多い。早期の治療が肝要だ。しかし今はそんな事よりこの場をすぐにどう立ち去るかの方が重要だ。何せ認知が進むと攻撃的になる者も多い。下手な事を言って暴れられでもしたら目も当てられない。


 取り敢えず今は適当に話しに乗ってお茶を濁す事にした。


「……はい、そうですね。確かに目の前で倒れて亡くなりました」

「その時の事を覚えてるだろ? 忘れたくても忘れられない筈さ。あの抗いきれない多幸感あふれる感覚を……」 

 

 ……どうだったかかしら……?


 正直その時の記憶は曖昧だ。あの時不思議な感覚があった事自体は覚えているが、目の前で弟が倒れたショックと重なり気持ちが雑然としまっていた。その為、その時の感情や状況は今でも上手く表現する事が出来ない。事件の当時、周りの大人達には「手を繋いでいた弟が、突然手を離して走り出したかと思ったら、すぐに倒れた」との客観的な事象しか伝えられていなかった。


「その時のアレが鬼だよ。正確には成れの果てだがね。弟さんは鬼に喰われて亡くなったんだ」


 ………。


 したり顔でニヤリと笑われて怖くなり背筋に冷たいものを感じる。


 ……マズイ……これって、完全にダメなやつだ……。


 完全に妄想世界の住人になっている。対処不能。困った。認知症は祖母も患っていたが老化の範囲で軽度の内に亡くなっている。当人も周りも認知ではあまり苦労せずに済んだのは幸いだったと思う。だからここまで酷くなった者の対応はどうすれば良いのかわからない。


 この手の者の相手をするには、このまま好きなだけ喋らせて黙って聞いているのが正解なのか、それとも話しに付き合った方が良いのか少し考えたが、どこから弟の事を知ったのか気になったので話しに乗ってみる事にする。


「それにしても先生は、まるで見ていたかの様にお話しされていますね」

「むろん君達が遭遇した現場を直接見ていた訳ではないよ。以前能守くんから君の子供の頃の話しを聞いてね、場所や状況からピンと来た。そこには当時……」


 ……失敗した……。


 やはりアオイからだった事はわかったのだが、余計なオマケが付いて来てしまう事に。そのまま民俗学の講義が始まってしまった。

 

 いくらわたしも柳教授に師事していたとは言え専攻は上代文学。畑が違う。嬉々として話されても理解が追いつかない。しかしそれでも最初の内はまだマシだった。


 鬼と呼ばれるモノの由来が当時の為政者の政敵であったり、外からの来訪者の事をそう呼んでいた等といった話しならば、専門でなくともわかるし理解も出来る。ボケてはいても流石学者だ。わかりやすい。そしてその後に続いた所謂妖怪やお化けだ等といった怪異・魍魎の類は、当時の厳しい環境下に置かれていた者達の畏敬の念から発生したのだと言う説も納得は出来る。興味深い。ただそれらの一部は、人の念が異界との繋がりを生じた事で、そこからやって来たものだなんて話しになったものだから頭を抱えてしまう。


 ……マンガやアニメの世界だ……。


 話しが進むにつれてどんどんおかしな事になっていった。トンデモ理論が展開されていく。いい歳をした大人が大真面目でそんな話しをするのを見ていると痛々しくて堪らない。

 

 よほどその手の話しが好きなのに話す機会がなかったのだろう。話すにつれ熱を帯びて来る。確かにこんな説は講義等では出来やしない。ましてや学会等で提唱しようものなら大惨事になる事請合いだ。大学までもが問題になってしまう。しかしそこまではボケていなかった様だ。まだ相手を選んで話す事が出来ている。卒業しているわたしに世間話として話すのならば問題はない。相手をするわたしは大変だが。

  

 ……でも、アオイもこの話しを聞かされていたのだとしたら……。

 

 面倒な事だったろうと同情したのと同時に可哀想に思えた。何せアオイ達の先祖に当たる者はその異界から来た者だと言う始末。


 ……これ、どうしましょう……。

 

 このまま話しを聞いているのは苦痛でしかなかった。

 

 もしかしたらボケてない? かと思う程に理路整然と離しているものだから、ただ聞いているだけならば煩わしいだけで問題はないのだったが、その内容には怖気が走った。鬼がどの様にして人を食べるのかを嬉々として話しているからだ。


 ……頭からバリバリと食べるとかではなくて良かったけれども……。


 人の生気を吸い取るのだとかで、そうなった者がどうなるのかを克明に話す上に「君もそれを見ていたのだからわかるだろう?」と相槌を求めて来る始末。弟の死を目の当たりにしている者に対してこのデリカシーの無さは一体なんなのだろう。老人特有のものなのかそれとも研究者のさがなのかは知らないが気分が悪い。


