貴族

 客室の中に入り、セシフェリアはソファに座る。

 僕がその後ろに立つと、客室のドアがノックされた。


「入って」


 セシフェリアが入室許可を出すと、そのドアが開かれ、セシフェリア公爵家の使用人と思われるメイド服を着た女性と、その後ろから貴族服を着た一人の若い男性が入ってきた。

 おそらく、セシフェリアが面談するという侯爵の人間だろう。

 その人物がセシフェリアの対面側のソファに腰掛けると、メイド服を着た女性はティーカップをソファを挟む形で置いてあるテーブルの上に置くと、紅茶を注いだ。

 そして、頭を下げてこの客室を後にする。

 すると、最初に口を開いたのは侯爵の男性の方だった。


「セ、セシフェリア様が奴隷を買われたという噂は耳にしておりましたが、本当に買っておられたとは、驚きましたなぁ」

「まぁ、私今まで奴隷なんて買ってなかったから驚いても仕方ないよね〜」

「で、ですな」


 セシフェリアの様子は普段と変わらないが、明らかに侯爵の男性の様子がおかしい……いくら相手が公爵だと言っても、侯爵家の人間というのはそれなりにプライドを持っている。

 はずが、まだ本題というものに入ってすらいないこの段階で、とても萎縮しているように思える。

 当然、人も国も違うこの場所で当てはめられるとは思わないが、それにしたってここまで露骨に下手に出るものだろうか。


「それで?今日の面談の目的は?」

「は、はい……実は、私リルダットと同じく侯爵家の人間と、領地の問題で少々揉めてしまいまして……」

「領地って、私がこの前調整してあげたばっかりだよね?どうしてまた揉め事になってるの?」


 ────領地を調整!?

 公爵と言っても、王族では無い仮にも貴族の身で他の貴族、それも侯爵の領地を調整した……?

 それに、公爵家ほど広大な領地があるなら、その自分の領地運営だけで手一杯なのが通常のはずだ……僕がそのことに驚きを抱いていると、リルダットと名乗った男性が言った。


「それが、この時期は場所的に実らない作物などの農業的な問題点もあり、我々だけでは解決できそうに無いのです」


 そう言った後、リルダットは緊張を隠すように紅茶を一杯飲む。


「はぁ、じゃあセシフェリア公爵家の農場から土地を分譲してそれぞれと交換してあげる、それでいいでしょ?」


 自らの土地を分譲して交換……咄嗟にそんな発想が出るのもなかなかだが、農場の管理というものは非常に複雑で、交換すると一口に言っても他の様々問題を噛み合わせないといけない────が。


「あ、ありがとうございます、セシフェリア様!この御恩は、いつか必ず……!」


 リルダットが全くセシフェリアの言葉を疑っていないことからも、セシフェリアながらそれを実行に移せるだけの能力があると信じているのだろう。

 領地の調整に発想力……この会話では出なかったが、侯爵のリルダットがあそこまで敬服しているということは、他にも様々な能力があるのだろう。

 やがてリルダットが客室を出ると、セシフェリアが僕の方を見て言った。


「はぁ〜あ、あんなつまんない理由で私とルークくんの二人きりの時間を遮られちゃっても困るよね〜、こっちは今各国の行商人との契約の手続きでも忙しいのに」


 ────各国の行商人との契約!?

 もはや驚かされてばかりだけど、仮にも戦争中の国が他国の行商人と契約を結ぶなんて簡単なことじゃない……本来であればその仕事は王族が国家間の契約として行うようなことだ。

 それをこのセシフェリアが……?


「……」


 どうやら、僕は今までどこか甘く見てしまっていたこのセシフェリアに対する評価を、大きく改めないといけないのかもしれない。

 このセシフェリアは────間違いなく、このエレノアード帝国を強者たらしめているうちの一人で……いずれ、僕にとって大きな障壁となる相手だ。

 僕がそう認識を改めていると、セシフェリアが言った。


「この後、すぐにもう一人侯爵が来るんだけど、そっちは面倒そうなんだよね〜」

「面倒……ですか?」

「詳しい話を聞いたわけじゃ無いんだけど、緊急そうな文面だったから、場合によっては────」


 そう言いかけた時、この客室のドアをノックする音が聞こえてきた。

 できればこのセシフェリアが面倒だと思うようなことは、一体このエレノアード帝国においてどんなものを指すのか知っておきたかったが、今無理に聞くのは不自然だろう。


「入って」


 そのセシフェリアの言葉を合図として、ドアが開かれると、先ほどと同じくメイド服を着た女性に、今度は僕たちよりも二回りぐらい歳が上だと思われる髭を生やした男性が入ってきた。

 メイド服を着た女性は同じ手順でティーカップに紅茶を注ぐと、頭を下げてこの客室を後にする。


「……」


 すると、その侯爵の男性は顔を青ざめて言う。


「セシフェリア様に、折り入ってお話があるのですが……よろしいでしょうか?」

「うん、何?」

「実は……先日、部下が教会の者と少々揉めてしまったらしく、部下に泥を塗られたままにするわけにはいかぬと、私は部下を庇ったのですが、その結果私も教会と揉めることになってしまい……許して欲しくば、多額の金銭を捧げよと申して来たのです」


