第12話 熱意と手段 その1

 長野の山間部を車で走っていると子供の頃に遊んでいた山中が思い出された。風景が似ているのではなく夏が近いこの時期特有のむせ返る様な緑の匂いがそうさせたのだと思う。それは同時に弟が亡くなった時の事も思い出されるので、これはまた心の蓋が重なり始めてしまうのではと危惧したがそうはならなかった。今はむしろ高揚している。


 ……お酒やご飯が美味しいかったからだけではないと思います……。


 そこまで食いしん坊でもあの時の事を忘れる程薄情者でもない。あの光景は今でも心の奥底にずっと残っている。ただ、今は心が満たされているからその負の感情に引き摺られなくなっているだけだ。


 思えばアオイと出会ってからは感情を取り戻して充実した幸福な日々を過ごしていた。身体も含めて……。ある意味刺激的とも言える日々だった。


 ……お恥ずかしい……。


 しかしそれは自発的に行動を起こした結果ではない。受け身でいて与えられていたもの。その事をアオイが出ていった事で初めて気付かされた。しかしその事に不満は感じていない。例えそれに気が付かなくとも、それはそれで幸せに過ごしていたと思う。その気持ちは今でも変わらない。しかし今は事情が異なりアオイはいないのだ。自分一人の力で幸せになっていかなければならなかった。


 そその為自発的に動き出した今も、出かける事が楽しくて夢中になってはいてもアオイの捜索も忘れてはいなかった。やはり一度ちゃんと会って話しをしたい。その気持ちは益々大きくなっている。このままでは気持ちの整理が付かない。今は良くともその内鬱屈が溜まり、それを塞ぐ為の蓋が重なり始めるだろう。だからネットだけに頼らず実地でも頑張っていた。


「……あ、あの……。このオートバイに乗った男女の二人組、どこかで見掛けませんでしたか?」


 意気込んではみたものの、知らない人と話すのは苦手なのは変わらなかった。ましてや声を掛けるなんてとても無理。しかし出先で休憩をしていると向こうからよく声を掛けられる。そんな時、普段なら愛想笑いをして逃げ出す所だが、今はこの機会を逃すまいと勇気を振り絞り出し話しをしていると、その内慣れて来た。何事も実践あるのみだ。


「サァ? 見た事ないな~。それより暑いでしょ? アイスでも食べる? それとも飲み物の方がイイかな?」


 オートバイやわたしと同じ様な車に乗っている男性からよく声を掛けられた。わたしが一人でいるから心配してくれたのだろう。みな親切だ。


 ……ごちそうさまでした……。


「じゃあさ、見かけたら教えるから連絡先の交換しない?」


 ……みなさん協力的なのはとてもありがたいのですが……。


 その後彼等からスマホにメッセージが沢山届くのだったが、肝心のアオイの情報については無くて関係のない事ばかり。


 ……食事や一緒に出掛けないかと誘われても困ります……。


 週末は基本忙しくしておりそんな暇は無かった。誘いは全て丁寧に辞退させてもらう。その返信だけでも大変だ。迂闊に連絡先を交換するものではないと後悔した次第。ただ、忙しいと言っても毎週末に必ず車で遠出をしている訳ではなく車屋のフォレスト・ガレージへ行く事もあった。


 初めて一人で車に乗って出かけた日の後で、その出掛けに見たシンジョウさんの不安そうな顔が気掛かりだったのもあり、無事に戻った報告がてらお土産を持って行ったのだったがそれ以来よく顔を出す様になっている。


「このニーニーはエンジンがケーロクなのでー……」


 機械的な事を言われてもよく分からないが、わたしの乗る車はあまり頑丈なエンジンではないらしく、距離を走る為にはこまめにメンテナンスをする必要があるのだと言われた。古くてボロだから仕方が無い。大事に乗ろう。しかしわたしにそれが出来る訳も無いのでお任せだ。


 そうして何度か店に顔を出している内に、シンジョウさん以外の者とも顔馴染みとなる。その際周りから色々と話しを聞いて教わる事が多かった。

 

 ……この車、四輪駆動だと聞いたから、タイヤが四つとも動いているのだとばかり思っていたけど、普段は違うのね……。


 悪路や雪道を走る時にだけ四駆にするらしく、普段は後ろのタイヤしか動いていないのだと言う事もここで聞いて初めて知った。そしてそれをする為には一度タイヤのレバーを捻る必要があり、更に運転席で切り替える操作をする必要があるのだとか。


「……それはまたずいぶんと面倒なのですね……」


 古い車だからその辺は仕方が無いのだとみな笑っていた。しかしそれが良い面もあるのだとか。そうは言ってもそれはマニアな人達の意見だと思う。一般人には便利な方が大事。


「ハハハ! でも橘さんもだいぶハマっているように見えますよ?」

「そうですか?」

「だって、今度林道にも行くんですよね? でも一人でか……ちょっと心配ですね……」


 アオイの行き先は山の中が多い。出来ればそこに入る前に捕まえたいと考えていたが、いざ情報が入ればわたしも山の中でも入り追い掛けるつもりでいた。しかしいくら車が大丈夫だとしても運転するのはわたし。

 

