貞操

 別々でお風呂に入った後。

 そろそろ日替わりの時間が近付いてくると、僕とセシフェリアはいつの間にかベッドが二つ用意されていた寝室に入り、それぞれ違うベッドで横になった。


「……」


 目を閉じてはいるものの、僕は眠るつもりは無いため、セシフェリアが眠るのをただ静かに待つ。

 ────十分後。

 セシフェリアが眠り始めたことを、その動きの静かさや微かに聞こえる寝息から判別することができたため、僕はいよいよ行動を開始する。

 音を立てないように、ゆっくりとした動作でベッドから降りると、今度は音を立てずにゆっくりと歩く。

 幸い、背を向いてもセシフェリアは眠ったままだったため、僕はそのまま安心してゆっくりドアを開くと、ゆっくりドアを閉めた。


「……よし」


 ドアさえ閉めてしまえば、仮に僕がここから普段通り歩いたところで部屋の中には聞こえない。

 それに、聞こえたとしても使用人の足音と区別することはできないはずだ。


「こんなに簡単に行くとはな……底の見えないセシフェリアも、眠っていれば何もできないってことか」


 もっとも、それは全人間に共通することだと思うけど。

 それから、僕は寝室のある二階から、階段を使って一階に降りる。

 そして、廊下奥にある書庫の前まで足を進めてきた。


「もし施錠されていたら無駄足となってしまうけど、その場合は鍵を探すか、それとも日を改めるべきか……」


 そんなことを考えながらドアノブを捻ると────そのドアはすんなりと開いた。


「開いた……?夜になっても施錠されていないということは、ここに重要な情報は置いてないからなのか?それとも、外の警備に自信があるからわざわざ中までセキュリティを気にしていないのか……」


 とにかく、書庫に鍵がされているというケースに比べればかなり好調だ。

 僕はその書庫の中に入ってドアを閉めると、灯をつけてそこにある大量の本棚とそれらに隙間が全く無く埋められている本たちを見渡す。

 書庫は、人によっては本を読まない人も居るため埃っぽくなっているケースもあるが、このセシフェリア公爵家には本を読む人間が居るのか、しっかりと掃除がなされており本の整理もされている。


「あとは、ここからエレノアード帝国の機密情報に繋がりそうな資料、もしくはエレノアード帝国から見たサンドロテイム王国との戦争概論や、その戦争に携わっている人物、特に戦略を考えている人間は誰なのかを知ることができれば……」


 そう思い、僕は書庫の本棚に目を通す。

 農業、漁業、商業、建設業……


「っ、本当に本が多いな……一つの本棚だけでも高さがある上に横も長い、幸いカテゴリによって分けられているようだし、一冊一冊見る必要はないか?」


 だが、そういったものをダミーとして大事な資料を置いている可能性もある。

 そう考えると、やはり一冊一冊に目を通すべきなのか。

 僕がそんな悩みを抱きながらも本に目を通していると……ドアを開く音が聞こえたため、咄嗟にその方向を向くと────


「ルークくん、私ショックだよ」

「っ!?」


 そこには、書庫のドアを開けているセシフェリアの姿があった。

 見つかった……!?寝ていたんじゃ無いのか……!?

 起き得るはずが無いことが起きているという現実に唖然としていると、書庫に入ってきてドアを閉め、僕の方に歩いてくるセシフェリアが言った。


「私の体は見てくれなかったのに、夜な夜な一人でどこに行くのかと思えば本のことはそんなに熱い視線で見てるなんて……ルークくんは私の体よりも、本の方に興味があるの?」


 ────この状況はどう考えたって良くない。

 仮に今僕がこの場から逃げ出したとしても、そんなことは何の解決にもならない……だから僕がここでしないといけないことは、とにかくセシフェリアに対する敵対意思が無く、同時にエレノアード帝国にも敵対意思が無いと思わせること。

 だが、セシフェリアが眠っている隙を見計らって書庫に来ているという状況で、何を言えば怪しく無くそれが成立するんだ……?

 こう考えている間にも時間は過ぎていく、とにかく今は沈黙すればするほど怪しく見えるだろうから、沈黙の時間を避けよう。


「す、すみません、勝手に来ていいのかわからなかったんですけど、どうしても読みたい本があって……」

「別に、書庫に来ること自体は良いんだよ?勉強熱心なことは悪いことじゃないし、私だって本を読むことはよくあるからね……だけど、今回の問題はそこじゃなくて、どうしてわざわざ私に見つからないように、私が眠るって言った日替わりの時間、それもちゃんと私が眠ったことを確認した後でここに来たのかってことだよ」


 っ……!その発言が出るということは、日替わりに眠るという話はこうして僕の行動を探るため……?それとも、その話は本当で今日は初日だからと警戒していたのか?そうで無くとも、僕の様子から見抜かれたという可能性もあるのか……?

