僕は今、サンドロテイム王国に帰国する前に会っておくべきだと思った一人目の人物の屋敷。

 ────セレスティーネ公爵家前までやって来ていた。

 突然だったから、もしかしたらセレスティーネが屋敷に居ない可能性もあったけど、門兵の人が確認を取ると言って屋敷の中に走って行ったためその心配は無さそうだ。

 程無くして、門兵が戻ってくると、その後ろから。


「ルーク様、ようこそおいでくださいました」


 相変わらず綺麗なピンク色の髪で、優しい表情をしているセレスティーネが出てきた。


「いきなりですみません、今少しの間だけ不都合無いですか?」

「はい、元より、以前お伝えした通りルーク様でしたらいつでも歓迎致しますので……少しと言わず、長い間でも構いませんよ」

「……ありがとうございます」


 長い時間するような話では無いけど、ひとまずセレスティーネの方が時間に余裕があることを知れたため、安心して話すことができる。

 それから、二人で門から屋敷内へ向けて歩いていると、セレスティーネが話しかけてきた。


「ルーク様……私と最後に会ったあの時から、大事はありませんでしたか?」


 セレスティーネと最後にあったのは、僕がセシフェリアによって三度目のお仕置きなるものを受け。

 あと少しで僕の貞操が危うかったところを、セレスティーネとレイラが部屋に入って来てくれたおかげで助かった時だ。


「はい……幸い、セシフェリアさんはあの時のことで、僕がセシフェリアさんから逃げたことに対する罰は十分だと考えてくださったようなので、あれからは何もされていません」


 僕が答えると、セレスティーネは胸を撫で下ろして。


「そうだったのですね、心より安心致しました……ここ数日、そのことだけが気掛かりでしたので」

「……」


 やっぱり、こんなに僕のことを心配してくれているセレスティーネに黙って帰国するなんてことは出来ないから、今日は来て正解だった。

 道中セレスティーネと軽く話したことでその決意を固めていると、そのまま僕たちは屋敷内に入り、いつも通り客室に入った。

 そして、互いに対になるようにソファに座ると、セレスティーネが金銭の入った綺麗な箱を差し出して言った。


「では、こちらからお好きなだけお取りください」


 今までだったら、ポケットに入る最大額である十万ゴールドを取り出しているところ。

 ……だけど。

 僕は、右手を前に押し出して言う。


「すみません、今日はお金を受け取りに来たわけじゃ無いんです」

「そうなのですか……?」


 金銭の入った綺麗な箱から手を離して首を傾げたセレスティーネに対し、僕は頷いて言う。


「はい……今日は、セレスティーネさんに一つ伝えたいことがあってこちらに来ました」


 先ほどまでは穏やかな表情を浮かべていたセレスティーネも、僕の真剣さが伝わったのか、表情を引き締めて言う。


「そうですか……では、お聞かせください」


 聞く準備が整ったという様子のセレスティーネに対し、僕は少しだけ間を空けてからハッキリと言った。


「数日後……僕は、このエレノアード帝国を去ります」

「っ!?」


 伝えたいことと言われて咄嗟に色々と想像したと思うけど、まさかそれがこのエレノアード帝国から去ることだとは思いもしなかったのか。

 セレスティーネは驚いたように目を見開くと、続けて言った。


「エレノアード帝国から去る、とは……一体、どういうことなのですか?」


 本来、奴隷の身でそんなことができるはずもないため、驚くのも無理はない。

 そして、そのことを説明するためには、僕の素性もセレスティーネに伝えないといけない。

 今までならそんなことは絶対に出来なかったけど、どうせもうヴァレンフォードにバレてしまっているし。

 加えて、セレスティーネならそれを悪用することも無いだろうから、そういう意味でも話しても問題は無いだろう。


「実は、僕は……ただの奴隷というわけでは無くて、自らの意思で奴隷になったんです────全ては、このエレノアード帝国に潜入して情報を集め、エレノアード帝国の戦争継続を停止させる、もしくはエレノアード帝国を打倒するために」

「っ……!そういう、ことだったのですね……ルーク様から他の奴隷の方々とは違う異質な雰囲気が放たれている理由に、これで得心が行きました」


 驚いた様子でありながらも、少しずつ飲み込んで納得したように頷くセレスティーネ。

 ……ここで別れの挨拶を告げれば、礼儀としては十分────だけど。

 僕にはまだしないといけないことが残っているため、そのための言葉をどうにか絞り出して喉から押し出す。


「だから……セレスティーネ、僕はあなたを利用していただけなんだ」


 今はもう何も取り繕っていないことを表すように、僕は敬称を使うことと敬語を使うことをやめる。


「……利用、ですか?」


 セレスティーネは、そのことに対して特に何も驚いた様子はなく。

 ただ言葉の意味を聞き返してきたため、僕はその問いに答える。


「あぁ……奴隷に対して優しいあなたは、今は奴隷の立場である僕にとってとても都合の良い相手だと思った」

「……」

「現に、あなたのおかげでお金面や情報面でもたくさん助かったことがあった……今まで僕があなたにして来たことは、全てそれらを得るためだったと言って良い」


 全て。

 セレスティーネの奴隷制度撤廃に関する信念を聞いたことも。

 目の前の絶望的な現実に、享楽に走ろうとしたセレスティーネに掛けた言葉も。

 セレスティーネがあらゆる境遇に置かれている人たちを、このエレノアード帝国で一つの志のもとに団結させていることに感動したと言ったことも。

 全ては、セレスティーネを利用するため。

 僕は、ソファから立ち上がると、セレスティーネのことを見下ろして言った。


「それがわかったら、もう僕のことなんて早いうちに忘れた方がいい……覚えていたって何も良いことはないから」


 そして、セレスティーネに背を向けると、僕はこの客室のドアに向けて足を進める。

 自分の目的のためだけに、シャルロット・セレスティーネという人間のお金から情報、心に至るまでの全てを利用し尽くした最低の人間として。

 でも、これで良いんだ。

 これから少しの間、セレスティーネは信じていた僕に裏切られていたんだということに傷心してしまうかも知れないけど。

 その傷が癒えた頃には、奴隷として自らを偽っていた僕なんかのことは忘れて、その優しさ溢れる愛情をいつか来たる本当に向けるべき相手に向けることができるだろう。

 そのまま、僕はこの客室のドアノブに手を掛けようとした……その時。

 突然、後ろから抱きしめられ、甘い香りが香ったかと思えば────


「いけませんよ、ルーク様……のであれば、もっと冷淡でなくては────もっとも、例え表面上どのような振る舞いを取られたとしても、私が初めて愛を抱いた男性であるあなたの優しき心を私が見失うようなことは、絶対に起き得ませんが」

「っ……!」


 優しい声でそう言われた瞬間……僕は、今自分が吐いた言葉によって感じていた胸の痛みが和らいでいくのを感じると同時に────後ろを振り向くと、思わずセレスティーネのことを抱きしめてしまっていた。


「酷いことをたくさん言ってしまって、すみませんでした」


 そして謝罪の言葉を口にすると、セレスティーネはそんな僕のことを見て、優しく微笑んで。


「はい、それが、あなたというお方であり────私はそんなあなたのことを、愛しています」


 そう言うと、セレスティーネは改めて僕のことを優しく抱きしめ返してきた。

 ……今まで偽っていたものが全て取り払われたことで。

 初めて────本当の意味で、セレスティーネと心を通わせることができたような気がした。

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