「なら、ジムニーの乗り方を覚える為にも、一度走行会に参加してみませんか? 色々と勉強になりますよ? そうそう、丁度今度の週末に……」


 車で山を駆け回るのが大好きな社長のナカムラから走行会に誘われた。


「う〜ん……」


 最近では随分と外交的になってはいても流石に躊躇する。何せこの店で見掛ける客は男性ばかりだ。


「あ、私の妻も行きますし、他にも家族で来るのがいますから、大丈夫ですよ」


 ならものは試しと参加する事にした。それでも前日からの前乗りでキャンプするのは遠慮して、当日早起きをして直接向かったのだったが、着いた早々後悔し始める。


 ……キャンプ道具が無いからよしたけど、前の日から行かなくて正解だったかも……。


 その場所は山一つ丸ごと管理されてオフロードのコースになっていた。贅沢な大人の遊び場だ。キャンプが出来る場も併設されていたのだったが前乗り組はそこに居た。


 社長や従業員、店に来る客層を見ていてある程度は覚悟をしていたが、思っていた以上の人種の集まりだった。夜遅くまで飲んで騒いでいたのだろうと思わせる宴の跡に人の屍が累々。


「あ……橘さん……。おはようございます……」

「おはようございます、社長さん……」


 思わず顔が熱くなる。


 ……いくら暑いからと言っても、せめて上着か何かは羽織って下さいよ……。


 最近はマシになってきたとは言え所詮わたしは隠の者。そうでない者もいる様だったがこんな陽キャばかりいる集団の中でやっていけるのか不安になってしまう。来たばかりだが帰ろうかと思ったほどだ。しかしそんな心配も最初の内だけだった。


「あ、コースに入る前には、タイヤの空気を少し抜いた方がいいですよ」

「え? 抜く? 入れるのではなく?」

「そうするとタイヤが潰れて設置面積が広くなるから登りやすくなるんですよ」

「はぁー」

「どれ、おじさんがやってあげますよ。ゲージ持ってきてるんで。エアーもありますから帰りに入れ直してあげます」

「ありがとうございます!」


 どうもこれは初歩的な事だったらしい。周りを見るとわたし以外の者はみな普通にやっていた。わたしが初心者丸出しだったからだろう。ここでもみな親切にしてくれた。


「あ、ハンドルはもう少し左に切って。アクセルは弱めでクラッチは完全に切らず半クラをキープして下さい」

「ハ、ハイッ!」


 そしてコース内に入れば、道が荒れている状況での運転の仕方を丁寧に指導してくれる。


「あ〜スタックしちゃいましたね。ちょっと待ってて下さい」

「ありがとうございます。それは何ですか?」

「ハイリ、ハイリフトジャッキっていいます。これをこうして……」


 下手なのですぐに嵌って車が動かなくなってしまっていたが、すぐに助けに来てくれるので安心して走る事が出来た。ここでレスキューの為の色々な道具があるのを知った。確かに色々と勉強になる。


 ……でも、手助けしてくれるのが、誘ってくれた主催者の人ではないのよね……。


 いざ走行会が始まったが、社長以下前乗り組は昨晩のお酒が残っている様で潰れて休憩中。そんな中、下っ端なのだろう一番若い従業員のスナガワだと言う者が一人で忙しそうにしていた。その為わたしは同じ参加者達に世話を焼いてもらっていたのだった。

 

「ん〜。このタイヤだと、あっちのコースは厳しいですね〜」

「え?」

「下擦っちゃいますよ。タンクガードはあるけどデフガードは無い様ですし」

「はぁ……」

「タイヤは捌けるなら大きいに越したことないですよ。これならナナヒャクとかロクハンが入りませんかね?」

「これってコイルでしょ? ナンインチ?」

「いや、その前にスタビでしょ。取りましょうよ」

「そうそう、丁度ウチにホイール付きで余ってるタイヤがありますから……」


 ……???


 暫くするといつの間にかみんなに囲まれて、何やら談義が始まってしまったのだが何を言っているのかサッパリだ。


「今度お店に持っていくからやってあげますよ。オーイ! ナカムラー! いーだろー!?」


 社長のナカムラが力無く手を上げて頷いている。苦笑いしている所を見るに店の経営的にはあまりよくない事なのかも知れない。


 ……申し訳ありません……。


 しかし参加者と主催者側の力関係が今一つよく分からなかった。どうも店の客であっても友達や先輩後輩みたいな関係の者が多い様に思える。みな仲が良い。


「みなさーん! お昼はバーベキューですよー!」

『オーッ‼︎』


 お昼になると社長達も元気を取り戻し、率先して用意し始めた。この為にこのへ来たのかと思わせる程に張り切っている。


「さ、橘さんもどうぞ! コッチ焼けてます!」

「あ、ありがとうございます」


 しかしどうもこのノリにはついていけない。大勢で食事をするのが苦手だと言うのもあるが、真昼間なのにお酒に手を伸ばす者までいる。


 わたしの様に一人で来ている者も多かったが、「帰りは免許取ったばかりの息子に任せるから大丈夫!」とピールを飲んでいる赤ら顔のお父さんもいれば、「彼、下戸なのよ」と楽しそうにサワーを開けている年齢不詳の女性もいたりする。家族や恋人同士で来ている者も少なくなかった。そしてみな一様に楽しそうにしている。


 ……いいなぁ……。


 その様子を見ていると、この場にアオイがいれば良かったのにと思わさせられてしまい少し胸が痛む。それでもみな良い人達ばかりだったのもあり、全体的には楽しめて満足だった。


 ……帰りに買ったお酒やお土産、美味しかったです……。


 その後も何度か走行会に参加する様になったのだったが、その都度「コレ、余ってるからあげるよ」「コレが便利だよ」と、周りの人からアドバイスや実際に物を貰ったりして、気が付けばわたしも車もパワーアップ! 今や一端のジムニー乗りになった。


 ……みなさまのご好意に感謝します……。

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