香水

 セシフェリア公爵家に帰宅した僕は、一応奴隷の義務としてすぐにセシフェリアの元へ向かった。


「ただいま戻りました」

「ルークくん!おかえり〜!はぁ、退屈な仕事ばっかりでも、ルークくんの顔見るだけで一気に幸せになれるよ〜」


 セシフェリアは書類の置かれた机の前にある椅子から立ち上がると、そのまま僕に近付いてくる。


「今日は街の雰囲気を堪能しに行ったんだよね?どうだった?」

「楽しかったです」

「そっかそっか!楽しか────」


 その言葉を聞いてとても嬉しそうに明るい声音を出していたセシフェリア────だったが、何故か僕との距離が近付いた段階でその言葉の続きを発するのをやめた。

 なんだ……?特に体調に異変があるようには見えないけど……


「……」


 その変化に疑問を抱いていると、セシフェリアはさらに距離を縮めて来て、僕の顔の横に交差するよう自らの顔を移動させる。


「セシフェリアさ────」

「楽しかったんだね、ルークくん」


 僕が名前を呼びかけようとした時、セシフェリアの方を見ると、いつの間にかその目は虚になっていて、発された言葉の声色も冷たい声色になっていた。

 これは……あの奴隷オークションの場所に居た男性に対してや、面談の時のヴァドリングに対する雰囲気と少し似ている……が、どこかが違う。

 そう思考を回していると、セシフェリアは僕と顔を向かい合わせるようにして、いつもは綺麗な碧眼をしているはずの虚な目で僕の目を見てきて言った。


「ねぇ、ルークくん、今日はどこで何をしてきたの?」

「え……?事前にお伝えした通り、街に────」

「それは聞いたよ、街のどこに行って何をして来たのかを聞いてるの」


 ……おかしい。

 少なくとも僕が帰って来たことを報告するまでは、セシフェリアは僕に対してこんな態度じゃ無かったはずだ。

 それなのに、どうして突然こんなに態度が急変したんだ?

 原因がわからない以上、下手に嘘を吐くのは危険……だが、セシフェリアに黙ってお金を稼ごうとしていたなんて知れたらどうなるかわからない。

 なら、ここは無難な嘘を吐いておくのが先決だ。


「まずは街全体の雰囲気を見てから、目新しいものがあったのでちょっとだけ装飾店に入りました」


 実際装飾店に入っては居ないが、裏を取られた場合は顔を伏せていたとかで、いくらでも言い訳ができる。


「……街に行ってあった出来事はそれだけ?」

「はい、それだけです」

「へぇ────じゃあ、ルークくんから女性用の香水の香りがするのは、その装飾品の香りが移ったってことかな?香水の香りがする装飾品が売ってる店なんて初めて聞いたから、今からでも私に紹介してよ」

「っ……!?」


 ────女性用の香水……!?

 そう指摘された僕は、咄嗟に自らの視線を向ける。

 確かに、意識してみれば微かにそんな香りが残っている……そうか、これはセレスティーネの香りだ。

 セレスティーネは僕に怪我が無いかどうかを確認するために至る所に触って来た上に、少しの時間とはいえ至近距離で話していたから、その香りが僕にも残っていたんだ……セレスティーネとの会話やお金が手に入るという目処が立ったこと、そのほかの思考のせいで気付くことができなかった!


「ねぇ、どうして私から視線逸らすの?今ルークくんと話をしてるのは私なんだよ?それなのに、どうして私から視線を逸らして香水の香りの方に意識を向けてるの?それとも、その女性用の香水の香りに何か思い入れでもあるの?」

「い、いえ……そういえば、装飾店に女性のお客さんが居たので、その時に移った香りなのかも知れません」


 これなら否定することは難しいだろうと思った僕だったけど、今目の前に居る人物はいつものセシフェリアではなく、どこまでも理知的で冷静な人物であるということを改めて思い知らされる。


「香りの付き方からして色んなところを触られてるよね?じゃあ、一体どんな経緯で装飾店に居た女性のお客さんに体の色んなところを触られることになったのか、詳細に教えてくれる?」

「そ、それは……」

「私が事前に釘を刺してる上に、そもそもお金を持ってないルークくんが娼館に行ったとは思えないけど────ルークくんほどカッコよかったら、道端で歩いてても女の方から寄って来てもおかしくないよね……じゃあ、今度はその女とどんなことをしたのか聞かないと」

「ご、誤解です!僕はやましいことはしてな────」

、っていうことは、少なくとも女と何かしらの理由で関わったってことだよね?」


 っ……!

 ……ここまで来たら、もはやあとは本当に隠すべきこと以外を全て話すという選択肢しか無い。

 というか────本当に、セシフェリアは一体何者なんだ?このエレノアード帝国にとって、クレア・セシフェリアという人間は一体何なんだ?

 僕は王族としてサンドロテイム王国で色んな貴族と話してきて、問題があれば話し合いで解決して来たりもした……もちろん、それは王子という強い立場があったからというのもあるだろうし、今は逆に奴隷という弱い立場だから発言の幅が狭まっているというのもある。

 だけど────こんなにも虚な目で、冷たい声色で、かと言って無感情では無いなんて状態で話してくる人間は、今まで一人も居なかった。


「じゃあ、どういう風にその女と関わったのか、聞かせてくれるかな?」


 会話の一つ一つに無駄が無く、まるでチェスでもしているみたいに的確に進めることができる……もしも────もしも、こんな人間が、サンドロテイム王国との戦局を動かしていたら?

 セシフェリアが、エレノアード帝国の戦争における戦略を考えている人間だったなら……?セシフェリアが今日していた仕事というのが、それだったとしたら?

 なんて思考は、流石に飛躍し過ぎているけど……でも、仮にセシフェリアと同じような頭脳を持っている人間が戦局を動かして居るなら、僕は────


「……」


 とはいえ、今はそんな飛躍した考えについて深く考える時じゃない……ひとまずは、目の前のセシフェリアとの話を進めないといけないな。


「わかりました、話します」


 ということで、僕は本当に必要最低限、女性と軽く世間話をしたことだけを伝える……体に触れられた理由に関しては、奴隷なのに紳士服を着て居るのが珍しいという理由で通した。

 すると、セシフェリアが言う。


「まぁ、真偽はわからないけど、少なくともそれ以上のことをしてるって感じじゃないから今回はそれでいいよ……でも、今回みたいなことを二度と起こさないために、今まで伝えれてなかったことをちゃんと伝えるね」


 セシフェリアは、僕の肩や腕に触れながら続けて言う。


「ルークくんはね、もう私のものなの……私はできるだけ、ルークくんに奴隷として何かを強制するようなことはしたくないと思ってるけど、一つだけ────」


 僕の顔に右手を添えると、その虚な目で僕の目を見据えて言った。


「もし私以外の女に気を取られたりしたら……その時は、お仕置きだからね……わかったら返事して?」

「……はい」


 そう返事をすると、セシフェリアは僕の顔から手を離して虚な目をやめると、笑顔で僕の頭を撫でて言った。


「うん!ルークくんはいい子だね!えらいよ!」

「……」


 僕は、セシフェリアに頭を撫でられながらも、ついさっき飛躍した思考の先で僕の頭に浮かんだをしなければいけない可能性について、思考を巡らせていた。

 ────この時の僕は、セシフェリアの「私以外の女に気を取られたりしたら」という言葉に込められた重みを軽視してしまっていた。

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