目的

 もう一度考えるように、と言われても………正直、今はセレスティーネの言葉の理解に追いつくことだけでやっとだ。

 とりあえず、金銭はどちらにしても僕に支払う。

 そして、僕と本当の婚約者候補になりたいと思っていて、それには感情面も含まれている……が、僕のことをセシフェリアから守るという意味も含まれており、それが冗談では無く本気で言っているということを示すために、今僕に体を許そうとしている……といったところだろう。

 言っていることは理屈として通っているが、感情も含まれているからなのか所々飛躍している部分もある……が。


「ひとまず、セレスティーネさんのお言葉が冗談じゃないことはよく分かったので、その証明のために体を許したりする必要はありません」

「わかりました……すみません、少々感情を昂らせてしまったようです」


 一度落ち着いた様子のセレスティーネは、そう言うと僕と重ねていた手をゆっくりと離した。


「ですが、先ほどの話は本当です……何も、無理やり婚約者になっていただきたいと言っているのではありません、婚約者候補の方として名を連ねていただくだけでも良いのです……それだけで、私はルーク様のことをお守りすることができます」

「……百歩譲ってそれで僕のことを守れるとしても、そもそも奴隷のことを婚約者候補にしたなんてこと、セレスティーネ公爵家の人や周囲の貴族たちにどう説明するつもりなんですか?」

「周囲の方々のことはどうともすることができますので、あまり深く気にする必要はありません……そして、セレスティーネ公爵家の人間にも文句は言わせません────が、お父様が反対してくる可能性はありますので、その時は……」


 セレスティーネは、僕と顔を向かい合わせると微笑んで言った。


「ルーク様に、私とまぐわっていただきたいと思います」


 ま、まぐわう……!?

 それはつまり、僕とセレスティーネがそういったことをする……ということか!?

 僕のそんな考えを補強するように、セレスティーネが言う。


「ルーク様のことを、私の初めてを授けたお方だと紹介した上で愛を伝えれば、もはや誰にも反対などさせません……ですのでルーク様、その時は出来る限りお優しくしていただければと思います」

「ちょ、ちょっと待ってください!そんなこと出来るわけないじゃないですか!」

「私に魅力ある女性としての品位がまだまだ足りぬことは百も承知です、が……これはあくまでも、お父様が反対なされた時の話であり、反対なされる可能性というのは五分五分といったところでしょう」


 婚約者よりもそこまで制限の無い婚約者候補になることによって、セレスティーネ公爵家の力である程度の利益を得られるのならその選択肢も有りかもしれないと思ったが、一度その話を受けてからセレスティーネのお父様という人物に反対されてしまったら、事前にこの話を聞かされている以上僕はセレスティーネとまぐわうことを拒否できなくなってしまう。

 絶対に反対されるわけでは無いと言っても、可能性は五分五分……つまり、二回に一回の確率で反対されるということであり、それは二回に一回は僕の貞操が奪われるということをも意味する。

 そのことを考えれば、いくら婚約者候補になったことで様々な恩恵を得られたとしても────


「やっぱり無理です!」


 という答えになる。


「ルーク様ともあろうお方が、何を先ほどからそのようにご動揺なされ────っ!もしや……」


 何かに気付いたらしいセレスティーネは、目を見開いて言った。


「ルーク様も、女性経験が無いのですか?」

「……」


 セシフェリアの時と言い、どうしてこんなことを気にされないといけないんだ。

 とはいえ、ここで嘘を吐いて見栄を張るのは、そっちの方が情けない……か。


「……はい」

「っ!もしやと思い聞いてみましたが、ルーク様ほど容姿端麗で知性もあり、武力にも優れているお方に、女性経験が無かったとは……ルーク様であれば、そういったお誘いを受けられることもあったかと思いますが、それらを受け入れなかった理由のようなものが何かあるのでしょうか?」


 正直なところ、確かにそういった誘いはたくさん受けた。

 王族という地位に加え、昔から勉強や剣の鍛錬も必死に積んできて、そういったところが人より秀でていたから、それも客観的に言えば当然と言えるのかもしれない。

 だけど……そういった誘いを受けるような年齢になった頃には、もうサンドロテイム王国はエレノアード帝国と戦争状態で、とてもじゃ無いけどそんな誘いに乗れる状況じゃなかった。

