4
日も暮れて、夕食とするべく場所を移す。この男も一緒にだ。ともに夕食など気が乗らないことこの上ないが、退散してくれなかったので仕方がない。
そうだ、と思いついた。
「厨房など借りて、何をするつもりだ」
「野蛮なことですわ」
前世を思い出した時からやってみたかったことを実行に移す。市場で新鮮な魚を買ってきた。それを調理するのだ。
ついてこないでいいのに、男はついてきた。
「ひっ」
魚の頭を落とせば、男が小さく悲鳴を上げる。
「おお。なんと手際の良い……」
記憶の通りに、魚の身に包丁を入れ、三枚におろしていく。料理人が小さく感嘆の声を上げた。
「手がすっかり汚れてしまいましたわね」
べっとりと汚れた手を見せながらふふ、と笑えば男には気味悪がられる。
「なぜにこのようなことを」
「野蛮なことがしてみたかったのですわ」
前世は殺人者である。そして、これも前世の知識であるが、人殺しに至るものの中には小動物をよく殺し、それがエスカレートしていくという。
ならば、試してみようと思ったのだ。魚を疑似的に殺して、心がどう変化するか、と。
さて、心は大して変化はなかった。ここにあるのは、ただの食材。殺したい何かではないのだ。
殻ごと食べられるという海老が出される。結構な大きさだった。
「殻ごとなど……どうやって食すのだ」
「うふふ。おもしろいではないですか」
こういうことだろう、と手で持ってがぶりとかぶりつく。令嬢らしからぬ大口を開けざるを得ない。口の横にソースがつく、それを指で拭いながら咀嚼する。
サクサクとした殻を噛めば、中からプリッとした身が出てくる。殻に閉じ込められていた海老のうまみが噛むほどに強く感じる。ほんのり辛みのある香辛料とよく合っていた。
唇を舐めていると、目が合った。
「なんです?」
「いや。お前にしては、随分無作法な真似を……」
「お叱りになるんです? ここは王都ではありませんのよ。それに、あなた無作法お好きでしょう」
「いや、無作法が好きというわけでは……別に、叱るつもりもないが」
じろじろ見てくる男の視線は気になるが、食べたい魚介料理を好きなだけ食べて気を紛らわしたのだった。
帰ればいいのに、男はずっといた。男の存在を気にして休めないのは癪なので、男が来る前と変わらない日々を過ごした。
浜辺でダラダラと籐の椅子に寝そべっていると、男は男で絵を描いて過ごしていた。
「できたぞ! 見てくれ!」
ずっと放置していたが、男が意気揚々とスケッチブックを寄こしてきた。さすがにこれを無視するのはおかしい、と差し出された絵を見る。
「人魚ですわね……」
海を背景に岩に腰掛けた人魚が海を見ている。人魚は背後の海を見ているので、顔はわずかにしか見えない。だが、美人だというのはわかる。
体の線が艶めかしく描かれている。下半身は魚なのに、妙に官能的に見えた。あるはずのない脚の線が見えるようであった。
「……とてもよく描けておりますわね」
「そうだろう!」
絵には詳しくないので、当たり障りのない発言をしておく。すると、男は褒められたと言わんばかりに輝く笑顔を寄こしてきた。
正直、困ってしまった。
この人魚のモデルは明らかに己であった。とても美しく描かれているが、同時に女としての側面を強調して描かれているように見えた。
これが、この男のやり口か。と理解する。女をたぶらかすのに絵を使っているのか、と。
この男に好意を抱いている女ならば、これを喜んだかもしれない。しかし、どこか気持ち悪いと思えてしまったのだ。
もうとっくに愛想をつかしている相手に、性的な対象と見られても……と困惑したのだった。
「あなた、モデルにしたい女がいないから、私を描いたのですか?」
違っててくれと思いながら、不躾に疑問をぶつける。
「いや、そういうわけではないが……だって、絵にしたいと思ったんだ。海を眺めてるのが、とても様になっていたから……」
違ってて欲しかった。
この男は没落しても、絵を描いて楽しく過ごしそうだ。身分を失っても平気でいられるなんて、ある意味無敵だ。
この男に苦しみを与えたかった。身分の剥奪でそれが叶えられないならば、忙殺させよう。趣味の絵に打ち込む時間を極限まで減らさせる。
具体的なことはアドルファスに任せよう。人はそれを丸投げと言う。
このまま、ここで休んでいても、いつまでもこの男が帰ってくれなさそうだ。心理的にまったく休めない。なんと迷惑なことか。
休暇を切り上げて、家に帰ることにしたのだった。
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