第11話 向上心のある女 その2
「藤掛くん。橘くんの事なんだが、何か聞いていないかな」
「……いえ、何も……」
「そうか。困ったね……」
「はい……」
本当に困りました。橘さん、一体どうしたのでしょう?
……このままでは私の査定が……。
課長の目を直視出来ませんでした。この時期は自分事だけでも大変ですのに他人事とまでともなると頭を抱えてしまいます。
……ふぅ……。
ため息しか出て来ません。
年度が変わり、部署内は移動して行く者来る者と顔ぶれの変化が多少ありましたが、変わらない者もいます。私もそうですが橘さんも残りました。新人は入って来ませんでしたから、また橘さんが一番の若手ですね。
……もちろん私もまだまだ若いですよ?
人の移動に合わせてこの時期はどうしても忙しくなります。私も日々慌しくしていました。それで目を配りきれず彼女の変化に気が付かなかったのだと思います。
……おっと、これは言い訳ですね。先輩としてしっかりせねばいけません!
元々覇気のある子ではありませんでしたが、気がついた時にはかなり陰鬱としていました。
……一年も経ってから五月病とも思えないのですが……。
もしや恋人と別れでもしたのでしょうか? そのショックで? だとしたらいい気味……。おっとそんな事を考えてはダメですね。反省反省。しかし流石に当人に直接聞く訳にもいきません。どうしましょうか? そうこうしている内に彼女は体調不良を理由に休みがちになってしまったのです。
……困りました……。
別段彼女には責任のある仕事を任せている訳ではありません。そこは他の者がカバーをすれば仕事は回ります。とは言え彼女も部署内の頭数に入っているのですから、やはり一人掛けてしまうとその分皺寄せが来てしまい、みな大変になるのには変わりません。それに私の評価が……。
───これは放ってはおけません!
課長に言われたからだけではありませんが、他の部署に居る彼女の同期を捕まえるとそれとなく何か知らないかと聞いて回ってみる事にしました。しかし「……あまり話さないので……」「あぁ、そんなコいましたね。同期だったんですか?」概ねそんな反応ばかりです。成果はありませんでした。
……やはりこれは食事にでも誘って、直接私がお話しを聞いた方が良いのでしょうか……?
しかし今は何かとコンプライアンスがうるさく言われているご時世です。特に最近の若い者は上の者から声を掛けられるのを厭うと聞きます。これは迂闊に声を掛けられません。
───私もまだまだ若手ですけれどもね!
そんなヤキモキをする日々を過ごしていたのですが、ある日突然それは杞憂に終わりました。週明けに出て来た彼女の顔がとても晴々としていたのです。
……ん?
それでも普通の人よりはまだ暗い感じがしています。普段から彼女を見ている者にしかわからない僅かな変化でしたが、明らかにその日から明るくなっていきました。
その変わり様には、初めの内は躁鬱の躁状態なのではと心配をした程です。しかし週を追う毎に元気になっていくのでした。これには目を見張りました。そして以前よりもテキパキと仕事をこなしてつまらないミスもしなくなります。窓口に立っても以前の様にオドオドした様子は無くなり、ハキハキと対応しているではないですか。これには私だけでなく部署内の者全員が驚いたものです。
「藤掛くん、よくやってくれたね」
「い、いえ……」
お褒めの言葉を頂けるのは嬉しいのですが、しかし私は全く関与していません。これにはモヤモヤとしてしまいます。しかしそれを解消する為にはやはり直接本人に聞くしかありません。どうしたものか……。
ですが今の彼女は以前とは違います。嫌なら嫌でキッパリ拒否をしてくれるでしょう。後々問題にはならないかと思います。
……変に訴えないで下さいね?
「橘さん、今度仕事を終えたら一緒にお食事でもいかがですか?」
「え? 良いんですか? ぜひ!」
気を病む必要は全くありませんでした。相変わらず素直で良い子ですね。
……しかし、人は見かけによらないものですよね……。
彼女がこんなにもお酒が強いとは思ってもみませんでした。
……こんな小さな体の一体どこに入っていくのやら……ザルとは彼女の様な者の事を言うのですね……。
おっと失礼。しかしいくら飲んでも顔色一つ変わりません。このままでは私が先に潰れてしまいそう。しかし先輩としてそんな醜態を見せる事だけは避けねばなりません。それにお酒を飲ませて口の滑りを良くさせようと考えていたこの計画が破綻してしまいます。
「……た、橘さん……ちょっとお聞きしたい事があるのですが……」
「はい。何でしょう?」
聞けばすぐに話してくれました。こんな事ならわざわざ飲みの場を用意せずにお昼休みにでも聞けば良かったと、今朝起きて重くなった頭を抱えながら後悔しています。
……ウップ……。
しかし今日は休みだからと言っても頑張って起きなければいけません。何せこれからうちに橘さんがやって来るのですから。
聞けば最近彼女が元気になった理由は、ドライブが趣味になったからの様でした。
……見た目に反して、思ったよりもアクティブだったのですね……。
失礼。ですが何かしら趣味を持つ事は良いと思いますよ。気の持ちようが変わってきて普段の生活にハリが出て来ます。私は流行りものばかりを追い掛けていますから、人様に話せる様なこれと言った趣味はありません。羨ましく思いますね。しかしそれはそれで追い掛けている時は心が満たされて充足した日々を送っているものです。何れにしても楽しむと言う事は大切な事だと思いますよ。
……ただその気持ちが終わってしまうと、色々と持て余す事になって困るのですよね……。