 今の僕には、エレノアード帝国の手からサンドロテイム王国を救うということしか眼中に無いから、そういった女性の誘いのも乗らなかったというだけのことだ。

 僕がそんなことを思っていると、セレスティーネが僕の方を見て口を開く。


「……言葉を聞かずとも、ルーク様の強き志が、その目や雰囲気から伝わって来そうです……ルーク様は本当に、とても大きなものを背負われていらっしゃるのですね」


 そう言ったセレスティーネは、立ち上がって僕の目の前にやって来くると、その場に膝をついてソファに座っている僕のことを見上げるようにして言う。


「ルーク様……ルーク様さえよろしければ、私にも、ルーク様の背負われているものを共に背負わせていただけませんか?」

「……え?」

「当然、私などが共に背負えるようなもので無いことは承知しております……が、そうであっても、私はルーク様の強き意志の求めるもののため、微力ながらもルーク様のお幸せのため、お力添えさせていただきたいのです」


 力添え……セレスティーネが嘘を言っているようには見えないし、まだ出会ってから間もないが、この人物がある程度信用のできる人間であることは間違いない。

 だけど────だからと言って、僕のこのエレノアード帝国の破滅させ、サンドロテイム王国を救うことだということを、エレノアード帝国の公爵家の人間であるセレスティーネに伝えるわけにもいかない。


「僕はただの奴隷なので、そんな大層なものを背負ったりしていませんよ」

「……そうですか」


 僕がそう答えると、セレスティーネは両目を閉じてそう返事をしてきた。

 そして、再度目を開くと、僕の手に自らの手を重ねて優しい表情で言った。


「今はそれでも構いません……が、ルーク様がお望みになられるのであれば、私は私の全てを持って、それにお応えさせていただくことを、どうかお忘れになられないでくださいね」

「……ありがとうございます」


 一応感謝を伝えておくと、セレスティーネは満足したように僕から手を離し、立ち上がると時計を見て言った。


「もう17時30分ですね、ルーク様さえよろしければ夕食を食していただいてからご帰宅いただくことも可能ですが、いかがなさいますか?」

「気持ちとしてはありがたいですけど、今日は19時までに帰るようセシフェリアさんに言われているので、遠慮しておきます」

「っ……!……わかりました、では、馬車で街までお送り致しますね」

「ありがとうございます」


 残念がりながらもそう言ってくれたセレスティーネの言葉に甘える形でセレスティーネ公爵家の屋敷を後にすると、僕とセレスティーネは二人で馬車に乗って街へ向かった……その間、隣に座っているセレスティーネはどこか神妙な面持ちをしていたが、馬車が街に着いた頃には何かしらの決意を固めたような表情へと変化していた。

 そして、僕が馬車から降りるとセレスティーネが言う。


「本日はここまでですね……まだお受け取りいただけていない金銭が多量にありますので、その分はまた後日お好きなタイミングで受け取りにいらしてください」

「わかりました」

「では、失礼致します……またお会いしましょう」


 最後まで丁寧にそう言うと、セレスティーネは馬車で屋敷へと帰って行った。

 屋敷に居た時が17時30分だったとするなら、今はおそらく18時頃。

 帰りは行きの時に街へ来たセシフェリア公爵家の馬車で帰るとして、街からセシフェリア公爵家だと長く見積もっても20分ほどしかかからないため、このまま10分ほど風に当たって香りを────と油断していると、突如体格の良い男にぶつかられた。


「おっと、悪りぃな、貴族様」


 僕の服装を見て、貴族だと勘違いしたから貴族様と呼んだんだろう……まぁ、人通りのある街で他の人にぶつかってしまうのは仕方のないこと。

 こんなことで気分を害すわけには────


「……あれ?」


 そう思っていると、僕はふと自らが身軽になったことに気が付いた。

 一瞬、その理由がどうしてかわからなかったけど……ポケットを探って、その理由がすぐにわかった。


「十万ゴールドのうち、右ポケットに入れていた五万ゴールドが無い……?」


 そう呟いて咄嗟に振り返ると────さっき僕とぶつかった男は、猛スピードで走っていた……なるほど、これがスリというものか。

 サンドロテイム王国ではそんなことが起きないから、つい油断してしまっていた……それはそれとして。

 このサンドロテイム王国の王子である僕、アレク・サンドロテイムからお金を奪うなんて良い度胸だ。

 ────サンドロテイム王国の王子である僕が、ただの盗人なんかにお金を奪われたままなんて絶対に許されない……!僕の尊厳に懸けて、絶対に取り戻す……!

 そう心の中で強く意気込むと、僕は急いで先ほどの体格の良い男を追った。

 もはや、今の僕の頭の中には、あの男からお金を取り戻して、サンドロテイム王国の王子としての尊厳を保つことしか無く、それ以外のこと────タイムリミットのことなどは、意識外となってしまっていた。

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