 ……何にしても、このセシフェリア、伊達に公爵じゃない。

 こうして改めて窮地に追いやられると、目の前の人物の隙を突くことがどれだけ難しいことなのか思い知らされる。

 だが────僕は、偉大な父上に代わって、次にサンドロテイム王国の王に即位する人間だ……エレノアード帝国の公爵相手に、負けるわけにはいかない!

 僕は、目の前まで歩いてきて足を止めたセシフェリアに言う。


「昼間や夕方は、セシフェリアさんのために時間を使いたいので、自分の睡眠時間を削ってでも勉強したいと思ったんです」


 これなら、奴隷として正当な理由に当た────


「え〜!何その理由!そんなこと言われちゃったら許しちゃうじゃん!もう〜!でも、私はルークくんにも健康で居て欲しいから、今後は自分の睡眠時間を削るなんて考えたらダメだよ?」

「は……はい」


 正当な理由に当たるとは思っていたが、まさかここまで絶賛されることになるとは思わなかったな。

 でも、これでひとまず状況は解決したと言って良いだろう。


「はぁ、良かった、もし何か別の意図があるんだとしたら、ルークくんの体に色々と覚えさせてあげないといけないところだったよ〜」

「……体に覚えさせる、ですか?」


 ……それが仮に拷問の類であったとしても、僕はそんなこと覚悟の上で来ている。

 そのため、今更何を言われても動じることはないけど、セシフェリアから得られる情報は少しでも得ておきたい。


「うん……でも、怖がらせたくないから先に言っておくけど、別に拷問とかそういう痛いのじゃないからね?そういうのはセシフェリア公爵家の仕事じゃないし、ていうかルークくんにそんなことするのなんて私が無理だから!」


 拷問じゃない、か……でも────


「でしたら、その体に覚えさせることといのは、一体何なんですか?」


 純粋な疑問を投げかけると、セシフェリアが僕の体を上から下に指でなぞるようにしながら言った。


「それはね……ルークくんは私が居ないと生きていけないっていう風に体に覚えさせてあげて、二度と私に嘘吐いたり隠し事したらダメだよって教えてあげるってこと……簡単に言うと、ルークくんのことを私の体無しじゃ生きていけない体にするってことだよ」

「か、体!?」


 そ、それは、つまり……そういうことなのか!?

 僕からしたら考えられないけど、セシフェリアの言葉を聞いてもわかる通り、おそらくこのエレノアード帝国では、従者とではなく奴隷とならそんな行為を行ったとしても何の問題も無いんだろう。


「もちろん、私だって無理やりそんなことしたくないんだよ?だから、今日だって本当はルークくんと一緒にお風呂に入りたかったけど、無理やりそれを強制するようなことはしなかったしね……でも、私がそこまでルークくんのことを思ってるのに、それをルークくんに裏切られちゃったんだとしたら────その時は、仕方ないよね」


 セシフェリアは、落ち着いた声音でそう言い放った。

 つまり、もし僕がセシフェリアのことを裏切るような行為をしてしまったら────その時点で、僕の貞操がセシフェリアに奪われる……?


「……」


 僕は、奴隷としてサンドロテイム王国にやって来るに当たって、様々な覚悟をしてきた……痛めつけられること、もう国には帰れないかもしれないこと、もう父上や民の人たちには会えないかもしれないこと。

 だけど、その中に貞操を奪われるかもしれないなんていう覚悟は一切無く、正直に言って────僕は今、とても動揺していた。

 貞操を奪われることぐらい、国の存亡に比べれば安いのはわかっている……わかっているけど────サンドロテイム王国の王子である僕が、敵国の女性に貞操を奪われたなんて、サンドロテイム王国末代までの恥!

 そんなことになったら、父上や民の人たちに顔向けなんてできない!

 なら……絶対にバレたらいけない。

 短期決戦で帰国したい、なんて考えていたけど、こうなった以上はそうも言ってられない。

 長期戦でこのセシフェリアという隙のない公爵を出し抜いて、しっかりと貞操を守った状態でサンドロテイム王国に帰国してみせる!

 ────待っていてください、父上……僕は必ずサンドロテイム王国、その王子としての尊厳を守り抜き、サンドロテイム王国を救ってみせます!!

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