第15話 熱意と手段 その4
思えばアオイが出て行ったとわかった当初は、落ち込みのあまり心の蓋が閉まっていたから何も考えられなかった。
一度会って話しをしたいと思い立ち、動き出した後には色々と夢中になって落ち着いて考える暇がなかった。
カオリから言われるまでもなく少し考えればわかる事だ。
「あの二人、出掛けてからもう何ヶ月も経つでしょ? それから一度もこっちには戻ってないみたいだけど、いくら学生でも休み過ぎじゃない? 学校、辞めちゃったのかしらね。それとも休学? その辺の事は柳教授が何か知ってるんじゃないの?」
ヒカルは柳教授のゼミ生なだけだが、アオイは院生で柳教授の研究室に所属している。更にアオイとは遠縁にあたり奨学金の保証人にもなっているとの話しだ。癪だが身寄りのないアオイに取っては最も社会的に身近な人物。辞めるにしても休学をするにしても何かしら事情を知っている可能性が高い。
「それにあの二人が行ってた場所だけど、見ていて気が付かなかったかな~。アレ、アオイちゃんの卒論に出てくる場所よ?」
正直それは知らなかった。
アオイとは学生の時から一緒に住んでいたのもあり、互いに勉強を手伝う事が多かった。主にわたしが教わってばかりだったが。その流れでアオイにはわたしの卒論の手伝いをしてもらっていたのだったが、しかしその逆はなかったのだ。一応手伝おうと考えて行動に移したのだったがすぐに諦める。その内容が問題だった。当然ながらアオイの専攻は民俗学になるのだが、鬼やら物の怪やらが沢山出て来て読んでいて気持ちが悪い。怖いのは苦手。手伝いたい気持ちはあったがどうしても無理。
しかし今はそんな事を言っていられない。
カオリとの用事が済んだ翌日の仕事帰りに早速母校へと向かった。
……懐かしい……。
大学へ来たのは卒業以式来だったが、最近まで通っていたのに不思議な感じがする。校舎の中に足を踏み入れるも特に変わった様子はない。なら柳教授も相変わらずだろう。もう御歳だが引退にはまだもう少し間がある。それでもやはり歳のせいなのか授業は昼間に集中させていて、夕方は自分の研究室でゆっくりしているのが常だった。
「失礼します」
「どうぞー」
直接研究室に行くと予想通りに居て一人で本を読んでいた。
「おや? 橘くんかい。珍しいねぇ」
老眼鏡を外して笑い掛けて来る。
「ご無沙汰しています、先生……」
苦笑しながら挨拶を返した。
「……また部屋の中でタバコ吸って……。わたしは構いませんけど、職員の方に見つかると怒られますよ」
「ハハハ、悪い悪い。家だとね、どうしても……」
柳教授は若い頃に伴侶を亡くし、今は息子夫婦と一緒に住んでいる。孫もいて目に入れても痛くない程に可愛がっているのだとの話しをよくしていた。今もその子の事を考えているのだろう。やにさがっている。
「それで、今日はなんだい?」
もちろんアオイの事を聞きに来たのだが、しかしそれをすぐには切り出せなかった。
……変よね……。
そう感じたからだ。
様子がおかしいと言っても、わたしを見て驚いていたり焦ったりして挙動がおかしいのではなく、いたって普通な態度。それが逆に怪しく見えた。
わたしとアオイが付き合っていたのは学校中で有名な話だった。当然柳教授も知っている。更に一緒に住む事も言ってあった。それなのに今わたしと会ってもアオイの事について何も言って来ない。別れる云々は別にしても、立場上アオイが長い事学校を離れているのを知らないはずがないのにだ。これは明らかに様子がおかしい。
