第7話 憂鬱な対戦相手

 雛は次の試合に向け、気持ちを落ち着けるために休憩所へ向かった。


 大きなテントの下には、机とベンチが並べられ、机の上には給水機が設置されている。

 用意されているコップに水を汲み、雛はそれを一気に飲み干した。


 そのとき、雛の隣に一人の青年が現れた。


 彼も給水機から水を汲み、勢いよく水を飲み干した。

 雛が見つめていると、青年の瞳もこちらを向き、目が合った。


「どうも……」


 雛が挨拶すると、彼も柔らかい笑顔で挨拶を返してくれる。


「どうも……。あの、もしかして次の試合の方ですか?」

「はい、そうです。……あなたも?」

「はい。お互い頑張りましょうね」


 その青年はとても穏やかで優しそうな、いかにも好青年という雰囲気をかもし出している。


 まだ試合まで時間があるので、二人は近くのベンチに座り時間をつぶすことにした。


「あの、一つお尋ねしてもいいですか。なんで参加しようと思ったんですか?」


 他の参加者があまりにもお金目的などが多かったため、雛は単純に興味が湧き聞いてみた。


「お恥ずかしいのですが、お金のためです。僕の母が病気で、その治療費を稼ぐために。

 父はもう他界していて、弟たちはまだ小さいですし、僕が何とかするしかないんです」


 お金のためと言っても、この理由に、雛は何の嫌な感情も湧いてこなかった。

 それどころか、彼を応援したくなってしまった。


「そうなんですね……。あなたのような方が、むくわれる世の中にならなければいけない。私はそんな世をつくりたいと思って、ここへ来ました。

 お互いベストを尽くして頑張りましょう」


 雛が握手を求めると、彼もこころよくその手を取った。


「ところで、あなたのお名前は?」


 雛が笑顔で尋ねると、彼も笑顔で答える。


須田すだ健一けんいちです」


 その名前を聞いた途端、雛は固まった。

 雛が青ざめていくのを不思議そうに須田は見つめる。


「どうしたんですか? ……まさかっ」


 須田もその考えに行きついたようで、顔が引きつっていく。


 雛が須田を見つめながら、ゆっくりと頷いた。


「次の対戦相手……私です」

「えーーーーーっ!」


 須田の叫び声が辺りに響き渡った。





 試合会場へと向かう雛の足取りは重かった。


 先ほど知り合った彼は、自分の対戦相手だったのだ。

 これから戦う相手と仲良く話し、さらに身の上話まで聞いて、須田のことを人間として好きになってしまった。


 こんな気持ちのまま、須田と本気で戦えるのだろうか。

 雛は深く重いため息をついた。


「どうした」


 急に目の前に現れた神威が雛を見つめてくる。


「か、神威さん。いえ、何でも……」


 雛が何かを隠していることに気づいた神威は、淡々と聞いた。


「言ってみろ、聞いてやる」


 神威には全て見透かされているように思え、観念した雛は正直に話してスッキリしたくなった。


 先ほど出会った須田のことを神威に打ち明ける。


「彼を応援したい気持ちが、どうしても消えなくて。

 私が勝ってしまったら彼の家族は……と思うと、本気で戦えるのか不安に感じてしまって」


 目を伏せる雛を神威は真剣な眼差しで見つめる。


「君の目指すものはその程度だったのか? ここに来たのには何か訳があるのだろう。

 その目標を成し遂げるために、君はここへ来たのではないのか」


 雛ははっとして、大きな目で神威を見た。


 そうだ、父を裏切ってまで自分の夢を叶えたくてここへやってきた。

 それはちょっとやそっとで折れるものではない。

 どんなことがあろうとやり遂げる決心のもと、ここへ来たんだ。


 神威の言葉で闘争心に火がついた雛の瞳に光が宿やどる。


「そうですよね……私は人々のために、自分の力を使いたくてここへ来ました。

 その夢だけは決してあきらめるわけにはいかないんです。

 ……それに、情けをかけるなんて須田さんにも失礼ですよね、本気の相手には本気でぶつからないと」


 雛の瞳に輝きが戻ってきた。

 それを見た神威が柔らかな笑みを見せる。


「神威さん、ありがとうございます!」


 雛が笑顔を向けると、神威は真顔になり顔を背けた。


「別に。つまらないことを言ってるから、当たり前のことを言ったまでだ」


 そう言うと、雛に背を向け歩き出す。が、途中で止まると振り返り、


「試合、頑張れよ」


 とぶっきらぼうに言って、去っていく。


 雛は神威の背に向かって、大きな声で叫ぶ。


「はい!」




 そこから少し離れた場所で、拗ねた表情の宇随がその様子を眺めていた。


「神威の奴……まーた、いいとこ取りやがって」


 宇随は自分の頬を両手で叩き、無理やり笑顔を作ると雛のもとへ駆けていった。

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