第5話 別れと出会い その4

 ある時期から、アオイとはいずれ近い内に別れてしまう事になるかも知れないと薄々感じていた。もちろん共白髪になるまで一緒居られるならばそれに越した事はなくむしろそれを望んでいたのだったが。しかしわたしとアオイとでは不律合いなのは変えようもない事実。見た目からしてもそうだが性格も違う。しかしそんなものは年月が解決してくれるだろうと気にしていなかった。しかしそんな事以外に決定的な理由がある。それは大学時代、四学年に上がった時の事だった。


 アオイは見かけに寄らず勉強熱心で、アルバイトやら遊びにと忙しそうにしていても講義は真面目に出ており、更には一学年から文化系のサークルにも所属していた。わたしなんかと比べてよっぽど大学生らしい生活を送っていたと思う。それは本人のやる気もさることながら、この大学に在籍している柳教授の存在が大きかったと思う。


 柳教授は文学部国文学の日本文学科に席を置き、伝承・説話等が専門の民俗学寄りの先生なのだが、国文学の一般的な講義も持っていた事からわたしも取っていた事があり知っていた。この年配の先生はアオイとは遠縁にあたるらしく、アオイがここに入学するにあたって奨学金の保証人になってくれていたりと色々とお世話になっていたそうだ。それがあるからなのか柳教授が顧問をする民俗学サークルに在籍していた。わたしも一度そのサークルに誘われて行ってみた事があったが、意外にも真っ当なサークル活動をしている所だったので、興味本位なわたしではとてもついて行けず、家の事もしなければならないのもあった為に遠慮させてもらう。その代わりと言っては何だが、三学年からのゼミは柳教授の元へアオイと共に入った。


 幸いゼミは柳教授の守備範囲だったら何でも構わなかいとの事なので、わたしは今までの反動からか上代文学の万葉集を選択した。格別歌が好きな訳では無かったが、感情が戻った事で色々なものを感じ入る事が出来る様になったからか、心の内の心情に興味を持ち、美しく感情豊かなものを読む事で心を更に洗いたかったのかも知れない。恋歌が中心となった。 


 柳教授はその見た目通りのおっとりとしている物腰の柔らかなおばあちゃん先生で祖母とは正反対。高圧的な所が無かった事もあり生徒達からは慕われていた。ただ、わたしは特に気にならなかったが喫煙者だった為に生徒によっては文字通り煙たがる者もいた。その為かゼミはあまり盛況とは言えなかったが、わたしにはそこで親友とは言えないまでも友達が出来たりとそれなりに充足している場所だった。しかしそれは四学年に上がるまでの間だけの事だった。


「あ、アオイさーん!」

「え!? ヒカル?」


 突如として現れた斧石光によって、アオイとわたしとの間に影が落とされる。






 ヒカルと初めて見た時「え? きょうだい?」と思わず叫んでしまった。


 アオイと瓜二つな訳では無かったが、顔のつくりだとか全体的な雰囲気がとても似ていたからだ。聞けば多少は血縁関係があるらしく幼い頃から知っている仲だとか。親類の所を厄介になっている時に知り合っていたそうだ。そして今回アオイと同じく縁のある柳教授の口利きで他の学校から三学年に編入して来たとの事。わたし達の後輩だ。正直あまり勉強に熱心な方には見えなかったが、誰かさんみたくそうでもないのかも知れない。しかしアオイも大体だがヒカルはそれに輪をかけてチャラくて無遠慮。


 知らない場所で気心の知れた者がいるのだから親しげに寄って来るのは仕方が無いとは思うが、恋人関係にある者に対しての付き合い方にはある程度の不文律があるものだ。わたし自身はそうとなってから、周りの態度でそれを学んで来た身なので大きな事は言えないが、他の学生達はそれを踏まえて、わたし達とは適切な距離感で付き合っていた。しかしヒカルにはそれが無かった。更には時々わたしを見る目が怖いのもあり、あまり好ましい人物には思えなかった。