 ……そんなものとアオイを一緒にして……。


 聞いていて憤りを感じて来た。このまま我慢して黙って話しが終わるのを待つつもりでいたが、つい口を挟んでしまう。


「先生、アオイをそんなものと一緒にしないで下さい。現にいつも一緒にいたわたしはこの通りピンピンしていますし、アオイがそんな事をした所も見た事ありませんよ」


 この手の相手は放置を決め込む事が得策なのだろうが、我慢出来なかった。


「そりゃ、初めて会った頃の君には食べるものが無かったからね。心が空っぽだったろ?」


 ……よく見ていらっしゃる事で……。


 確かにアオイと知り合った当初は心の蓋が重なり感情が死んでいた。その事を言いたいのだろう。鬼は人の欲望を好んで食べるのだとか言っている。


「捕食者であるあの子達は、被食者から見たら魅力的に見え感じる仕様になってるんだよ。心の内にあるその欲望を増殖させて美味しく頂くためにね。空っぽで増殖するものが何もなかった君の事は、能守くんからしたら他の人とは違って不思議に見えた事だろうよ」


 その為に興味を持って近近付き、更に捕食対象にならないだろうから安全だろうと考えて、付き合おうと言われたのだろうと失礼な事を言っている。


 ……ガマンガマン……。


 これ以上何かを言って調子に乗らせてはダメだ。放置推奨。

 

「能守くんは、自分の中にいる鬼に振り回されないよう努力していたからね」


 ……?


 黙っていても知りたそうな顔になっていた様だ。わたしの顔を見て、待ってましたと言わんばかりに笑顔になって煙草を吹かす。


「その一つがほら、これだよ。あの子は結構なベビースモーカーだろ? 流石に常日頃から護摩を焚いている訳にはいかないからね」


 鬼の嫌う護摩の芥子は現在の法律的にアウト。しかし煙草の煙でもそれなりに似た様な効果がある様で、鬼としての欲求をかなり軽減出来て落ち着く様になるのは自分の旦那で実証済みだとか。それと付き合っていたら自分も吸う様になり、癖になって今もやめられないのだと笑っている。


「……そうですか……」


 その真偽の程は別としてもアオイが吸う様になったのは間違いなく柳教授の影響だろう。悪い大人だ。幼い頃からアオイの事を知っているのだとも言っている。


「いくらタバコの煙を浴びていたとしても、その因子を持つ者が発現すると、いずれ鬼化するのは避けられない。だからなりそうな子達とは幼い内から経過観察をしているんだよ」


 昔に比べればその縁者も少なくなって来ているから、追いかけるのも楽になっているそうだ。学校の片手間で何とかなると笑っている。その発現する時期は第二次性徴期なのだそうで、その年頃になった子供達とは個別に連絡を取りケアをしているのだとか。


 ……教授職って、ヒマなのかしら……。


 本当にそんな事をやっているのならご苦労な事だと少し呆れたが、しかし鬼がどうだとかは関係なくとも、第二次性徴期を迎えて突然アオイみたく劇的に体質が変わってしまうのならば、その子達も色々と大変だろ。事情を知っていて相談が出来る大人が身近にいるだけでも有り難いと思う。


 ……以外に優しいのかしら……。


 妄想癖の酷い厄介な老人だとばかり思っていたが、少しだけ見直した。それにしてもそこまでアオイと似た様な者が他に何人もいるとは、流石に異界の人外と言わないまでも祖先に異国の血が入っているのかも知れないと考えた。しかしそれにしてはアオイとヒカル以外にはあんな見た目の者を他に見た事も聞いた事もない。不思議に思ったが口をつぐむ。下手に話しに乗ってしまうとまた増長させて話しが長くなる。「能守くん辺りの子達は、運悪く多く出てしまってね……」黙っていても関係なく話しは進んだ。


 その発現するトリガーとなるのは恩讐なのだそうで、抗え切れない事故や事件、災害で命を落とした者の念が影響するのだとか言っている。アオイ達の年頃の者には多く発現しまったらしい。


 ……アオイの年齢からすると……。


 東日本で起きた震災の事を言いたいのだろうか。確かにその時は多くの者が亡くなっている。わたしは子供だったし西日本に住んでいたからよくは知らないが、当時日本中が大騒ぎしていたのだけは覚えている。


「ほんと、あの時は大忙しだったよ」

「地震で、ですか?」


  ……しまった……。


 やっとマトモな話しが出て来たものだから、油断して思わず口をついで出てしまった。


「まぁそうだが、その子達の処理でね」


 ……処理……?


 失言した事を後悔して自分を嗜めるよりもその単語が気になって、先程から敢えて視線を外していたが彼女の顔をマジマジと見てしまった。


「ん? 鬼なんぞが多く世に放たれたら大変な事になるだろう? ならば適切に処理をしなければな」


 識者として、また関係者でもあるのだから当然の義務だと誇らしげにしているが、その得意顔を見ていると寒気がして来て聞かずにはいられなかった。


「……その処理……とは、具体的に何をなさったのでしょうか……」

「さすがに直接手は下しとらんぞ?」


 ……直接……?


 嫌な予感しかしない。


「なに。一人一人丁寧に鬼がどういうものか、そして今後君達はどうなるのかを教えてあげるのだけだ。そうすれば自ずと……ね……」


 悪びれた様子もなければ笑うでもなく無表情でそう言い放った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る