私も昨今のアウトドアブームに乗って色々とやりました。その時はとても楽しかったのですが、しかし今はその時のギアが沢山残っていて困っているのです。何せ一つ一つが嵩張りますから場所を取るのですがただ捨てるには忍びなく、リサイクルショップへ持って行こうにも車は持っていません。レンタカーを借りるまでの気力はありませんし、それを頼める者もいません。かと言ってネットで一つ一つ処分する暇も無いのです。
……助かりましたね……。
「え!? 全部譲って頂けるのですか?」
「ええ。もう使いませんから宜しければどうぞ」
「ありがとうございます!」
中には買ったはいいのですが手付かずの新品もあります。お買い得だと思いますよ? お店に売るよりも少々高めの金額を提示したのは秘密です。しかしあまりにも喜んだその顔を見てしまうと少し胸が痛みました。
……お互いに満足するのであれば、問題は無いと思いますよ……。
自己弁護をしていても昨晩の事を思うと少し胸がチクッとして来ますが、今はそれに拘っている暇はありません。そろそろ着くのだと連絡がありました。外に出て迎えなければいけませんね。
……確か彼女の乗る車はジムニーだと言っていましたね……。
それなら知っています。角ばっていて可愛らしいですから女性にも人気ですよね。アウトドアブームも手伝って最近は街中でもよく見掛けます。
……しかし、あの車にはあまり良い思い出がないのですよね……。
以前知り合った男の方がそれに乗っていました。一緒にそれでキャンプへも行ったりした仲でしたが結局破談しています。
……顔も年収も良かったのですが、極度のマザコンな上にあんなオレ様では……。
そんな方は勘弁願いたく思います。無理です。関係が無いのは頭ではわかってはいても、ジムニーと聞くとそのお別れをした方を思い出してしまいます。
……しかし、中々良い出会いがありません……。
無駄に歳を重ねるばかりです。ですが昨晩に憂いが一つ消え、これで少し心に余裕が生まれて来ました。それに今日は多少まとまったお金が入って来る予定なのです。それらを糧にして気持ちを入れ替え新たな出会いを求める為に頑張りましょう!
「あ! 藤掛さん〜! 昨日はごちそうさまでしたー! 今日はよろしくお願いしま〜す!」
───ッ‼︎ た、橘さん!?
出会ってすぐに驚きのあまりみっともなくも大きく目を剥いたまま固まってしまいました。
「……ず、随分とその……色々と……個性的なのですね……」
そう言うのがやっとです。
「あ、コレですか? 荷物を運ぶので動きやすい格好で来ました! と言っても、最近休日はいつもこんな格好なんですよね。エヘへ……」
普段の彼女は目立たない大人し目な格好をしています。それはウチの職場に適切な服装だとも言えましょう。私も似た様なものですが。しかし性格が明るくなった今もその地味な服装は変わっていませんでしたから、私服も似た様なものなのかと思っていたのですが違いました。今の彼女は汚れが目立つ作業用のツナギ姿。そしてオーバーサイズな為に裾を捲っています。
私が凝視しているとはにかみながら「見た目はともかく意外に便利なのですよ。これは恋人の物を勝手に拝借して着ているのですけどね」等とのたまいました。
……羨ましい……。
おっと、危うく本音が漏れる所でした。顔にも出ていませんよね? 気を付けましょう。
「そ、そうですか。お似合いですね……」
「ありがとうございます!」
……妬ましい……。
若い時分は彼氏の趣味の影響を受けて突飛な格好をする娘がいるのはよく聞く話しですし、実際見てきました。私も例外ではありません。ですから驚きはしましたがそれは理解は出来るのです。
……しかしそのイカつい車は一体なんなのですか? 最近は明るくなって可愛らしさが増して来ているアナタとはギャップがあり過ぎやしませんか?
確かジムニーと聞きましたが、私の知っている物とは違う物に見えました。
「あ、この車ですか? ちょっと古くてボロですよね。お恥ずかしい……」
……ちょっと……?
確かに古臭そうです。失礼。しかしボロだと言うよりもキズや凹みが多くてボコボコではないですか。泥の汚れもついたまま。とても若い娘が喜んで乗るものには見えません。
……こんな車に乗るのでしたらその格好も納得ですが……。
恥ずかしがっている点が違やしませんかね?
まずそのタイヤですが、ずいぶんと大きくてゴツゴツしています。それ一つだけでもアナタより重いのではありませんか? それに何か変な物が外に沢山付いてますが一体何に使うのでしょう? それ運転中に落ちたりしません? それにしても随分と背が高い車です。降りて来る時大変そうにしていましたが、そんな事でちゃんと運転出来るのでしょうか。見ていて心配になって来ます。
……それにしてもその大きな音は一体何なんでしょうか……?
彼女の車が見える前から辺り中に野太い音が響き、一体何がやって来るのかと不安でした。
「そ、そうですか……。コレに乗ってよくドライブをしていると……。しかし……大丈夫なのですか?」
「はい! 問題ありません! このコは古くて乗り心地も悪いですし、色々と不便な所はありますけど、ドコでも行けて頼もしいんですよ? わたし気に入ってるんです! それにカワイイでしょ?」
……そんな事を聞いたのではないですが……。
しかしキラキラとしたその目を見てしまうと何も言えません。
「そ、そうねですね……。見ようによってはかわいらしい……かもしれないですね……」
「ですよね!」
……ウッ……。
その臆面も無い笑顔を見ていると腹部に差し込みを感じて来ました。どうやら不安が解消されたどころか酷くなってしまった様子です。
……私、何か間違っていたのでしょうか……。
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