約束
セシフェリアとヴァレンフォード。
その二人が互い剣を斬り結んでくれていたことで、先ほどの寝室から出ることはできた。
が、そう簡単に逃げられるわけもなく。
「ルークくん!」
僕がレイラのことを抱えたまま長い廊下を走り始めると、その後ろからセシフェリアが追いかけてきた。
エレノアード祭で行われた、僕の奴隷所有権争奪戦。
あの時にセレスティーネと走り回った時は、街の人のことを少し走れば圧倒的な速度の差で撒くことができていたけど……
いくらレイラを抱えているとは言っても、流石にセシフェリアはそうはいかないみたいだ。
「待って!ルークくん!どうして私から逃げるの!?さっきルークくんと初夜を迎えたいみたいなこと仄めかしちゃったのは謝るし、約束通り少しの間はルークくんにおっぱいとかもしないから戻ってきて!」
……どっちにしても、もうセシフェリアの元に戻ることはできない。
なら、ここはハッキリとそのことを伝えよう。
「僕はもう……セシフェリアさんとは、一緒に居られません」
「それは、どうして?」
後ろを走っているセシフェリアから困惑の声が聞こえて来たため、僕はその問いに答える。
「詳しくは、ヴァレンフォードさんに僕のことについて聞けばわかると思います……そして、その話を聞けば、セシフェリアさんも今僕に抱いてる感情なんて全部消えて無くなるはずです」
「っ!私のルークくんに抱いてる感情が、消えて無くなる……?そんなわけないよ────ルークくん、私がどれだけルークくんのこと好きなのか、わかってないの?」
その言葉の重みに思わず足を止めてしまいそうになった僕だったけど、どうにかそも動揺が動きに出てしまわない程度にまで留めることに成功する。
でも、セシフェリアに聞かれたことには答えられないでいると、今度は少し間を空けてから別のことを聞いてきた。
「ごめんね、聞くことを変えるよ……これに答えてくれたら、少なくとも今はルークくんのこと追うのをやめてあげる」
追うのをやめてくれる……!?
一瞬喜びそうになってしまったけど、逆を言えばそれだけ僕から聞き出したい重大と思うことってどんなことなんだ?
困惑していると、セシフェリアが口を開いて言う。
「ルークくんが私から逃げる理由、私と一緒には居られない理由は、マーガレットにルークくんのことについて聞けば本当に全部わかるの?私は本当に、それでちゃんとルークくんを完全に諦めて、ルークくんに抱いてる感情を全部消すことができるの?」
ヴァレンフォードが僕のことについて聞かれれば、その口から出てくるのは僕がサンドロテイム王国の刺客であったこと。
そして、それがセシフェリアが僕に抱いている感情を消すことに十分なのかということだが────間違いなく十分だ。
いくらセシフェリアと言っても、敵国の人間。
それも自らの元に奴隷として潜入して来ていた相手に対して、今までのように好意的な感情を抱き続けるなんてことはできないはずだ。
でも、ここはせっかくの機会だし、他にももう少しセシフェリアと一緒に居られない理由もとい、文句でも言ってやりたい────と思ったのだが。
……意外にも、言葉が出てこない。
あんなに憎んで、厄介だと感じてきたセシフェリアなのに……
やっぱり、仮にも二ヶ月の間一緒に過ごした人間だからだろうか。
そんなことを思いながらも、僕はセシフェリアの問いに少し間を空けてから答える。
「……はい、それで全部です」
「そう……じゃあ、約束だよ?もしそれでも私の感情が消えてなかったら、その時は例えルークくんがどこに居たとしても追いかけるからね」
「……わかりました」
僕がそう答えると、セシフェリアは事前に言って居た通りに足を止めた。
でも、この約束に意味は無い。
奴隷がどんな乱暴をされていても心を痛めないセシフェリアが、敵国の人間である僕に対して何かの感情を抱くことなんてそれこそあり得ないんだから。
これで、セシフェリアとは────本当にお別れだ。
「……」
クレア・セシフェリア。
明るい女性なのかと思えば、その明るさの裏には底知れない暗さがあって。
一見何も考えていないように振る舞っているけど、実はとんでもないほど賢くて。
冷酷だと思えば、優しい一面もあって……
結局、出会った時から別れの今になるまで、彼女のことは全然わからなかったな。
これで別れ……か。
そう思った僕は、足を進めるべきなのに────無意識的に、足を止めていた。
「……ルークくん?」
その行動を不思議に思ったセシフェリアが僕の名前を呼ぶと、僕はセシフェリアに背を向けたまま、今までセシフェリアと過ごした時間のことを振り返りながら言う。
「正直、セシフェリアさんにはいっぱい困らされましたけど……立場が違えば、ずっと一緒に居られたのかも知れません」
「ルークくん……」
「……それだけです────今まで、ありがとうございました」
敵とは言え、仮にも二ヶ月の間僕の面倒を見てくれたとも言える相手に何のお礼も伝えずに去るのは礼儀に欠けると思った僕はそう伝えると、今度こそ走り出した。
この時、僕の後ろに居たセシフェリアが。
そして、僕自身がどんな表情をしていたのかは……この世の誰にもわからない。
「……よし」
やがて、長い廊下を走った僕は、ようやくこの屋敷に潜入した時の大階段を見つけることに成功した。
あとは、このまま屋敷の外に出て、門の外まで走れば……!