 教会……サンドロテイム王国には無いから詳しいことはわからないけど、確かかなりの力を有している組織だ。


「教会が要求してくる額なんて大体想像付くけど、それで私に何の話があるの?」

「その額を私だけで出すには難しいのですが、セシフェリア様の財をお借りすることができれば……と思い、馳せ参じました」


 相変わらず顔を青ざめている侯爵の男性に対し、セシフェリアは言う。


「つまり、私にそのお金を払って欲しいってこと?」

「ひ、平たく言えば……ですが、いずれはお借りした金額以上の額をお返しするとお約束致しま────」

「無理かな、お金だけならともかく、それってセシフェリア公爵家がヴァドリング侯爵家を庇ったってことになって、教会と遺恨を残すことになるんでしょ?」

「で、ですが……い、今まで友好関係を築いてきたではないか!」


 ヴァドリングが敬語も忘れるほどに感情を昂らせ声を荒げるも、セシフェリアは全く動じずに言う。


「友好関係じゃなくて、利害の一致ね……今その利害の一致が無くなったんだから、仕方ないでしょ?」

「っ……!」

「今回、ヴァドリング侯爵家は一番最初に教会と揉めた部下を切り捨てるべきだった……貴族の本懐はあくまでも領地運営、なのにたった一人のために領地全体を脅かすなんて貴族として賢く無い選択だよ……ヴァドリング侯爵家のためだけに強大な力を持つ教会を敵に回すのは得策じゃない、だから私は今ヴァドリング侯爵家を切ったの」


 冷たいことを言っているようだが、セシフェリアは何一つ間違ったことを言っていない……貴族として生を受けた以上、その立場には責任を持たないといけない。

 僕が王族として生を受け、その責を果たすために、今こうして敵地に身を落としているように。


「言わせておけば、この小娘が……!」


 ヴァドリングは完全に理性を失ったのか、そう怒った表情で立ち上がった。


「どちらにしても、このままでは全てを失う身……セシフェリア!貴様には無理矢理にでも私の言うことを聞いてもらうぞ!!」


 怒声を放ったヴァドリングのことを見ても、セシフェリアは全く表情を変えなかった……そして、ヴァドリングはそんなセシフェリアに対し腕を伸ばす。

 ……いくらセシフェリアが公爵として優れていると言っても、ヴァドリングとは体格差がありすぎるため、一度でも掴まれたら逃げられないだろう。

 仮にも今はセシフェリアの奴隷の僕が、その行為を止められる力があるにも関わらず、それを見過ごすわけにはいかないため、僕はヴァドリングの伸ばされた腕を掴んでその腕がセシフェリアに伸ばされるのを止める。


「ルークくん……」


 そこで初めてセシフェリアの表情が少し驚いた表情に変わったが、ヴァドリングは僕の方を見て怒ったように言った。


「奴隷がっ!その汚い手でこの高貴な私に触れるな!」


 ────ヴァドリングがそう言った直後、ヴァドリングが客室の壁の方へ吹き飛んで倒れたかと思えば、セシフェリアがそんなヴァドリングを見下ろす形で剣を突きつけると、虚な目と冷たい声色で言った。


「ルークくんのことを見下した挙句に、汚いなんてよく言えたね……教会に家が壊される前に、私が今すぐにでもその首刎ねてあげる」

「ひっ……!ひっ、ひぃぃぃぃっ!!」


 様々な恐怖が重なったのか、ヴァドリング侯爵は恐怖の声を上げると、慌ただしくこの客室から走り去って行った────その直後。

 先ほどまで虚な目をしていたはずのセシフェリアがキラキラとした目で僕の方に来ると、明るい声で言った。


「ねぇ、ルークくん!さっき、私のこと守ってくれたの?」

「……奴隷なので」

「だとしても、守ってくれて嬉しかったよ!それにしても、自分より体格の大きいヴァドリングの腕よく止められたね!」

「たまたまです」

「本当かなぁ?」


 セシフェリアはニヤニヤしている。


「まぁ、何はともあれ今日の面談はこれで終わり〜!疲れたし、そろそろご飯でも食べたいから、ご飯食べよっか……そうだ、ルークくん」

「はい」

「さっき、たった一人のために領地全体を脅かすなんて貴族として賢く無い選択で、強大な力を持つ教会を敵に回すのは得策じゃないって言ったの覚えてる?」

「覚えてます」

「そんなこと話しといてなんだけど────私は、もしルークくんが教会と揉めちゃったりした場合は、教会を敵に回してでもルークくんのことを助けてあげるから、安心してね」


 そう言って、セシフェリアは僕に向けて優しく微笑んだ。

 こんなにも優しい微笑みを見せていて、事実普段は優しいのかもしれないが、このクレア・セシフェリアという人物が公爵として優秀であることは、その能力や決断力、貴族としての信念からも間違いない。

 これからのセシフェリアとの生活は、僕が思っている以上に難しいものになるのかもしれないな。

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