婚約者候補

 馬車から降りて目の前に映るのは、模様の入った金でできた大きな門と、その奥に見える大きな屋敷だった。

 ……セシフェリアの屋敷といい、やはりこの国の公爵の貴族の屋敷はこのぐらいが普通なんだろうか。


「では、参りましょうか」

「はい」


 そんな分析をしていると、セレスティーネがそう言ったため、門番の人たちが門を開けると僕たちはその奥に入り、庭の真ん中にある舗装された道を歩き始める。

 その広大な庭には、噴水や色とりどりな花が置いてあり、見ているだけでとても良く手入れされていることがわかった。


「この庭の手入れは、庭師の方がしているんですか?」

「いえ、基本的には私がしています……が、どうしても手が回らないときは、私が手入れをしたいという身勝手な欲で花を枯らせてしまうわけにはいきませんので、庭師の方にお願いをしています」


 これだけの花を、基本は自分で……普通、公爵の貴族というのはそういうのを好まない傾向にあるけど、不思議とこのセレスティーネが花に水をあげている光景は簡単に思い浮かべることができる。


「これだけの花を手入れしていることもですけど、花を綺麗に保つという目的と自らの欲を切り分けることができていてすごいですね」

「そのようなことはありません……私はただ、一つ一つの命を大切にしたいと思っているだけです」


 だからこそ、人の命を軽視していると言わざるを得ない奴隷制度を許すことができず、同時に奴隷制度を平然と受け入れいているエレノアード帝国の人間に対して不信感を抱いている、か。


「私に……自らの願いと、欲を切り分けることなど、できるのでしょうか」


 セレスティーネは意味深にそう呟いた。

 今の話を聞く限りだと出来ていると思うが、セレスティーネ本人には何か思うところがあったのだろうか。

 ……これ以上踏み込んで気分を害したくは無いし、何より今は金銭を受け取ることが何よりもの最優先事項のため、不用意なことは言わないでおこう。

 そのまま歩き続けていると、やがてセレスティーネ公爵家の屋敷の扉が目の前にまでやって来た。

 そして、その前に立っていた人がドアを開けると、セレスティーネが僕に向けて言った。


「どうぞ、お入りください」

「はい」


 言われた通りに屋敷の中に入らせてもらうと、目の前にある大階段や床には赤の絨毯が敷かれており、この玄関には照明として綺麗なシャンデリアや花の生けられた花瓶、絵画などが置いてある。

 そして、セレスティーネの後ろを歩くようにしてついていくと、やがて僕は一つの部屋へ案内された。


「こちらは客室となっております……今からお約束通り金銭を持って参りますので、ルーク様はそちらのソファでお寛ぎになられていてください」

「わかりました」


 そう言うと、セレスティーネはゆっくりとドアを閉めてこの客室を後にした。

 客室に使われている装飾品も相変わらず綺麗だなと思いながら、僕は目の前にあったソファに座る。


「父上……」


 縁談を断るという目的も達し、今はとりあえず金銭を受け取るだけという状況の中で一人になると、僕は思わずサンドロテイム王国のことを想う。

 この国に潜入して、色々なことがわかった……この国の貴族は、基本的には僕と考えが合わないことや、奴隷制度のこと、そして────このエレノアード帝国が、突出した才能を持っている人間たちによって成り立っていること。

 そして、僕は幸運にも、そのうちの一人であるセシフェリアと共に過ごすことができているから、その人物たちの優秀さをセシフェリアに照らし合わせてある程度イメージすることができる。


「セシフェリアと同じぐらい優秀な人間が何人か居る……そう考えると、どうしてこのエレノアード帝国がこれほどまでの強さを誇っているのかもよくわかる」


 だけど、だからと言ってサンドロテイム王国の負けを認めるわけにはいかない。

 むしろ、この情報を掴んだからこそ、この情報を持って帰るだけじゃなくて、この情報を使って僕がサンドロテイム王国を救わないといけない!