そう思い、屋敷の外に出たところで────
「逃げる相手の退路を断つのは、戦略の基本中の基本だ……それも、今回のように逃げ道がわかっているのなら、これほど容易いこともない」
門へと続く道を塞ぐように、剣を手にしているヴァレンフォードの姿があった。
どうして、ヴァレンフォードがこんなにも早くここに……
いや、ここはヴァレンフォード公爵家、ヴァレンフォードしか知らない近道や抜け道と言ったものがあっても不思議じゃないか。
「あなたには、そこを退いてもらう」
「意識を失ったステレイラを抱えたまま、この私を退かせられるというのなら、やってみるといい」
「……」
確かに、レイラを抱えたままで、ヴァレンフォードが相手となると分が悪いかも知れない。
それでも、ここはやるしかな────と思いかけた時。
「マーガレット、私まだ怒ってるんだよね……マーガレットがルークくんと初夜を迎えようとしたこと」
後ろから聞こえてくる足音と共に、そんなセシフェリアの声が聞こえてくると。
セシフェリアは、そのまま僕たちの前に立って、ヴァレンフォードと向かい合った。
「当然そのことは理解しているが、その前にルークを追うという話では無かったのか?」
「そうだったんだけど────気が変わった、マーガレットには聞かないといけないこともあるから、ルークくんのこと追うのはその後……それに、もう今後こんなことがないように、マーガレットには反省してもらわないといけないからね」
「ほう、どうやら、引く気は無いらしいな────しかし、これは全力のクレアと戦える良い機会だ……なら、私はその全力のクレアを負かした後で、すぐにでも彼の後を追うとしよう」
「負けるつもりなんてないけど────そういうことだから、ルークくん」
続けて、セシフェリアは僕の方に振り返って。
「ここは私に任せて行っていいよ」
「セ、セシフェリアさん……でも、どうしてセシフェリアさんが僕のことを────」
「逃がしてあげるわけじゃないよ?ルークくんのことは、絶対最後には私のにする……でも、マーガレットからの話を聞いたら私のルークくんへのこの気持ちが変わるなんて、私の気持ちがそんなに軽く見られてるのが気に食わないの────だから、そのマーガレットからの話を聞いた後でルークくんを堂々と追いかけるために、今だけは協力してあげるの」
「……」
色々と思うことはあるけど……今は。
「そういうことなら……ありがたく、行かせていただきます」
「うん────絶対追いかけるから、待っててね……ルークくん」
「……」
その言葉には何も返さず。
僕は、セシフェリア、そしてヴァレンフォードのことを背に、門に向けて走り出す。
直後、後ろから剣を交える音が聞こえて来たけど、それも無視して門の外に出ると……
僕たちが乗ってきた馬車に乗って、ひとまずはレイラのことを慕う人がたくさん居る教会に向かうことにした。
これで、セシフェリアとも完全にお別れ。
と思っていた僕……だったけど。
────この時の僕は、セシフェリアの僕に抱いている想い、そしてどこに居ても追いかけるという言葉が本当にそのままの意味であることを、本当の意味では理解できていなかった。
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