「ちょっと、わたしが卒業した代の卒論を見せてもらおうと思いまして……」
アオイの事についてすぐにも話しを聞きたかったが状況が読めないので気味が悪い。後回し。まずはもう一つの目的から取り掛かる事にする。「ああ、構わないよ」許可をもらって早速書庫を漁った。
目的の物はすぐに見つかる。
……うっ……。
しかし覚悟して読み始めたがやはり怖い。鬼を中心に妖怪だかの陰惨な内容だ。学術的なものだとしても勘弁。一人りではとても読めない。例え何を考えているかわからなくても、知っている者が近くにいてくれるだけでも助かった。
なんとか読み進めていくと、アオイの事を調べていた際に目にした地名がチラホラ出て来た。
……え~っと、まずは九州……。
今までアオイが行ったと思われる場所をスマホにメモをして来ている。それと見比べてみると明らかだった。
……間違いない……。
そうとわかると夢中になって読み進める。内容にはなるべく目を逸らして地名だけ拾い上げていく。その内に長野県に入ると、実際に自分で足を運んだ地名が出て来る様になりその時の情景が思い浮んだ。風景やそこで食べた物やお酒等。その内怖いよりも段々と楽しくなって来る。
「橘くん」
「───ッ!」
そこに突然声を掛けられたものだから、驚いて身体がピクッとした。
「な、なんでしょう」
振り向くと橘教授は机に向かったままわたしの事をジッと見つめていた。先程までの優しげな表情は消え去り目が座っている。それを見て思わず息を呑んだ。
「……君がそれを見に来たって事は、能守くんを追い掛ける気かい?」
声も低くなった。その気迫に気圧されて口を開けなくなった。もう既に追い掛けている最中だが変わりはない。代わりに黙って頷くと、わたしを見つめたまま深い溜め息を吐きつつ煙草に火を付けた。
「悪い事は言わないよ。諦めな」
そして紫煙と共に言い放つ。
「な、何をでしょう……」
そう言い返すのがやっとだった。
「追い掛けるのも、能守くんそのものも、だよ」
───ッ!
その真剣な眼差しから冗談で言っているのではない事がわかる。重々しい雰囲気に、以前のわたしなら目を逸らして俯いてしまった事であろうが今は違う。目を逸らさずに見つめ返した。
……そりゃ、確かにわたしとアオイとでは、釣り合わないのはわかっているけど……。
面と向かってそんな事を言われると頭に来る。
幾ら遠縁で近しい者であっても、親でもなんでもないのに大きなお世話だ。わたし達はもう成人しているいい大人。周りにとやかく言われる筋合いはない。当人同士の問題だ。それにまだ本人の口から別れ話を聞いてはいない。このままでは気持ちの整理が付かないのだ。
「それはわたしがアオイに直接あって話しをしてから、わたし達二人で決めます」
部外者は黙ってて下さいと、笑顔で返すが、全く意に介さずに煙草をくゆらせている。暫く睨み合いが続いた。
わたしの一歩も引く気がない意思を感じ取ったのか、諦め顔で口を開いた。
「あの子達とはね、住む世界が違うんだ。不毛だよ」
そんな事はわかっているとの言葉を飲み込み、殊更笑みを深める。
「……ふぅ……。これはだいぶ魅了されてるねぇ……」
諦めたのか、先程までとは打って変わって聞き分けのない子供に言い聞かせる様な優しい口調に変わった。
「そりゃあれだけ人間離れした美しさだ。とても魅力的だろう。まいってしまうのも無理はないがね」
……人間……?