 そのためには、その突出した才能を持っている人間というのをどうにかしないといけないわけだけど、そのための第一歩はすでに見えている。

 それは────


「お待たせ致しました、ルーク様」


 僕がそんなことを考えていると、綺麗な箱を持ったセレスティーネが客室に戻って来て、僕の対面にあるソファに座るとその綺麗な箱を目の前にあるテーブルの上に置くと口を開いて言った。


「こちらの箱に、お約束した通り金銭が入っておりますので、こちらをそのまま差し上げます」

「ありがとうございます……この箱には、いくらほど入っているんですか?」

「百万ゴールドです」

「百……!?」

「申し訳ございません、少なかったでしょうか?不満であれば────」

「いえ、額に不満はありません、というかむしろ予想より何倍も多くて驚いているほどです……ただ」


 百万ゴールドとなると、持って帰るのがかなり大変だ……この箱のままなら持って帰ることはできるけど、こんな箱を持っていたら間違いなくセシフェリアに不審がられてしまい、不審がられたが最後────僕の貞操が奪われてしまう。

 なら、この箱を持って帰るという選択肢は絶対に無し……だけど、だからと言って百万ゴールドをこの紳士服のポケットに入れて歩くというのはかなり無茶な話だ。

 となると、仕方がない。


「一気に持ち帰るのは難しそうなので、今日も含めてまた後日、分割して持ち帰らせていただいても良いですか?」

「っ!ということは、これからも何度かこのセレスティーネ公爵家へ来てくださるということですか!?」

「え?あぁ、はい、迷惑でなければそうなります」

「迷惑などということはありません!むしろ、ルーク様が来てくださるのでしたら、私は至極の気持ちです!」


 セレスティーネは嬉しそうな表情でそう言う。

 その後、僕はその綺麗な箱の中にある百万ゴールドのうち、ひとまず十万ゴールドほどをどうにかポケットに入れた。

 これで、ようやく街で様々なことをできるようになる!

 僕がそのことに嬉しさを抱いていると、先ほどまで嬉しそうな顔つきをしていたセレスティーネが神妙な顔つきで言った。


「ルーク様……今回は、私がルーク様のことを一時的に偽りの婚約者候補とすることで、オーウェン侯爵の縁談をお断りして、今その対価としてルーク様に金銭をお支払いしました……その上で、一つご提案があるのですがよろしいでしょうか?」

「はい、なんですか?」


 金銭を受け取ったとはいえ、おそらく今はまだ17時頃ぐらいでまだ19時までには余裕があるため、僕その話に耳を傾けることに決めると、セレスティーネが力強く言った。


「ルーク様さえよろしければ、その婚約者候補という話を、偽りでも一時的なものでもなく、本当のことと致しませんか?」

「……え?」


 本当のこと……?

 つまり、僕が本当に、セレスティーネの婚約者候補になるっていうことか……?


「当然、金銭は約束通りお支払い致します……その上で、私は────」

「ま、待ってください、奴隷の僕が本当にセレスティーネ様の婚約者候補になるなんて、冗談にしたって────」

「冗談などではありません!」


 力強くそう言い放つと、セレスティーネはソファから立って僕との距離を縮めてきて言った。


「私はルーク様に、の感情を抱いているのです!それに、仮にクレア様がルーク様に酷いことをなされようとした場合、もしルーク様が私の婚約者候補になってくだされば、私はルーク様のことをお守りすることができるのです!」

「……セレスティーネ、さん?」


 セレスティーネは僕の右隣に座ると、僕の手に自らの手を重ねる。


「もしも、その私の思いを冗談だと仰られるのであれば、私の覚悟をルーク様に証明してみせます……今まで、男性に体を許したことなど一度たりともありませんが────」


 セレスティーネは、続けて頬を赤く染めて言った。


「ルーク様にであれば、この身を許しても良いと考えております……私は、それほどの覚悟で今回のご提案をさせていただいているのです……ですからルーク様、その上でもう一度ご再考いただけますよう、お願い致します」

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