 アオイもアオイだった。ヒカルが来てからと言うもの、校内ではわたしを差し置いて二人でいる事が多くなる。


 ……まぁ、家にいる時は存分に愛してくれていたけれども……。


 あの時は、自分にも嫉妬する感情が湧くのだと変に感心したものだ。もちろんヒカリを疎ましく感じる心情の方が大きかったのだが。





 四学年ともなれば、その後の進路が固まっている時期になる。アオイは就職をせずに大学へ残り院に進む。これは別にヒカルが来たから学校に残るのでは無く元々の予定だった。いずれはその道に進みたいとも話していた。それがあったからだけでは無いが、わたしは将来的にアオイを支える事も視野に入れて公務員への道を志す。その為の勉強と卒論に忙しく、四年時はバタバタと過ごす事となる。しかしそう言った時に限って色々と重なるもので、特に大きな事が起きてしまうのはなぜなのだろうか。


 祖母が夏の終わりから体調を崩し始める。そして「……この家の名義は柚木に移したよ。わずかだが資産も残した。卒業までは待つだろうさ。……後はアオイと二人、仲良く楽しくやってきな……」とだけ言い残し、わたしの合格発表を聞いたその秋に幸せそうな顔をして亡くなってしまう。


 祖母が倒れたと父に連絡を取ったのだが、わたしに任せるとだけで電話を切られた。その後も弔電一つ寄越さない。結局わたしが喪主となり、ご近所さんとアオイと共に簡単な葬儀を行う。その後も納骨やら諸々の片付けで奔走し、落ち着いた頃には卒業だった。そして入職し新しい環境に戸惑いまた忙しくなる。そうなると環境の変化の少ないアオイとは生活がすれ違い始めた。しかしそれでも互いの気持ちが通じ合っているのは変わらなく、互いを思いやる事で上手くいっていたと思う。しかしそう思っていたのはわたしだけだったのだろうか。


 ……でも、夜の生活も変わりなかったし……。


 変化と言えば、祖母の一周忌を過ぎた辺りからアオイは学校の方が忙しくなったと、たまに大学へ泊まり込む様になる。


「なんでそんなに忙しいの?」

「いや〜、柳先生の手伝いや、ゼミ生の指導がね……」

「ふ〜ん」


 わたしも最近まで在籍していたのだから知っている。あの研究室で何が忙しい事があるのかと訝しく思ったのだったが、そんな事を考えるのは自分が狭量なせいだ。アオイに対して悪いと考えて気にしない事にした。無意識に蓋が動きそうになったの察知して恐れたのもあるのだろう。それに、その後に控えていたクリスマスや年末年始といったイベント事を、前年は祖母の事があって出来なかったので気合を入れて楽しく過ごせたからというのもあったかも知れない。


 ……わたしって単純よね……。


 近年まで感情を失っていものだから、人の機微に疎いのは自覚している。こんなわたしを欺くのはさぞ簡単だった事だろう。それを思うと胸が苦しくなる。その結果がこのザマだ。


 しかしアオイの事は心の底から恨む事は出来なかった。今のわたしがあるのもアオイのお陰だ。それが無ければこの感情も湧いて来なかった。それにアオイが幸せならばそれで……。だとしてもわたしはどうなるの? 悪いのは誰? 何? 何故? 未だ悶々とする日々を過ごしている。


  ……あまり考え込んではダメ……。


 今も毎日ちゃんと仕事には行けている。ただミスが目立つ様になり、注意をされる回数も増えた。それに生活習慣も悪くなっているのを自覚している。このままではいけない。心か身体か、若しくはその両方が壊れてしまうのは明白だ。


  ……なら、もういっその事……。


 全てを消し去る決心をした。


 思い出が詰まっているこの家ごと全て処分してしまおう。心機一転だ。そうすれば気も晴れる。そして職場の近くに引っ越すのも良いかも知れない。今はそれなりに通勤時間が掛かっている。正直満員電車は苦手だ。通勤が楽になれば仕事にも身が入るだろう。良い事ばかり。


 ……じゃあ、先ずはアレを……。


 引越し資金を作るにも丁度良いと、最初に一番大きくて邪魔な、思い出深い車から処分する事に決めた。

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