聞き違いでは無さそうだ。日本人離れなら納得だが、流石にそれは言い過ぎではないかと小首を傾げてしまう。それを見て少し驚いた様子になった。
「……まぁ、君達はいつも一緒だったから慣れてしまったのかも知れないが……」
そういう事ではないと思うのだが、まだ話しが続きそうなので黙って聞いた。
「……なら一緒に住んでいたのだから知っているとは思うが、まずはあの見た目だよ。おかしいとは思わなかったかい? 能守くんの透き通る様な白い肌に赤い髪、それと濃い緑の瞳。あれらは天然のものだ」
もちろんそれはよく知っている。
……全身同じ色の毛だもの……。
淡い肌に目が冴える様な真っ赤な毛と、わたしを見つめる深緑の瞳を思い出して恥ずかしくなった。
「斧石くんの場合は、染めたりなんなりしてるからわかりにくいがね、あの子も同じなんだよ」
……アイツの事なんてどうでもいいですよ……。
どうも最近のわたしは、考えている事が表情に出やすくなっているらしい。ヒカルの事を思い出すと憎しみが湧いてくる。それを表に出さない様無表情に努める。その顔が何もわからないと解釈されたか、わたしの事を不思議そう顔で見ている。
「本来人はね、肌の色も含めて色素が薄いか濃いかで髪や目の色が決まるんだよ。絶対にありえない事はないが、あの子達の様に異なる事は稀だ」
全く無い訳でないのならなんの問題があるのだろう。むしろ幻想的で美しいのならば、それはそれでよいのではなかろうか。むしろ美徳だ。
「それだけなら構わないが、あの見た目も手伝ってあの子達が人に好かれる具合は異常だろ?」
確かに老若男女問わず好かれていた。アオイの事を嫌う人には会った事がない。認めたくはないがヒカルもだ。ただし、わたし以外だが。
「今風に言うとフェロモンだね。秋波が常に出てる状態なんだよ。人の欲を刺激するものがね」
それでは虫みたいだと呟いて嫌なそうな顔をしたら、似た様なものだと笑われた。
「ただそれが、本来生物にある繁殖が目的なのではなく、捕食が目的だがね」
途端に声が低くなり、その笑みが不気味なものに感じて喉の奥がヒリッとする。
……この人、何を言ってるんだろ……。
ゴクリと唾を飲み込んだ。同じ人物の話しをしている筈なのに、わたしの知っている者とは異なるモノの話しをしている様にしか思えず気味が悪い。
「……先生、それではまるで、アオイ達が人外の者の様に聞こえますが……」
「だからそう言っているだろ?」
「……はあ」
何をバカな事を言っているのだろうか。もう年齢的にマダラぼけが始まっているのかも知れない。六十代女性でも認知症が始まるのはよく聞く話しだ。
これは相手にしていられないと、サッサと切り上げるべくアオイの卒論を借りて部屋を出て行こうとしたのだったが、その前に止められた。
「お待ち。それを持ち出して追い掛けるのは構わないが忠告はしたからね。無駄に終わるよ」
……ええ、例えそれでも構いません……。
一度会ってちゃんと話しをしなければ気持ちが宙ぶらりんのままだ。このままでいると、いずれまた近い内に何も出来なくなってしまう。その為には会いに行かなければならないのだ。
「ご忠告ありがとうございます。それでは……」
精一杯の笑顔を作って暇の挨拶をして、そのまま退出をしようとしたのだったが、去り際に「……今まで十分楽しんだんだから、それでいいじゃないか……。まだ若いんだし、あんなのじゃなくて新しいのを探せば……」と呟くのが耳に入りカチンと来て思わず振り返ってしまう。
「先生! お言葉ですが、わたしに取ってのアオイはかけがえのない者です! いくら恩師であってもその言葉は聞き捨てなりません!」
怒鳴り付けてしまった。
目上の者に、それもアオイがお世話になっているのにこれは失態だと焦って様子を伺ったのだったが、特に変わった様子はなくそれどころか当然そうに済ました顔をしている。
「そりゃ入れ込む気持ちはわかるよ。それでも言っておきたくてね……」
「なぜ先生がそこまでおっしゃるのですか? これはわたしとアオイの問題です!」
親でもないくせに口を出し過ぎだ。彼女の入れ込み用が異常に感じる。
……ハッ! もしや……先生もアオイの事を……?
そこに年齢なんて関係ない。それだけ魅力的だと言う事だ。
……自分だけのものにしようとしている……?
それなら今アオイが出掛けているのも柳教授の支持の元での可能性が高い。
……ならなんの為に……?
色々と考えが頭に浮かんで来て混乱してしまった。
「……まあ、君になら話してもいいか。あまり騒がられても困るし、目を覚まさせる為にもね。それにもう手遅れだ」
……手遅れ……?
盲目的になっているのは自覚しているが、その後の言葉に疑問を覚え、それについて問おうとしたのだったが続く言葉を聞いて口をつぐんでしまった。
「あたしの亡くなった旦那もね、能守くんたちと同じモノだったんだよ。アレは人の格好をしているが人じゃない。鬼だ」
───ハァ!?
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